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私とリーダーシップとの出会い

 野球チーム、ビジネス組織の違いがあってもチームリーダーのリーダーシップが成果や業績に影響することは科学的に証明されています。
しかし、野球チームの指導者をはじめ、ビジネス組織のリーダーまで、自身のリーダーシップが組織の成果を左右する、だから自分のリーダーシップを高めないといけないと、その必要性を強く感じている人はどれだけいるでしょうか。

それぐらい、「リーダーシップ」という言葉は日本に根付いていないと私は感じています。根付いていないと言い切った理由には、「リーダーシップは、引っ張るものだ」というステレオタイプ的な思い込みがあり、リーダーシップという言葉の意味をしっかりと理解し、リーダーシップを良いスタイルで実行しようとする行動をとらない習慣が日本では大半だと感じる私自身の感覚でもあります。私自身もリーダーシップは引っ張るものというふうに思っていました。

 私がリーダーシップという言葉を知り、理解しよう、それを体得したいと強烈に思ったきっかけがあり、その時から足かけ25年の時が流れて今にいたります。

強烈に気づかされた経験とは、社会人野球チーム・本田技研鈴鹿(現ホンダ鈴鹿野球部)の監督を更迭された原体験です。一番大事な大会である、「都市対抗野球東海地区予選」に敗退した結果、会社から「監督交代」を告げられたのです。

今でも鮮明に覚えています。会社の応接室に呼び出され、野球部の部長、人事部門の課長さんから「野球部の監督を交代する」と告げられました。
野球部長が応接室に来る前に人事課長から「大西にとって厳しい話になるが、受け止めて聴いてほしい」と話してくださったので、「監督交代」だとすぐに理解できました。
大きな試合で敗戦した直後でしたので、内心は、「監督交代はあるかも・・・。」と感じていました。しかし、監督として描いた構想を会社も理解してくれているであろうという自分なりに良い方向で考えて、気持ちを奮いたたせていましたが、会社の下した決断は、「監督交代」。
私の野球人生は幕を閉じました。企業スポーツであり、勝負の世界ですので、当たり前のことです。しかし、自分なりに状況を受け入れることは非常に難しかったです。苦楽を共にしたコーチ、マネージャー、トレーナーに申し訳ない、選手にも申し訳ない気持ちで押しつぶされそうになる自分がいました。
そして、13年間の社会人野球人生を終え、住み慣れた三重県鈴鹿市から埼玉県へ転勤し、本格的に仕事に専念しました。
新しい仕事の中で、「リーダーシップ」という言葉と出会うこととなったのです。

人事総務部門で、係長として、研修と福利厚生のチームを任され、人材育成の仕事をするようになりました。職場メンバーは、5人です。この仕事経験の中で、リーダーシップという言葉に出会いました。

会社には当たり前ですが、いろいろな仕事と役割があります。どんなに優秀なエンジニアや営業パーソンでも組織を任され、マネージャーやプロジェクトリーダーという役割になると、上手くメンバーの力を引き出せない、人を活かしてやることができないといういうジレンマを感じて仕事をしているという事実を目の前にしました。自分が自分の仕事で成果を出すことと、組織やチームのマネージャーになり、組織全体の成果をあげることは「別物」なんだということを人材育成の仕事を通じて、肌で感じ、私の監督時代の自分の経験とダブってきました。

私は改めて、なぜ、野球部の監督として思うような成績が上げられなかったのかを自己分析してみることにしました。(仕事しないといけなかったと思いますが・・・)
①経験不足(監督当時の年齢は、33才で若かった)
②世代交代を求められた中で、メンバーの世代交代が上手くいかなかった
③選手の個性や能力を発揮させてやることができなかった
④自分が勝負のプレッシャーに負けていた、また、試合のシナリオ、戦略不足・・・・。
⑤私がやりたい野球を選手が理解しきれていなかった

などなど、理由はたくさん浮かびました。しかし、現実を直視してみると、チームを勝利に導き、選手の個性や才能を発揮させ、常勝チーム作りができている監督の存在があります。仕事においても同じです。革新的な製品を開発し、イノベーションを起こしたり、海外という異国の地でもホストカントリースタッフをモチベートさせ、組織の成果を高めさせたりすることができるリーダーが存在します。
私は、「結果を出せるリーダーはどんな人で、何をしているのだろう」ということに興味を持ち、調べていくうちに「リーダーシップ」という言葉に強烈に関心をもちました。

野球部時代は監督として、コーチングを実践してきました。コーチングとは違う「リーダーシップ」という言葉に惹かれ、これを知りたい、これが自分が体得できれば、成果を上げることができ、チームメンバーが幸せを幸せにすることができると思ったのです。

リーダーシップとは、「組織の活動の成果創出のために組織の活動そのもに与える影響力」という定義を知り、「自分にはチームメンバーに良い影響力を与えることができなかったので、チームは勝てなかった」と思うようになり、大学院でリーダーシップをとことん学ぼうと決め、筑波大学大学院ビジネス科学研究科の門をたたき、リーダーシップを探求していこうと決めました。
戦略マネージャーとして、野球部に関わり、チーム作りに関与、日本一を成し遂げたという自分なりの自惚れが強かったこと、監督という大役が自分に回ってきた中で、「地に足がついて監督としてチーム作り」を行えたのかの後悔は今も強く心に残っています。中途半端だったと思うのです。

私は常勝チームという継続的に結果を残すチームをつくれなかった野球指導者です。

仕事の現場に入ってからも職場の若手メンバーの方が仕事を良く知っているし、人事や人材開発の専門性は私には何もありませんでした。13年間、野球ばかりしていたので、正直、仕事を覚えることは大変でした。また、会社は私に係長という役割を与えてくださったこと、「やるしかない」と思いました。ホンダ流の「二階に上げて、はしごを外す」的な挑戦的な機会を与えて下さったことは、本当に感謝しています。そんな中、藁をもすがる気持ちでリーダーシップというテーマにのめり込んでいく自分がいました。

大学院に入学後、私を指導してくださった河合忠彦先生(当時)からは、「より良くしたいという素朴な気持ち。それが、リーダーシップだよ」と言われ、私のリーダーシップ探求の旅が始まりました。

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