大西みつぐ / 写真家

東京下町「深川」生まれ。長い間、大学や専門学校の「写真教育」の現場にいました。70年代…

大西みつぐ / 写真家

東京下町「深川」生まれ。長い間、大学や専門学校の「写真教育」の現場にいました。70年代より町と人の暮らしぶりを粛々と撮った「 WONDERLAND」、80年代からの東京湾岸の風景「 NEWCOAST」などのシリーズがあります。「遠い夏」で第18回木村伊兵衛写真賞受賞。

マガジン

  • ときどき写真論マガジン

    かつて写真雑誌に掲載された私の写真についての文章や、ときどき思いつくまま書いた写真展や写真集についての感想など、写真を撮っている立場で「写真」を考えてみたいと思っています。実はそのことは、20代の頃勉強した写真学校の校長である重森弘淹さんの教えでもあります。写真評論、研究者でなくとも「写真」について考えていくこと、言葉を紡いでいくことは大事だと思っています。とりあえず、全体の構成も考えず、初めての「マガジン」とします。

最近の記事

TOKYO EAST WAVES

東京の東の一番端っこにある臨海公園から東京湾を飽きもせず眺めていることが多い。左の対岸には広大な「東京ディズニーリゾート」の施設がよく見える。ここは千葉県船橋の「三番瀬」のような遠浅の海であるため、大潮の時には広大な干潟が広がり東京とは思えない風景ができ、まるで地続きであるかのような「王国」が誕生する。反対に潮が満ちている時には短い波が彼方から繰り返し押し寄せ、それらは不思議な静けさを伴い、そのまま都心へと続くかのような余韻を残し、黙って海を見つめている私の身体を容易に越

    • 「 PERFECT」でもない暮らし

       今朝もラジオで「 PERFECY DAYS」が取り上げらにれていたが、主人公の住む町について触れられることはほぼない。しかし、私は単なるひとつの設定、ロケ地を越えていくリアリティが表現されていたと思っている。多分それは界隈を知る人が感じる「無縁性 」や「匿名性」が風景とそこにひっそり佇む建物などに根付いていたからだろう。記憶の中の昭和30年前後の下町には案外あちこちにあった「片隅」だ。ヴエンダースやロケ地担当のスタッフがそのあたりを意識していたかはわからない。それでもそうい

      • 小津安二郎監督の故郷で映画上映

         2019年に完成した自主映画「小名木川物語」を久しぶりに上映していただけることになった。それもあの小津安二郎監督作品上映のプレイベントとして。  この映画の制作の経緯はとても長くなるので、公式サイトを見ていただければと思うが、2012年にひょんなことから「映画でもつくれるのでは!」ということで、私のかつての地元の町近くにあった「ブックカフェ・そら庵」に集まる人々とユルユルとはじまった。  舞台は「小名木川」という川のある町。江戸時代、家康が命じて造らせた水運のためのまっす

        • noteを再開します!

          4ヶ月ぶりの執筆となります。  9月はじめに眼科での入院手術があり、1週間で退院したものの、眼の不調が続き、このnoteを長い間休んでいました。身体的な辛さもありますが、これまで3年ほど「写真」についてその都度頑張って書いてきていますが、どうもこの「note」の認知度があまりないものなのか、友人知人、あるいは仕事先などのみなさんが読んでいただいている気配もなく、どうしたものかと考えているところでした。  もともと、写真雑誌を中心として文章を書いてきていますから、一定の読者

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        • ときどき写真論マガジン
          40本

        記事

          小品展のお知らせ

          本来、もう少し後に、しっかりした構成と展開での写真展を考えていましたが、ちょうどよいイベントが重なり、相乗りする形で今年2回目の写真展を行うことにしました。 大西みつぐ写真展「川の記憶、水の夢」 2013年8月19日(土)〜9月30日(土) THE SHARE HOTEL LYURO (清澄白河)  初日の19日は夕刻から(20時まで)、 ここで19日のみ「隅田川マルシェ 2023夏 清洲橋」という催しが行われます。 テラスからは隅田川を行き来する船とライトアップ

          小品展のお知らせ

          海辺のカメラノート 3 発見するということ

          「見よう」という意思、「見えてきたもの」  この暑い時期に、近所だからといって臨海公園に行くのはさすがに躊躇してしまいますが、夕方の太陽が西の低いところにあるのを確認しちよっとでかけます。まぁ散歩のようなもので、写真作品を作ってやろうとか、私は今崇高な実験をしているのだといった感は全くなく、カメラを置いてくるのはなんだか忍びないからという理由で軽いミラーレス機などを小さなバックに入れて自転車を走らせます。思えば、そんなことをこの夏場に限ってもここで延々と40年やっていること

          海辺のカメラノート 3 発見するということ

          海辺のカメラノート 2 波打ち際で

          とりあえず「目につくもの」  限定された波打ち際で写真を撮るということを課題として、実際に現地に行ってみました。1週間に一度は自転車に乗りぐるりと一回りする公園なので、そこがどんな状態になっているかはわかります。実は臨海公園には「人工渚」の砂浜もあるのですが、人けのない波除の石などが積まれているエリアで撮ることにしました。  これは案外難しい「対象」です。なぜならば、常にそこには波打ち際に打ち寄せられたモノが散乱しているからです。まずここで美しい海岸なり水辺の景観を撮ろうと

          海辺のカメラノート 2 波打ち際で

          海辺のカメラノート 1 私はなにを撮ればいいのだろうか?

