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メンタル地獄日記 -僕のメンタル(悪化2)-

ここからは、本当にどん底だった時期に触れていきたいと思います。
『自殺』『希死念慮』についてもダイレクトに触れていますので、しんどい方は中断してください。

やはり一人暮らしを始めた僕は、デザインの専門学校に1年遅れて入りなおすことになったので、引きこもりになって、治療に専念した。
が、悪化するばかりだった。
新しい土地、知り合いもいない場所、機能不全家族、自問自答、焦燥感と余る時間、死ぬほど出される薬、そして人生終わった感、死にたいという思い。

家族関係が一気に悪化させた他にも、薬なしに(薬があっても)人並みに生きられない事を悟ってから、『死にたい』という思いが更に強まった。
それは小学生の頃『勉強だけはできる自分』に対して「すごーい」「天才!」と言ってくれる人は今はいなく、人並み以下になってしまった自分が酷く恥ずかしいと思うようになったから。
プライドだけはエベレストなのに、出来ることはない。

よく俳優業界で、子役が大人になってメンタルを崩壊しているのを見るが、あれに近いと勝手に思っている。
天才子役は実は『たまたま内容がよかったから注目された』だけの人も多い気がする。
だって天才なら、成人しても『天才俳優』と言われるだろうから。
それに、僕は子供に軽々しく「天才」いうのはある意味では虐待だと思ってもいる。
それは、ギフテッドみたいなあからさまな天才的頭脳という意味でなく、ものさしで測れないモノに言う事が悲劇だという事。
大人が「天才、天才」とことあるごとに持ち上げたくせに、その子が大人になっても「天才、天才」とことあるごと持ち上げるのを見たことがない。
それに加えて、子供は大人の期待に応えたいと思うし、頑張っていまう。
それゆえ心が、脳がバクを起こす。
「応えないと!」と焦り空回り、上手くいかない。
上手くいかないと、構われない、見られない、愛されないと脅迫的になる。
そして壊れる。
「応えられなくても構わない」と思っている子供は、応えられなくてもそのままで愛されている。
その違い。
それだけの違いが、わからない人が多い。

さて、話を戻しますと、正直この1年弱が一番死にたかった時期だと思う。
何処にも所属していないし、誰もいなかったから行動にも移しやすかった。
その当時は凄く大きな病院に通っていた。
それこそ本当に比喩できないほどやたら大きくて、患者がゾンビみたいに歩き回ったりしていた。
そしてそれが当たり前の光景で、当たり前に思った。

「まともな病院じゃねぇ」
事実、医者も「薬が治してくれるから」くらいしか言われていない。
それくらいしか記憶していない。
さらに狂っているくらい薬を出された。
1日100錠近くはあったと思う。
「厚生労働省(?)からのお達しとかないのか?」と思うくらいには自分でも危ない病院だと思ってはいた。
だけれども、薬はないよりもある方がいいので、皮肉なことに自分にも都合のいい病院だった。
全部飲んだら副作用の方が危ないので、薬に関して調べてみて、出来るだけ調節して飲んでいた。
(※普通はやっちゃいけないんですが、『明らかにおかしかった』のは確定なので)

だけれどやはり、一番死にたい時期には焼け石に水だった。
『死にたい』は、何も止められないのだ。
薬も、医者も、人も、愛も、夢も、金も、地位も、名声も、宗教も、説教も、止められない。
何にも止められない。

そして僕は夏の深夜に有り余っている薬を全て飲んだ。
もちろん余っている薬程度では、医者が出す薬程度では、死ぬのが難しいことは分かっていた。
だけれどもし、宝くじで1等が当たるくらいの確率、感覚で「死ねればいい」と思った。
が、途中200錠ほどで吐いた。
脳と胃と、全身の血管が冷たいケミカルな感覚になり、救急車で病院に運ばれた。

今日はここまでで。
読んでくださってありがとうございます。
今年は暑いのが原因なのか、目標を見失っているのか、明らかに去年より調子悪いんですよね。
体調にはくれぐれもお気をつけください。


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