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メンタル地獄日記 -自分を恥じている(前編)-

今回は前回のザクっと箇条書きしたものを深掘りしようと思います。


①自分は病んでいることを恥じている
鬱というのは本当に厄介な代物で、鬱の地獄にハマったのに治ってもご褒美がないどころが再発の危険の方が高いという。
「やってられるか!」と、僕は思っている。

多分なんですが、メンタルを病んでいる人はもれなく「自分と他人を比較する癖」というか性質があるんじゃないかと思う。
そしてもう一つは「うまくいっていた頃の記憶と、できなくなってしまった自分」も比べていると思う。
更に書くなら「取り返したい。あるいは鬱になった分の元より上になりたい」とかあるかもしれない。
レアケースかもしれないが「映画、小説、漫画やゲーム、アニメのキャラクター、つまりフィクション」と比べている人もいる。
最後に「他人の子と比べてお前は〜」みたいなことを言う親がいたかもしれない。というか僕は全部ある。

でもおかしな話で、社会(学生時代を含めても)は能力至上主義で、比べる沼にハマる構造になっている。
ちょっと前から『マウント』と言う言葉が使われるようになったが、まさにこれだ。

僕は小学生の時から背が低く、体も弱かった。
運動もできなかったし、よく体調を崩したし、喘息持ちだった。
喘息に関しては別途で述べるとして、小学生あるいは中高と男子にとって運動ができる、身長高いだけでなんか偉いというかカッコいいというか、もてはやされる傾向があるのは事実だと言う認識ある。
ひがみですが。

じゃあ、僕の子供の頃の強さって何だったのか?
『学校では他の人よりテストの点が良かったりした』こと。
それだけが僕のプライドだった。
だから、クラスメイトに「お前背低いな」とか言われてからかわれても、そいつは僕より圧倒的にバカなので気にしなませんでした。
いや嘘ゴメン、少し、いやかなり傷ついていました。
それでも、今の僕よりは心が強かったのかもしれないです。

でもまぁ、それだけで小学生のうちは『天才』とか呼ばれていたのだけれども、実はそれが苦しかった。
なぜなら塾にいけば自分は下から数えたほうが早い劣等生だったから。
別の学校には自分が足物にも及ばない化け物みたいな天才がうようよいる。
僕が学校でテストの点が良かったのは、『勉強を頑張ったのではなく、単に頻繁に塾に通っていたから』『まだ小学生なので問題のレベルが低いから』の二つ、それだけ。
自分から勉強した記憶は一切ありません。

中学生あたりになると、別の学校から来る天才と競わなくてはならない。
更に差は広がり勝てない。
思春期で自意識過剰な中学生の頃には『背の低い』『運動もできない』『成績も目立たない』の自分の出来上がりだった。
何もなかった。
親には他人と比べてむちゃくちゃ言われた。
努力もしなかった。
中学くらいからもう難しいし、これは発達障害のせいにしたいのですが、やたらケアレスミスも増え出した。
特に英語。
なんでローマ字読みじゃないのか。
なんでサイレントイーターなんて面倒くさいものがあるのか。
例えば『ギター』はなんで『gitar』じゃなく『guitar』なのか。
単語ごとに覚えるのがしんどかった、という『話せるようになる』授業をしないのはなぜなのか、筆記ばかりで辟易した。
というかもう諦めていた。

自主的に勉強するのは期末テストの前日徹夜だけ。
夏休みの宿題は最後の2〜3日で泣きながら終わらせるなど、苦労を先延ばしにする人間だった。
今でもそんなところはありますが。
宿題が間に合わなかったら、始業式を休んだ。

プライドと世間体だけは一人前のがらんどう。

でも勉強をしないと、この環境(親や地域、要は環境)からは抜け出せないと思ってはいたので、高校は無理やり勉強させることで有名な高校に入学した。
一コマの授業が70分だったか90分だったか覚えていないが、朝6~7時に朝食もそこそこに自転車で最寄りの駅(これが『自転車で』20分かかる)へ行き、電車を2回乗り換えて(多分合計1時間強くらい揺られた)、最寄り駅(から歩いて30分くらい)の某私立学校。
当然帰る頃には夜7〜8時くらい。
当時の僕は本当にバカだったらしく、『学校までの距離を毎日通学する』というのを本当に考えずに入学してしまった。

そして2年生のGWあたりで、急に学校に行けなくなった。
(後半へ続く)


なんか長文になりそうなので、ここで一旦切ります。
読んでくれてありがとう、またね。


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