見出し画像

丁寧に生きていく


大晦日、隣の家のご主人が亡くなった。83歳。私が結婚してこの地に住むことになった時からずっと、町内会長さんをなさっていた。物静かで熱量の低い方だったが、何かあれば町内会を率いて先頭に立ってくださる。我が家を含め町内会の人たちはみんなその方を頼りにしていた。


お隣の菩提寺の僧侶は、その方とは同級生で、お通夜の時読経のあとに、その方について少しお話を聞かせてくださった。小さい頃のその方は、スポーツが得意で特に走るのが早くて、頭も良くて、友達の中のリーダーだった、と。その方に対して反対意見を言ったりするような同級生はいなかった、なんて聞くとちょっとジャイアンぽいではないか?話の中のその方と、私の知っているその方のイメージは少し違ったけれど、みんなのリーダーだったという点では納得した。2年前にその方が町内会長を引退してからは、他の家で会長の役を2年毎で回していくことになった。我が家に回ってくるのは多分8年後らしい。


今回は一般葬だったので町内会としてお手伝いに行かせてもらったが、さほどやることもなく、そうすると自然とご近所の噂話に花が咲く。こういう時、私は自分がいかに地元のことを知らずにここまできたかを実感するのだ。それでも、何人もの方からうちのちゃま(主人)の容態を聞かれ、「良くなってよかった」と喜んでくださっていたのはありがたかった。近所を歩いていても、その件でよく話かけられる。ちゃまは此処で生まれて育ったから、ご近所のお年寄りにしてみれば、子どもの時から知っているわけで、そんな子が自分たちより先に病に倒れたり亡くなったりしてしまうのは「順番が違う」というわけだ。


寿命が本当に順番で決まっているなら、残された時間を悔いないように生きるとか、残り少なくなった人に孝行したりとか、暮らし方も変わりそうだ。だけど本当は、寿命がいつ終わるのかはわからないから、常に悔いのない生き方をし、常に周りに優しくし、いつなんどきも丁寧に生きておくべきなのだろう。もしかすると、それが今年の目標なのかもしれない。


さて、優しく丁寧な暮らし方をしよう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?