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挫折って悪いことばかりじゃない

「本当にお前は使えないヤツだな!」

私の社会人生活は挫折から始まりました。
同時に、どうしたら仕事が出来る人になれるか?
私は何が出来るのか?と15年かけて考え続ける人生がスタートしたのです。

今はひとり親として仕事、子育て、家事の両立をするためにプログラミングを学んで「どこでも稼げる自分を作る」をテーマに毎日の積み上げをしています。少しでも興味を持って頂けたらTwitterのアカウントを見てください😊
失敗したり間違うこともあるけれど、それも全て大切な経験です。
一緒に学び、経験を積んでいきましょう。

この記事では仕事が出来なくて挫折続きの私がどのように抜け出したのか?
その瞬間に考えていたことが読んでくださっているあなたの悩みを解決するヒントになれば幸いです。

失敗の連続、抜けなかった学生気分

機械の設計事務所に新卒で入社した私は怒られてばかりの毎日を過ごしていました。
新潟大学を卒業して「機械設計でトップになる!」
そんな野望を抱いていた私の心はボロボロ。
あの手この手でチャンスをくれた社長の努力の甲斐もなく、
私は新卒から1年半で退職(とは言っても、休職扱いでしたが)

なぜ俺はこんなに仕事が出来ないんだろう…と帰りの車中で何度も泣いていました。

それからしばらくして、新卒で入社した会社の社長から1本の電話が。
「設計は出来ないが、化学会社に行ってみる気はないか?」
前職の社長が派遣業の資格を持っていた事もあり、
紹介派遣として大阪に本社を構える化学会社に転職が決まりました。

当時を思い出すと、学生気分が抜けていなかったのかもしれません。
「失敗しても誰かがカバーしてくれる」
そんな甘えがあったように思います。

化学会社に転職しようと決めた理由は、仕事ができないトラウマはあったけど、大学進学のために借りた奨学金の返済や通勤で使う車のローンなどもあって、早く稼がなきゃいけない状況でした。
ただ、理科の実験と仕事は全くの別物だと痛感するのは
化学会社に入社して6ヶ月が経過した頃でした。

私が入社した化学会社での仕事は、化学プラントの保守がメイン。
消防法に則った設備を作ったり劣化して破損した箇所の修理をする肉体労働色の強い仕事。
けれど、この化学会社で私は致命的な欠点を知ることになったのです。
それは、「調べるのが下手」ということでした。
先ほども言ったように、化学設備は消防法に則って作る必要があります。
新しく設備を設計したり化学反応を考えたりする仕事はほとんどなく、
既存の設備が壊れたら設計図を探して発注する。
さらにスケジュールと予算を立てて耐用年数が定められた設備の予防保全をする。なので、「調べる」技術がマストの仕事だったのです。

辛い経験を沢山した化学会社を1年半で退職することになった理由は、
・調べるのが壊滅的に下手
・周りの人に頼るのも下手
・報連相がめちゃくちゃ下手
・学ぶべきポイントがズレている
・肉体労働系の仕事が向いてない
(頼るのは今でも下手ですが…)
機械設計もダメ、化学工場でもダメだった私は
今も働く経理に2回目の転職をしたのです。

自分の会社を作るために経営を学びたい

なぜ化学会社から経理に転職したのか?

それは「自分の会社を作るために経営を学びたかったから」です。

とは言え、具体的なプランが無かったのも事実で、

お金がないので仕入れて販売するビジネスはなし。

かと言ってすぐに稼げるスキルもない。


「社長」と呼ばれたいから起業したいだけなんじゃないの?

と言われても仕方がない程度の浅はかな考えでした。

仕事が出来ない私がなぜ自分の会社を作ろうと考えたのか?

