今日の絶対は明日の絶対ではないということを車から学ぶ

こんにちは!
光秀マインド足立聖忠です!

2月に入り自動車業界は春に向けて忙しい時期になってきています。春は学校や仕事などライフスタイルの変化が起こる季節です。車は地方ほど生活に密着するものであり、必要になったり、不要になったり、使い方が変わったりします。この業界で仕事をしていると、ふと思うことがあります。


万能で、究極の車が一台あれば、みんなそれに乗ることで生産性の向上、部品の共通化、コストの削減とかにつながるのではないか。


もちろん車の産業は日進月歩最先端の技術により、性能面安全面が変わっていくので変化するものではありますが、色や内装、シートの生地など個性や好みをオプションや改造といった具合に車に求める人がほとんどです。
近年は若者の車離れという話もよく聞き、車で自己主張(他人との違いをだす)ことは昔ほど重要視されず、どちらかと言えば維持費や使い方に関する選び方が多様化してきたように思います。
私が大学生の時に経営学について学んでいた時にこの話にぴったり合う時代があったことを知りました。

アメリカの自動車メーカー「フォード」です。1900年の初めごろに様々な自動車メーカーが自動車の開発に取り組み、しかしながら庶民の買えるものではなく、一部の人の高級品だった自動車をフォードは大衆車へと変革をおこします。

当時は職人が様々な技術を集結させ作り上げる車はコストも高く、生産にも時間がかかっていました。そんな中装備をできるだけ簡素化し、今では車の製造の常識となっているベルトコンベア方式を開発し、流れ作業で自動車の生産を行いました。
またフォードの大きな成功の一つに、フォード・モデルTという単一の(オプションや嗜好部分をそぎ落としたもの)モデルを大量生産することで劇的にコストを下げて価格を大衆デモ買えるものにしました。ピーク時にはアメリカ全土の半数がこのモデルが走るというシェア50%を超える車種となっていたようです。

フォードはこの成功をもとにモデルTを更にコストカット、大量生産し続けました。しかし約20年もの間単一モデルの製造(色も黒一色)し続け、そのころには車は金持ちのおもちゃという物から大衆の交通の手段という時代の変革をもたらしたものの、世間は手の届く交通手段から、より良いものを求めるようになっていきます。しかし当時のフォードはそんな社会の変化に対応することなく単一モデルを作り続け、他のメーカーは生産コストや品質を向上させながらも顧客のニーズ(色や装備)に対応できるモデルを出し続けます。そして数年後モデルTに乗る人は激減し、自動車のシェアをGMに大きく奪われてしまいます。

この歴史を聞いた時に、今の自動車社会のメーカーの多さや新モデルを出し続ける競争社会の始まりを生み出したのだと感じました。

どんな業界や活動でも必要とされたり、喜ばれることはずっと続く事ではなく、今に満足せず時代の変化に柔軟になれる思考が必要だなと改めて思います。

新型クラウンが発表されたとき「クジラみたい」と思ったりしますが、現車がまちを走りだすと車高の高いクラウンはある種新しい存在感を出しています。流行るのか、個性的になるのか、

さて最近私の不登校時の記事が閲覧数一番伸びてるので、このあたりのことを何度かまた書いてみたいと思います。

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