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「手段」は伝えれても「価値観」は共有できない

最近ね、めっちゃ考えてたことがあって。モヤモヤしてた。

やっと自分の中で言語化できた。

なにか対して、
どうしたらいいですか?って
意見を求められたとする。

その人に対して、
自分なりの解決策=「手段」は提供できるけど
それに対しての
「価値観」は、共有できないなと思うんですよねー


その人にもその人の価値観があって
それは私にも理解できない
私の価値観も、相手は理解できない
(と言い切ると語弊があるけど)


要は、人に“自分の価値観を前提にした”やり方をそのままやれというのは
無理だよな思ったという話

私はこういう人間だから
こう思うし
こうしてます。
とは言えるけど
相手が同じようにできるとは限らない

相手もそれを知ってる上で
相談してるとは思うけど


人が、人の影響で
内面的に
ガツンと変わる瞬間って見たことあります?
私はある。
し、自分も経験した。
あれはすごい。

人を変えるほどの影響をあたえるって
故意には絶対にできないと思ってる。
「人を変えたい」「影響を与えたい」
は、自己保身のため、自分の欲求を満たす行為であり、相手のためではないと思う。

それに、1番の理由は、自分が経験したから。
今まで、自分が体験したり、見た
その瞬間って

人から自然と溢れ出る
“その人自身”の本気の《何か》に
人が、触れる時

心が揺さぶられずにいられなくなる

そんな感じです。

心がざわざわして
自分はこれでいいのか?って
衝撃、衝動が止まらなくなる
涙が出てしまう
無意識に
感情に感情が揺さぶられて
変わるんだと思う。



何かの折に聞いた「アドバイスをしてあげる」という言葉に、ずっと抵抗を感じていた。技術的なことや、勉強して得た知識を使ってということなら、できる。

けど、価値観とか、生き方とか、そういう精神面のこととか、人のコアの部分に関しては
私自身、自分が何かを故意にして、相手を本当の意味で変えることは出来ないと、心の奥に想いがある。

(11/20 更新中)




読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。