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映画ノート

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#映画感想文

映画ノート⑲ GS映画『小さなスナック』

斎藤耕一がこの作品を監督した頃は、まだ駆け出し時代。1968年から69年にかけて『虹の中のレモン』、『小さなスナック』、『落ち葉とくちづけ』(3作品ともヴィレッジ・シンガーズが出演)と立て続けに3本のGS(グループサウンズ)関連映画を発表している。以前、3本まとめて観る機会があったが、残念ながらいずれもぱっとしない出来栄えの凡作だった。 中でもこの『小さなスナック』は脚本構成がめちゃくちゃで何が主題なのか観ていてさっぱり分からず、訳の分からない暗い「不倫悲恋映画」という印象

映画ノート⑮ 日中戦争で戦病死した天才映画監督山中貞雄

最近、『海辺の映画館―キネマの玉手箱』や『スパイの妻』などの映画の中でオマージュを捧げられ、今日でも多くの映画人の尊敬を集めている映画監督山中貞雄。                            監督昇進第1作『磯の源太 抱寝の長脇差』(1932)を撮った時、山中貞雄は何と弱冠22歳。この第1作がいきなりキネマ旬報ベストテンの8位にランクイン。早熟の天才と呼ばれた所以です。 その後、1937年までの僅か5年の間に何と26本もの作品を矢継ぎ早に発表、数々の名作を世に送

映画ノート⑭ 『海辺の映画館―キネマの玉手箱』~「戦争は絶対にしてはならない」とのメッセージが込められた大林監督の遺作

大林宣彦監督の遺作となった『海辺の映画館―キネマの玉手箱』は、監督の映画人生の集大成的な作品だった。 ロジェ・ヴァデムの耽美的吸血鬼映画『血とバラ』(原作ジョセフ・シェリダン・レ・ファニュ『吸血鬼カーミラ』)にオマージュを捧げた最初期の自主製作映画『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』以来培ってきた映画への愛、晩年になって更に顕著になる反戦思想、戦争映画に対する批判、怪奇幻想映画趣味、アバンギャルド的手法など、映画キャリアの全てを注ぎ込んだ驚異のパワーに満ちた

映画ノート⑬ 映画と演劇を融合させたメタフィクション映画『劇場』

又吉直樹原作『劇場』は、観る人によって好悪がはっきり分かれる問題作。       脚本家・俳優としての自分の才能を疑いながらも演劇への夢を捨てきれず、自堕落ですさんだ生活を送っているダメ男永田と彼の才能を信じて支え続けたピュアで優しい女神のような女性沙希との7年間の愛と苦悩の日々を描いた悲恋映画。  永田は高校時代の友人と小劇団を主宰しています。一度は自分が脚本を書いた公演が評判をとりますが、ビギナーズ・ラックだったのかその後が続きません。生活にも困窮した永田は下北沢にある

映画ノート⑫ 日本の戦争犯罪と向き合った映画『スパイの妻』

初めに 『スパイの妻』は日中戦争真っ只中の1940年、軍国主義一色という抑圧された暗い時代に抗い、己の信ずる「正義」を貫こうとした一組の夫婦の「愛」の物語。 もともとNHKのBS8Kドラマとして放映された作品。劇場公開に至った経緯はよく分かりませんが、作品の出来が非常によいと評価されたので、劇場公開したのだろうと思われます。 この映画の主題に関わる重要な要素になっているのが、「関東軍第731部隊」。この部隊と戦後日本医学界との切っても切れない深い関係について、こちらに詳し

映画ノート⑩ エンタメ系社会派映画『パラサイト 半地下の家族』

『パラサイト 半地下の家族』は、観る前は韓国の格差社会を真正面から告発した映画だと思っていましたが、少し違っていましたね。正攻法の告発調リアリズムではなく、コメディなどのエンタメ系手法をうまく使い分けることで韓国社会の絶望的な貧富の差を浮かび上がらせていくなかなか斬新な構造の映画でした。 主人公の家族全員が次々と調子よく金持ち家族に取り入っていく前半は痛快コメディ、豪邸の地下シェルターで鉢合わせした二組のパラサイト家族が貧民同士いがみ合う中盤ではサスペンス調が加味され、流血

映画ノート⑧ 政治映画『シン・ゴジラ』が描いた「対米従属国家 日本」

政治映画『シン・ゴジラ』1992年の『ゴジラvsモスラ』以来遠ざかっていた「ゴジラ・シリーズ」。『エヴァンゲリオン』の庵野秀明が実写映画化したという事で久しぶりに観に行った『シン・ゴジラ』は、意外なことに怪獣映画の衣を借りた日本では珍しい本格的な政治映画だった。 この映画でのゴジラは、明らかに大津波や福島第一原発のメタファーであり、ストーリーも大震災~原発事故の経過のアナロジー。ラストのゴジラの活動停止も「福一原発」と同様一時的な小康状態であって、「終息には程遠い」という現

映画ノート⑦ 三島由紀夫唯一のメジャー主演映画『からっ風野郎』

今で言うなら「マルチタレント」を気取っていたのか、文学だけにとどまらず評論、演劇、映画、歌手、ボクシング、ボディビル、極右政治活動、自衛隊体験入隊、民間防衛組織(盾の会)作り、軍事訓練など様々な分野に手を出しながら、右へ右へと行ってしまった三島由紀夫。                                                               挙句の果てに、最後は陸上自衛隊市谷駐屯地におけるクーデター扇動後に割腹自殺。時代錯誤の右翼思想など