と言うのも、化学会社を退職して経理として就職するまでの6ヵ月間
「決められたことをするだけの仕事は私に合わないんじゃないか?」
と考えるようになったからです。

だったら経理は決められたことだけだよね?と思ったはずですが、
私なりに考えた6つの理由がありました。
・リアルな経営を学べる
・お金の管理を学べる
・定時で帰れる
・インプットする時間をキッチリ取れる
・対人での仕事に向いていない欠点を隠せる
・奨学金と自動車ローンの返済のためにも稼ぐ必要あり
それから10年、
改善できていない欠点はあるけど一定の仕事が出来るようになりました。

この10年は人生100年と考えたら必要な投資でした。
どうしようもなく仕事が出来なかった私にとって
「小さくても良いから成功体験を積む」
その経験が必要だったからです。

じゃあ自分の会社を作る目標はどうなったのか?

Twitterでも発信している内容をベースに、
2023年には形にしたいと考えています。
具体的にはこんなテーマです。
・プログラミングとマーケティングを学んで月50稼ぐ力を身につける
・海外の案件を受注できる自分を作る
・世界中の課題解決チームを作る

自分の会社を作る目標を持って入社した経理ですが、とても苦しみました。
・新卒で入社した機械設計
・大学の知識を生かして入社した化学会社
その全てで抱えていた私自身の大きな問題を何一つ解決することなく経理として入社したからです。

経理として苦しんだ理由は
・周りの人に頼るのが壊滅的に下手
・報連相がめちゃくちゃ下手
・学ぶべきポイントがズレていた
この問題だけでなく、上司との相性の影響もありました。

入社して間もなく先輩が辞めることになり、
上司から「お前(私のこと)が辞めれば良かったのに」
と言う強烈なひと言を言われる始末。
その日から上司に干される日が始まったのです。
具体的には、
・指示を受けてした事を責められる
・指示した覚えは無いと言われる
・今まで通りの作業に他部署からクレームが入っても知らん顔
・私の発言は全否定
ブラック企業のヤバい上司ですよね。
そんな状況でも辞めずに10年も経理として働いている理由は
「小さくても成功体験を積みたかったから」です。

ある日、ふと「人生の1/3の時間は仕事」だよな…と考えていました。
それなのに、
「このままではいずれ俺は潰れる。完全に生きていけない」と思っていたのと、単純に「悔しかった」からです。
仕事が出来ない自分。
見返すスキルすらない自分。
理不尽なことを言ってくる上司。
あらゆることへの怒り。
当時は「絶対に見返してやる」と言う気持ちだけでした。

とは言えマインドだけではどうにもならない状況だと理解もしてました。
そのために取り組んだのが、「VBAとポジショニング」です。
それまでは単純な入力作業に膨大な時間を使っていて、
他の雑務が遅れては怒られる日々だったのでVBAで時間短縮することを目標にしました。
スタートはエクセルの関数を使って個人的なデータベースを作り、
作業時間の短縮やミスを減らすためにVBAを学び始めました。

当時、私がエクセルの関数を使ったシートや簡単なマクロを作ると上司から
「そんなの無駄」とか「なんの役に立つんだ?」と全否定されていました。ただでさえ理不尽なことを言われていて、仕事を改善するための取り組みを否定されてばかりの状況に何度も心が折れていました。

ある日は家を出るとき、
ある日は会社に入る直前、
ある日は休みの朝から動機と呼吸困難になる日々。
それでも辞めなかったのは小さな成功体験が欲しかったから。
上手くいかないことばかりの自分が嫌で復活したかったから。
未だにググって実装するレベルですが、
1時間かかる作業を3分に短縮したことで仕事をこなす量も落ち着いて考える時間も確保できました。

10年経った今は自分だけでなく他の部署の人にも役立つプログラムを作っています。ちなみに、関数もVBAも全て独学です。
今振り返るとUdemyなどで一気に学べば良かったと反省していますが、
当時は何も知らずひたすらググる日々でした。

プロが見たらショボいプログラムかもしれませんが、仕事のムダを省いて減らすために役立っているので十分ではないでしょうか?
実はVBA以上に大事だったのがポジショニングでした。
上司の人間性は別として、仕事は出来ます。
「私はその上司と同じ土俵では勝てない」と気付いたことが転機でした。
経理として働く会社は50人規模なので、経理は私と上司の2人。
私が経営者だったら3人は多いので、似た能力の人はいらないのです。
入社して3年目までは上司からの風当たりも強く精神的に辛い日が続いてましたが、ポジショニングとこれからの自分を見つめる良い時間でした。

