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騎士Aに出会って1年~変わったことと、今の気持ち

騎士Aに出会って1年が経ちました。

何度も書いているから、自分の騎士Aに関する略歴をすぐに書けるようになりました。

私は一年前の2021年2月14日、豊洲PITへ娘(💚リスナー)の送迎に行き、ライブ終了を待つ間にふと娘の好きな人に興味がわいたのがきっかけで、騎士Aとしゆんくんを知りました。
ライブ翌日からしゆんくんの配信を聴き始め、本気で応援したくなってTwitterアカウントを作りました。
6月はじめ、娘の同担拒否にあい、しゆんくんの個人配信を聴けなくなりました。さまよっていた時、6月8日のそうまくんの個人配信を聴き、そうまくんを好きになり始めました。配信を聴く回数が増えるにつれ、そうまくんが大好きになりました。台詞も歌も大好きになりました。
9月のライブは娘と一緒に参戦。以前より不登校で引きこもりだった娘は、それに加えてだんだん食べ物を食べなくなり、10月に緊急入院。12月のライブは一人で行きました。

そんなこんなで、あっという間の一年でした。

一年前と今とで変わったことは、大きく二つあります。

一つは、私自身の時間と気持ちの配分です。それまでの私の中には、純粋な自分だけのための趣味・娯楽というものが、時間的にも気持ち的にも全くありませんでした。子どもが生まれる前は、読書も映画もゲームも大好きでしたが、出産後はそれらのものは一切やらなくなり、社会生活、家庭生活はあれど個人生活はない、という状況でずっと生きてきました。
(リアル以外で)だれかを好きになり応援したいと思ったのは10代のころ以来です。免疫がない、とはまさにこのことで、私は〇十年ぶりに好きになった彼らに恐ろしいほど夢中になっていきました。仕事も家族も全部後回しになりました。このnoteを書くので、他のものを書く意欲がなくなり、他の活動のブログ等は今も全て滞っています。(私は、書きたい気持ちが満たされると書きたくなくなってしまうので。)

もう一つは、娘との距離です。一年前の時点では、娘が何を考えているか全くわかりませんでした。不登校になってからは部屋に引きこもり昼夜逆転していて、親としゃべるときは欲しいものがあるか、罵声を浴びせるかくらいでした。それがあるときから、反抗期を抜けたのか、身体的精神的に弱ってきたからなのか、話ができるようになり、9月に一緒にライブに行けたのは本当にうれしかったです。
今は、入院中の娘の面会に通う日々です。私が娘に自分の気持ちを伝えることができるようになったのはそうまくんのおかげです。好きなら好きっていえ、言葉にしないと伝わらないよ、と、そうまくんは配信で繰り返し言ってくれました。

会いたかった、
会えてうれしい、
ありがとう、
大好き、
一緒にいられて楽しかった、
幸せな時間をありがとう
また会える時を楽しみにしてるね

毎回の配信で必ずそうまくんに伝えてきたこれらの言葉を、私は娘にも言葉にして伝えてみました。最初は恥ずかしいと思ったけれど、いざ伝えてみると娘の嬉しそうな様子も伝わってきて、あー、リアルのコミュニケーションでも大事なことは同じだったんだなと、

今、娘との関係は少しずつ修復されてきていて、娘も私に少しずつ言いたいことを言えるようになってきて、お互い気持ちを伝えあえるようになってきています。


最後に、今の気持ちを書きます。

こうやってそうまくんに感謝を伝えることが、今のそうまくんへのプレッシャーにならないか心配でもありますが、そうまくんにもらったものによって私の行動が変わり、その結果娘とのコミュニケーションがうまく撮れるようになってきているのは事実です。

以前にも書きましたが、「そうま」という活動から紡ぎ出された歌やせりふ、配信の一言一言が、人の心を動かし行動を変えてきたことは事実なので、中の人がどうであったとしても、作品の力を定することはないと、私は思っています。実際に、そうまくんの歌は、今回の炎上で初めてそうまくんを知った人からも支持されています。

もし、そうまくん本人が、これまで作り上げてきた(そして俺の子たちによってさらに崇高になってしまったかもしれない)「そうま」像と、中の人とのギャップに苦しむのなら…

同じことを繰り返してまた破綻するくらいなら、等身大の姿を見せて活動するのもありだと思います。何があっても活動を続けたいという気持ちが本物なら、どんなところからのスタートでも、やり直せると私は思います。


そうまくん
待っているね、という言葉は圧になる?
私は、そうまくんの力になりたいだけなんだよ。
なんて伝えたら、力になれるかな…


※写真は騎士Aツイッターより。

途中で落書きしました(^^)
この先も一緒に…

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