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ウイルスは怖いけど、より強く、生存本能に訴えてくるのは。 byみつばち1号

昨日から、電車に乗っての仕事場への出勤を控えて、自宅や地域のカフェで仕事することにしました。新型コロナウイルス。わたし自身は健康だけど、取材でインタビュアーを務めることも多く、自分がうつしてしまうような可能性はできるだけなくしたい。
カフェを利用するのは、気分転換半分、あとの半分は、自宅に籠城するばかりではなく、少しでも誰かのスモールビジネスにお金を落としたいからです。親切心ではありません。自分たちを含めて停滞する危機感がすごくあるんです。

みつばち社えいが部活動で、週に2〜3回ペースで通っていた映画館。出勤のほかに、これも控えています。大きな資本のところはさておき、ミニシアターを心配しながらです。映画のつくり手、配給会社、映画館…。映画ファンとしてとても心苦しい。
ほかにも、いつも利用させてもらうような、個人経営の、飲食店や小売店、旅先の宿を心配しつつ、自分たちの仕事への影響にも不安が募ります。
日頃ごいっしょすることの多い、フォトグラファーさんやライターさんのような仕事は、多くがフリーランスです。わたしたちも、ほぼ変わりはありません。ドタキャンにも、補償はありません。さまざまなイベントの中止で、ステージに上がる方々のほかにも、スタッフのみなさんや会場関係者が嘆いているように、同じような立場の人たちは少なくないと思います。一時的なものなら仕方がないけど…と、みんな思っているはず。

やっていく中で「いまがピンチのとき」というのは、あります。もちろんあります。こんな形で仕事をしている以上、覚悟もあります。でもでも、わたしたちの愛する、スモールビジネスは、小商いは、もとよりなんとかやっているところがほとんど。「なんとかやってます」の言葉が笑顔で出るうちはいいですが、不安です。直接、間接、つながっていますから、どこかが元気じゃなくなると、ほかも元気じゃなくなります。現に、ここ数日わたしが行かなくなった映画館、カフェ、銭湯もだろうか、わたしのようなお客さんはほかにもいるでしょう。それでもしも立ちゆかなくなってしまったら、そこが持っていた文化もなくなってしまいます。

文化と言いました。これは決して大げさな話ではありません。
食べることも、飲食店も好きなわたしは、以前は、いろんなお店に行きたくて、「開拓」に喜びを感じていました。それがいつからか、同じお店に繰り返し行くことのほうに、もっと喜びをおぼえるようになりました。好きなお店にはずっと続いてほしいからです。大人として、いくばくかでもお金を落とすことで、守りたいからです。何十年と続く喫茶店に行くと顕著ですが、地域の、もしかするとまちの、文化の担い手なんです。そこでの会話が、コーヒーが、音楽が、誰かの日常になり、思い出になり、いつか自分でお店をやりたいと考える人、そこでジャズでもクラシックでも、好きになったという人を輩出します。映画館も宿も銭湯も同じです。

お金が落ちなくなれば保てない。好きなものがなくなるのは、自分の世界がひとつ失われることですが、パーソナルなそれのほかに、良いもの(あるいは多様なものでもいい)に触れる機会が減れば、良いものを認めることのできる人も減るわけで、それって文化的損失です。
世の中にいよいよ余裕がなくなったなら、わたしたち、みつばち社がテーマとする“small is beautiful”だって、きっと絵空事のように響くようになるでしょう。世の中は、わたしたち自身も含んでいます。まだ前向きになる力を残してはいますが、やっぱり、不安になります。

こんなこと、この国のエラい人たちは、考えたこともないでしょう。わたしたちが望む豊かさは、無理くり開催されるオリンピックや、カジノなんかでもたらされるものではない。
ウイルスは怖いけど、生存本能により強く訴えてくるのは、いまのところウイルスそのものではないです。

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