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メンタル地獄日記 -人間関係(フリースペース)-

本来なら④悪夢をよく見るについて語る場面ですが、やはり自分人生を時系列順に振り返りつつ、要所要所にテーマに触れた方が自分には合っていると思いました。
なんせ頭が散らかっているもので。
だから、悪夢障害につきましてはかなり後になります。申し訳ありません。
今回は高校中退後のフリースペースについて詳しく書いていこうと思います。
そして、ここからどういう風に病んでいったかを改めて書こうと思います。
先にも書きましたが、一人暮らしを始めた頃の当初は今ほど親子関係は捻れていませんでした。
最初に狂いだしたのは大学4回生の時、妹の件が発覚してから、雑巾を絞るように捻じ曲がっていった、という感じです。
だから、大学卒業まではテーマは『人間関係』になります。

さて、高校を中退した僕は親が見つけてきてくれたフリースペースに通い出した。
そして場所が実家と2時間も離れているので、近くで一人暮らしを始めた。
初めての一人暮らしはやはり楽しかった。
家族がいないという面で、大喧嘩にならずに済むし、好きなものを食べられるし、不摂生になれる。いつ寝ていつ起きても構わない。

フリースペースが具体的にどういう場所かというと、不登校、ニート(大体中学生〜20代くらいまで)が一角のテナントで好き勝手に過ごす場という感じです。
某大学教授が運営をしており、常に2~3名のスタッフさんがシフトでいる感じ。

自由というよりは勝手気ままという感じなので、来なくてもいいし、空いている時間ならいつ来てもいいし、フリースペース周りを散歩してもいい。
レクリエーションなどでドッジボールやることもあるけれど、基本的には勝手気ままな空間。
別に『フリースクール』と書いてもいいのかもしれないけれど、高校に行ってない代わりにある程度の勉強をする場所ではなく、勉強したい人はすればいいし、ダラダラしたい人はダラダラしたらいいし、と自由と言えば聞こえがいいけれど、やはり勝手気ままな場所だったと思います。

通っている人はもちろん色々な人がいましたが、今で言う『極のメンヘラ』『地雷』ほど激しい人追い詰められている人は少ないというか、いない感じ。せいぜいリスカくらい(それだけ、現在の子供に対する圧が過酷だという事だけれど、話が逸れるのでまた今度)。
むしろ「なんで来てるの?」「普通に学校行けるだろ」くらいの感じの人が多い気していたけれど、それぞれ言えない事情をかかえていたのかもしれない。
僕も他者から見た軽微に見えただろうし。

僕がフリースペースでどう過ごしたかと言うと、16年間自分なりには勉強勉強できたので、ゆっくりした。もっと言うなら無駄に無意に時間をダラダラ浪費した。
自分は、やはりどうも『さぼりたがり』の癖も持ち合わせていたようで、結局大学に入学するまでの4年間ろくに勉強もしませんでした。
今でも、自分を律するのは苦手だ。

17~21歳のいわゆる『青春時代』をここで過ごしたので、どういう人間関係があったのかをゆるく書こうと思う(詳しく書けば、下手したらプライバシー侵害になりかねないので)。
結論から言うと『未熟で自己中心的』『うまく関係を築けなかった』、この2つにつきる。

①未熟で自己中心的
やはり自分はずっと、小、中、高、、周りの大人、先生、親、地域を全て見下していた。
見下すのが基本形態なのだから、感謝の『か』の字もない。
今振り返ればわかるのだけれど、当時は全然わかっていなかった。
そしてそれは普通に伝わる。
ふとした一言からバレたりもする。
『こう言う心根なんだろうな』というのはなんとなく知られている。
自分はうまくやっていたつもりが、裸の王様だった。

②うまく関係を築けなかった
当然自分が魅力のない人間なのだから、いい人間関係は気づけなかった。
ただこれは、僕だけに限らず皆どこか一線を引いている感じがした(気のせいかも)。
当時は(今も)基本形態が捻くれているのだから、この社会は僕にとって難しすぎ、と世を拗ねていたのも事実としてあります。
そして、成長しないまま大学に入学しました。

『感謝が大事』とはよく言われる。
そう思う。
社会に出てからは本当にそう思う。
僕は「ありがとう」が口癖だし(正確には口癖にした)、文脈が繋がってなくても言っていたりする。
でもどうなんだろう、と時々思う。
この世界は、どうしても『灰色のフィルター』がかかって見える。
また色づく日を夢見て、なんとか生きています。


ここまで読んでくださってありがとうございます。
次はフリースクール時代を深掘りするか、大学時代を描きたいと思っています。


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