「社内のリンクマンになろう」

これは私が最初に意識したポジションです。
古い会社なので基本的にアナログだし情報が適切に管理されないために皆んなが知っているべきことを特定の人しか知らない。
そんな状況が多々ありました。
そこで、徹底的に聞き耳を立ててメモを取りまくって必要な人に伝えました。
おかげで「あいつは地獄耳だ」と警戒されたけど、
私自身の仕事に必要な情報も取れたのでスルーしていました笑
このリンクマン作戦ですが、上司への効果が抜群だったのです。
と言うのも、メモを取りまくって会話の記録を残したからです。
それまでもメモは取ってはいたけど、他部署からも私がメモを取って記録していると認知され、私の言動への信頼がアップしたのです。
上司からしたら私はウザい存在だったかもしれません。
けれど、「リンクマンとして、地獄耳で情報を集めてメモを取る」
この一連の行動が身を結んで私は干されていた環境から抜け出しました。

「自分の経験に縛られず、今いる場所の問題を解決していく」

仕事で挫折しているときに考えたいこと、
それは「自分の経験に縛られず、今いる場所の問題を解決していく」
経験を生かそうとすると今までの評価が足かせになりがちです。
なので、誰もしていない解決すべき問題に取り組んで視点を変える。
そういうことを意識することが大切だと分かったのです。
上手くいかない時に冷静に考えるのは難しいですが、
出来るだけ周りの声に耳を傾けて問題を集めてみてください。

仕事内容によっては上司の許可が必要なこともあると思いますが、
出来る範囲でまずは1つ、小さく問題を解決していきましょう。

ここの話はホントに大事なのでもう一度言います。
「自分の経験に縛られず、今いる場所の問題を解決していく」

言われたことだけしていると挫折した状況から抜け出すのは困難です。
自分の目で、耳で、頭で「どうすれば解決できるか?」
考え続けてください。

VBAとポジショニングによって少しずつ自信をつけた私ですが、
実は極度のめんどくさがりです(笑)
しかもデータを見比べてコピペするのが苦手なので、
VBAで自動化するしかなかったという理由もあります。
誰でも出来て、繰り返し作業を続けるのは時間をムダだし、
今いる場所の問題を見つけて解決しつつ、
自分の長所と短所を見定めることも重要です。

下手なら補えばいい。
苦手ならしなくて良い方法を考えればいい。
長所を伸ばして短所を改善するのが理想ですが、限界はあります。
短所のセールスポイントを変えて長所にすることも出来るでしょうが、
ある程度取り組んでも効果がなければ補ったり、
しなくて良い方法を考えてみて下さい。
その方がきっとあなたを改善する助けになるはずです。

挫折って悪いことばかりじゃない。

10年経って思うことは上手くいかない時って冷静に自分を振り返ることが難しいですよね。
とは言え、これ以上ないくらいドン底だったので上がるだけの状況でした。理不尽なこと、悔しかったことは10年経った今でも忘れていません。
怒りの感情は決して消えることはなく、
発作のように自分を苦しめることもあります。
それほど私にとって辛い経験でした。
けれど仕事への向き合い方や学ぶ大切さ、
なによりもポジショニングの重要性を痛感した経験にもなりました。
精神論とポジショニング、そしてVBAで復活した私の人生はこれからも続きます。

自分語りをしたかったのではなくて、
エリートとはほど遠く周りから馬鹿にされ続けた雑草の私だからこそ、
この経験を、読んで下さっている方の応援になればと記事にしました。

10年前に戻れたとしても同じ経験をしたくありませんが、
目的や目標を持って学べば必ず光は見えてくる。
思い描いた通りにはならないかもしれないけど、良い方向に進める。
どれだけ苦しくても時間をかけて学んでいくと過去を振り返った時に気付きます。

挫折って悪いことばかりじゃない。

みつかより。

サポートありがとうございます。Mityu-kaを成長させて皆さんに恩返しができるように役立てていきます。