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テラチがおりてきた


あれは去年の終わり頃、私は1冊の本に出会った。書いてあることが好きすぎて、分かりみがありすぎて、うなづきすぎて、気に入った箇所に付箋を貼りまくった。


そのあと私は、本屋大賞ノミネート全作品読破に挑戦したりしていたので、あの1冊は『好きな本』の域を出ていなかった。今年の夏前に、ふとあの1冊との出会いを思い出し、あれを書いた人が他にどんなものを書いているんだろう?と検索した。ざっと20冊くらい。あ、まだそんなもんか、まだ間に合うな。そう思ったら全作品読破したくなった。そこからは本屋さんに行く度に探して、見つけたら買う、を繰り返している。ネットでポチれば一瞬だけど、私は本屋さんで出会いたい。本屋さんの棚を端っこから見ていって、「あ!あったーー」っていう、その出会いの瞬間の嬉しさを何回も味わいたいと思ったのだ。20冊のうち半分以上は文庫化されている。本屋さんによって品揃えがまちまちなのでまだまだ、なかなか、全作品は揃っていないが、手持ちが少しずつ増えていく感覚も嬉しい。時々並べてみては満足そうに眺めている私、きっとはたから見ると気持ち悪い。


まだ実際に読んだのは10冊くらいだけど、読む度に驚いて、嬉しくて、愛おしくなる。どれを読んでもそこには「私のことかな?」と思えるような文章や表現があって、私の気持ちをきちんと文章にしてもらえた感覚と、それを第三者として読んだ時にそれって身に覚えがあるなっていう感覚と。それは登場人物が私とはかけ離れた人物像だったりするから、まさかこの人も私と同じようなことを考えてたのかとか、こんな人が友達だといいな、こんな人になりたいな、などと憧れの気持ちを抱いている。そして最後には、『そのままで良いんだよ』と肯定してもらえる。こんな心地よい経験を、幾度も幾度も繰り返しているのが、今。


登場人物たちの職業も、毎回キュッと心を掴みにくる。それはガラス職人さんだったり、雑貨屋さんだったり、養蜂家さんだったり、子ども食堂を営んでいたり。刺繍がキーワードの作品もあったし、珍しく悪事を働く男たちが出てきた作品ではそれまでとあまりに違う設定にちょっとドギマギしたけど、読み終わったらやっぱり好きだった。


どの作品を読んでもちょっと不器用で“面倒な人”が世の中の“あたりまえ”につまづいている。誰だって生きていたら絶対にぶち当たる障害物みたいなもの、自分の居場所とか普通とは?とか、得手不得手とか、そういうものをその都度なんとか越えて、そしたらまた別の障害物があって。それを“すごろく”に例えていた作品もあった。この世に生まれ出たらさいころを振り続けて前に進まなくてはいけない、と。ハッとしたけど、そうか、私だけじゃなかったって思えて、そしたらもうそれだけで気持ちが軽くなる。
どの作品も帯からもう好きで、どの作品も共感できて、どの作品も読み終えたら愛おしくて胸に抱き締めたくなる。そんな作家さんに出会えた。




寺地はるなさん

大好きです。



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