見出し画像

地元への執着の正体(日報 2019.6.27)

今月は、原体験を探っている。原体験がコアエンジンでもあるはずなので。

幼少期の頃を思い出して自分なりにこのように解釈した。幼少期はその頃気がつかなかったけど、自分が置かれた環境を打破するという発想すらなく、面白くないけど何とか生き続けるしかないなぁと考えていて、同じ地元でも楽しそうに遊んでいる同世代をいいなぁと思いながら見ていた。

大人になって地元に執着していたのも、こじらせていたというかあまり満足していなかった幼少期の思い出をなんとか解消したかったんじゃないかなと思う。

結果として地元で楽しく(つらい時もある)会社をやっていて、なんとなく昔のこじらせもほどかれてきて、地元に対する変な執着もなくなってきた。妻や子どもの家族の存在も大きい。

幼少期の我慢(というか、どうにもならない感じ)が原点にあって、中学から社会人までいろいろ身につけたものを使いながら、我慢してたものをスパークさせているような感じ。

みんなと遊びたかったけど、その輪にうまく馴染めないんだけど、その輪になんとか居続けようご機嫌をうかがうなどして踏ん張っていた幼少期だった。会社をやるにあたって、旅行行ってもお土産禁止とか、忘年会を業務中にやるとかしてるけど、「お土産買って行った方がいあかなぁ、、、」とか「飲み会参加した方がいいかなぁ、、、」とか気を遣わせたくないからなんだかど、それは「気を遣わずみんなで遊びたい」というのを、もう一回やり直したいと思っているからかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?