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青色のコンビニで恋をした(エピローグ

出会った瞬間から別れのカウントダウンは始まっている。
そのカウントがいつ終わりを告げるのか、それを知ることは誰にもできない。
透明な砂時計は、僕らの意思とは関係なくサラサラと砂を落とし続け、ある日突然終わりがやってきたところで初めて気が付くのだ。

僕は、生きていくなかの出会いは何らかの意味を持つ"必然"だと思っている。だからこそ突然の別れは本当に寂しくて仕方ない。

''いつか''なんて言ってないで、会いたい人には躊躇せず会いに行かないと必ず後悔に苛まれる。

また明日……なんて、本当は奇跡的なことなんだ。 


◇◇◇ 


3月15日

彼女の実家は津波の被害に遭い建物は半壊、家族は全員無事だったけれど、今は学校の体育館で避難生活を余儀なくされているという。バイトリーダーの春菜が教えてくれた。
彼女は学校を休学して宮古に戻り、しばらくは向こうのコンビニで働くそうだ。
準備が整い次第、盛岡の親戚宅に間借りする形だけれど家族全員で暮らせるから心配しないでくださいとのこと。
ただ学費の面や様々なことを考えると、学校を続けるのは正直難しいかもと言っていたらしい。

2日間、自分の店を臨時休業したのでコンビニへ行くこともなく、彼女が辞めたことに全く気がつかないまま数日を過ごしてしまった。自分の馬鹿さ加減が不甲斐ない。

自然災害の恐ろしさと全てを奪われる辛さ。
津波に襲われる街の映像が、ニュースで繰り返し放送されたのを見た。避難所で余震に怯えながら不自由な生活をしている人たちのインタビューも目を逸らさずに見た。

僕は計画停電くらいで全然不自由さを感じないけれど、彼女のことを思うとどうすることもできない自分の力の無さに苛立って、そして哀しくなってしまう。

本当、人は無力なんだ。

 

◇◇◇ 


4月が過ぎ、5月になった。

原発の問題はまだ山積みだけど、自粛ムードはだいぶ落ち着いてきて、塞ぎ込んでいた自分の気持ちにも少し余裕がうまれていた。
そう、いつの日か僕は彼女の故郷である宮古へ行ってみようと心に決めたのだ。
街が全てを取り戻して明るさに満ちるまでどれくらいかかるかわからないけれど。

僕は忘れない。
いつか、必ず、宮古に会いにゆく。


◇◇◇


おまけ 2019年5月4日

8年掛かったけれど、三陸鉄道が開通したこの5月、僕は宮古に会いに来た。
もちろんそこに彼女がいるはずもないけれど。




ぜひ最初から読んでね


 





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