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メンタル地獄日記 -自分を恥じている(後編)-

急に学校に行けなくなった。
いや、急にではない。
もともと学校は小、中、高と休みがちだった。
ゆたぼんではないですが、僕もやはり学校は基本的に嫌いでした。
そして、正直な身体はついに動かなくなった。

僕はいわゆる『大人になってから発達障害』と診断された人間で、それまでは鬱のみだった(癲癇は大学生から)。
だから、順番は逆で元々持っていた発達障害から二次的に鬱を発症した、という診断になっている。
だから通称『頑張る』は僕の場合は『無理をしている』と今なら俯瞰して言える。

そして、高校2年生のGWについにその無理に限界が来た。
朝起きられない、制服が着られない、準備ができない、靴が履けない、一歩も動けないというデバフが急に発露した。
親、周りからみて「急に何でなん?」となった。
実際、僕は「限界が来た」としか言えなかった。
それからしばらく休み続けた。
週末土曜日には父親の車で無理やり学校の近くまで護送され、帰られかけたことがもあったが、結局車から降りられなかった。
定期的に殴られて喧嘩になったし、警察も呼んだ、呼ばれた。
行けない理由を訊かれたことはなかった気がする。
が、これは記憶から消したのかもしれない。
担任の先生とは、話していない。会ってもいない。これは覚えている。

例えるなら、貯金箱に『基本的に無理をしている』という名の硬貨を貯金し続け、満タンになっても入れ続け、貯金箱ごと爆散したという感じ。
残っているのは『無理してきた』という使えない硬貨のみ。

そして休み続け、結局一旦は『休学』という形をとった。
学校を休学した僕は、堕落の限りを貪った。
寝たい時に寝て起きたい時に起きる。
ゲームやTVや映画やネットばかり。
立派な引きこもりになった。

それから1年後、1回だけ担任の先生が来た。
何を話したかは覚えていないが、結果僕は『留年する』という意思がなかったので、高校を中退した。
その時の母の一言が忘れられない。

「お金返して」

この一年間、一回でも「学校をどうするのか、これからどうするのか」と話し合ったことがあるならいざ知らず、この一年訊かれた事すらなかったのに。
脳天にハンマーを喰らった気分だった。
身勝手なのは十週承知だが、僕が頑張る理由は『親がいる環境から一刻も早く抜け出したくて』だ。
それが目標だったのに、敵がさも被害者ぶる気がして許せなかった。

なぜ僕がこんなにも両親を嫌っているのはまた一旦別の機会に話させて欲しいです。
もちろんこの文章の流れからいって、「お前のほうが身勝手すぎるだろう」「お前のほうがクズだろう」と思われるのは重々承知です。
客観的に見たらそうだし、そう思われても仕方ありません。
でもうちの家庭にはけっこう複雑な事情があるので、一旦今回のテーマを完遂させて頂きたく思います。

さて17歳無職になった僕が何をしたかというと、ニートになった。
ニートというか、時々バイト人間になった。
警察呼ぶくらいには家庭は崩壊していたので(というか元々崩壊していたのだけれど)一人暮らしを始めた。
一応高卒認定試験(旧大検)はとっておいて、そこからフリースクールみたいなところに通い、そして4年ほどだらだら過ごして、大学に入学した。
ちなみに心理学科です。

…ということなのですが、大人になった今思う。
親も人間、完璧じゃない。
ただダメ過ぎただけ。
僕もダメ過ぎたただけ。
でも、子供には親は絶対的存在で、どうしょうも出来なかった。
どしたら正解だったのか今でもわからないし、たぶん最初から不正解な家族だったのだろうと思います。

恥知らず、今日も生きている。


ここまで読んでくださりありがとうございました。
またです。


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