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メンタル地獄日記 -人生が恐い-

今回は
②格言は上級者向け
についてちょっとだけ語って、自分の幼少期からの人生を振り返りたいと思います。

世の中には色々な精神障害に関する本があるし、精神科医がいるし、メンタル系のYouTuberもいる。
むしろあり過ぎて、どれもこれもピンとこない。
これが最適解というのはまだ見つかっていない。
いや、どれも最適解なのかもしれない。
もう自分の頭の状況が闇鍋状態だから『これが!』というのは全てやらなくてはいけないのかもしれない。

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
運命が変われば人生が変わる。

これは今週メンタルクニックの先生にも言ったのですが、「心が変わる」という初手が一番難しい。
なぜなら、僕は幼稚園くらいの幼少期からいい歳の今まで、この世界の捉え方について、考え方について変わっていない。成長した感じもまるでしない。

アダルトチルドレンと言ってしまえば終わりなのでしょうが、外見はいい歳なのでこの社会では通らない。
あと、生きることについてもネガティブ。

「なんで100%最期には死ぬのに、生きなければならないのか」

これが寿命まで「良いことしか起こらない人生」なら享受しても良いけれど、基本的に運が悪いので。
捉え方次第というなら、捉え方の運も悪いのだろうと思う。
すみません、すごく捻くれてますね。

さて僕は、幼稚園くらいの幼少期くらいから
『眠っている間にどこか異世界に飛ばされたらどうしよう』
『寝ている間に火事になったらどうしよう』
『歩いていて車がいきなり突っ込んできたらどうしよう』
『歩いていて急に刺されたらどうしよう』
『親がいきなり死んだらどうしよう』
『自分がいきなり死んだらどうしよう』
と妄想癖がありました。

今でも、そこまでではありませんではあります。

それでも小学生に上がるくらいには薄まったが、今度は交代するかのように、毎晩のように喘息の発作が起きた。
息ができない、苦しい、眠れない、死ぬ、なんで僕?
更にやたらと風邪引くし体調も崩した。

多分そんな病気ばかりの幼少期だったから諦め癖というか、打ちのめされたというか『しんどい中頑張って生きても、多分僕は他の人よりかなり早く死ぬ』ような気がしていまいました。
なので人のアドバイスには殆ど耳を貸しませんでした。
死ぬほど無理して努力しても死ぬ。
そして前にも述べた通り、死ぬほど努力しても敵わない天才がいる世界。
さらに僕の地域はどこか不穏というか、あんまりいい大人がいなかった。
それはもう根性やハングリー精神とかではどうしようもない。
僕が病気で苦しんでいる間も、天才は努力する。
だからもう『諦め癖』みたいなものがついていた。
でも、今になってわかる。
そんな態度だったから、余計に事態は好転することはなかったのだと。

だから障害を持ちながらも希望を捨てず、逆境の中で努力して頑張っている人には本当に申し訳なく感じます。
僕は目も見えるし、耳も聞こえるし、話すこともできるし、5体満足で、生死に関わる病気(鬱以外)も罹っていないけれど、さほどこの人生に希望を抱いていないのです。


なんか暗い日記になってしまいました。
すみません。
でも読んでくださってありがとうございます。
感謝しております。


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