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メンタル地獄日記 -僕のメンタル(悪化1)-

『僕のメンタル(悪化1)』と題しましたが、ここから僕の鬱病の悪化、希死念慮、死にたい思い、死への怖さ、要は具体的なメンタルの悪化と不調に触れていきます。
いよいよ本編に突入といったかんじでしょうか。


その前に前置きなのですが、鬱状態が一気に悪化した原因の一つでもある『僕が妹を、家族関係を大切に思ってたか?』と問われると実は微妙なところで、勉強して環境を変えて早く独り立ちしたかったというのは子供の頃からの夢だったし、妹とも仲良くはなかったです。
だから親の言うように「関係ない」のは一面を見れば事実なのかもしれない。
ただ、タイミングが最悪なだけで、確かに自分たちの家族は、それぞれ離散していると言えます。
悩みも打ち明けないし、辛かろうが嬉しかろうが、共有はしなかった。
家族として機能していなかったのに、今更まともな家族やれるわけがなかった。
事実、高校に行かなくなった時も、話なんかしていないし、将来のことも聞かれた事がない。

鶏が先か卵が先かになっていまうのですが、『妹の件』はきっかけに過ぎず、要はリミッターがついに爆発しただけだと思います。
元々が絡まった糸のように、何処が何という段階はとっくに過ぎていたのだと思います。
だからそこに執着せずに、1日でも早く親と縁を切るのが本当に正解なんだと改めて思いました。


さて大学卒業後、結局内定を取れなかった僕は、何か武器が欲しくて、元々絵を描くのは好きだったくらいで、『デザイナー』というという『オシャレそうだな』という肩書き重視で、またそんなに考えもせず『職業に貴賎なし』を真っ向から否定する感じでデザインの専門学校に通い出した。

だけれども、大学の卒論、新しい生活と、妹事件、家族が狂っていたことにいよいよ向き合わなくてはならなかった件、鬱状態の悪化による病院の変更(ODしても余るくらい困った量を毎回大量に薬を出すイカれた病院)、催眠術(3万円)にも1回通った(効果はなかったが)たりしているうちに、専門学校に通えなくなってまた初っ端からまた休学することになった。
ちなみにこの時期に多分初めて1回入院もしている(記憶が曖昧ですみません。閉鎖病棟ではないです)。

ただ別に入院したからといって、劇的に変わるはずもなく、カウンセリングがあるわけでもなければ、ミーティングがあるわけではなく、人との交流があるわけでもない。
食事が毎日3回出てきて、薬を看護師さんが管理するというもので、一人暮らしと違うところは『人がどこかにいるかいないか』の差であったし、入院のお金も当然安くない。
何もできていない自分は焦燥感に苛まれて早々に退院した。

そこからまた、『引きこもりの生活』が始まった。
実家には『妹の息子』がおり帰れないので、専門学校に近くでまた一人暮らしを始めた。
その間に甥『妹の息子』に初めて会った。
4歳くらいだと思う。
会ったのはこの頃1回きりで仮面ライダーのベルトを渡した。
ちなみに妹は実家にはいなかったが、どうせ「関係ない」と言われるのと、ある程度問い詰める父が流血沙汰、警察沙汰になるほど暴力的になるのと(常に父から、自分からは一回もない)、疲れていたのと、何より現状に辟易していたので訊くのはやめていた。

ちなみに、妹は今は焼肉屋の男性と再婚して、最初の子とは別に4人くらい子供を出産したというが、もうどうでもいい。
むしろDV男の長男のほうが心配だ。
1人だけ半分血が繋がっていない上に、『僕の』両親に育てられているらしいから。

可哀想だけれど、だって、関係ないから。


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