          近所の公園でずっと写真を撮ってきた  本格的な夏が来る前の蒸し暑い平日が好きです。昨日久しぶりに自転車で近所の葛西臨海公園に行きました。ほんの5分ほどのところにあります。このあたりは1980年代からずっと撮ってきているエリアです。隣の東京ディズニーランド開園が1983年。それまでの下町らしい町(砂町)から、ちょっと雰囲気の違う新しい「街」に引っ越し、まだ造成中の臨海公園を散歩しつつ、折からの「ウォーターフロント」ブームで人が集まりはじめた公園や人口渚を中判カメラ(カラーフ

          海辺のカメラノート 1 私はなにを撮ればいいのだろうか?

          写真展を終えて・なぜ「写真」は売れないのか?

           今回の個展は昨年から続く「50周年」の勝手な企画展の第二弾。昨年10月のEPSON・エプサイトギャラリーでの「島から」に続く展示でした。  1970年代のモノクロ・オリジナル写真に絞ったのは別に説明させていただいた通りです。  KKAGの桑原さんのお力でとてもいい展示をさせていただきました。心より感謝いたします。1980年に新宿ニコンサロンで展示した作品の原形がいくつか混じる今回のプリントは、決してきれいなものでなく、かなり下手くそな20代写真青年のその都度の年のプリント

          写真展を終えて・なぜ「写真」は売れないのか?

          写真展「町の灯りを恋ふる頃」に寄せて

          「ジェットコースターに乗る人々」 ずいぶん昔のことだが、須田一政さんがご自分の個展で「70年代の東京の人の顔が懐かしい。今の人の顔と違いますね」と呟いたのを聞いたことがある。今とはその時点の確か90年代のある日だった。それからさらに20年後。WHOが「コロナ緊急事態宣言終了」した「今」。須田さんが呟いた頃よりもさらに東京の人々の顔つきは変わっているのではないか。マスクを取り外した後ならなおさらかもしれない。  1969年に浅草花やしきで撮った写真。日本一古いジェットコース

          写真展「町の灯りを恋ふる頃」に寄せて

          「須田一政への旅・旅ふたたび」

          追悼 須田一政 (日本写真家協会会報への寄稿)  2020年11月に刊行された須田一政写真集「 EDEN」。2019年3月に他界された後にこれだけのボリュームの新作を上梓される写真家も珍しいのではないか。思えば、いつも須田さんは口癖のように「新作でしょ新作、写真は !」と言っていた。70年代から次々と意欲的な作品を発表。自分の「型」を自らが壊しながら、挙げ句の果てにウロボロス神話のように自分で自分の尾を噛み円環として現代写真の最前線をグルグルと廻り続けてきたのが須田さんだっ

          「須田一政への旅・旅ふたたび」

          連載「須田一政への旅」最終回

          須田さんが多弁になる時、そこには決まって「写真」以外の「もう一つの世界観」が提示されていた つげ義春への旅 「風姿花伝」以前の須田さんの写真については、「天城峠」以後カメラ毎日に発表された70年代前半の「奥羽蝉しぐれ」(73年2月号)、切り抜き(73年3月号)、面影(74年7月号)などを熱心に見ていたが、実際はそこに収まりきれない数の写真を撮っていたようだ。2000年に刊行された「紅い花」(ワイズ出版)にはその頃の写真がぎっしり詰まっている。東北、関東、静岡、岐阜など、

          連載「須田一政への旅」最終回

          連載「須田一政への旅」第11回

          旅から旅へと軽いフットワークでシャッターを押し続けていた須田さんが、独自に確立した「芸」である 「風姿花伝」という指南書  律儀に正座する須田さんの顔には、あろうことか駄菓子屋の「変装メガネ」。ちょっと照れつつ俯き加減で手を組み、まるでご自分の写真集「風姿花伝」(1978年)に出てくる被写体になってしまったかのようだ。確か80年代半ば、ゼミ合宿の大阪の居酒屋でめずらしく私が撮った記念写真。 70年代、須田さんは日本各地を旺盛に撮り歩いている。「風姿花伝」は『カメ

          連載「須田一政への旅」第11回

          連載「須田一政への旅」第10回

          須田さんが この現在の神田にいたら、なにをどう撮っていただろう 「角の煙草屋」を探して  須田一政さんは神田須田町の出身ではなく「神田富山町」。昨今はそうした地名も行政的にほどよくまとめられてしまったが、久しぶりに歩いた須田さんの旧家の近くには「神田紺屋町」、「神田北乗物町」という江戸期からの町名も残っていた。須田さんが江戸っ子であることのなによりもの証明だ。80年代から90年代にかけて、須田ゼミの授業や須田さんの個人ギャラリー、「平永町橋ギャラリー」へと毎週のように神田

          連載「須田一政への旅」第10回

          連載「須田一政への旅」第9回

          「雀島」 須田さんはこの島がどうしても気になり、夜中に車を走らせそこに行くこともあったという 新天地「房総」と「雀島」  須田さんが長年住み慣れた神田から千葉に引っ越したのは1987年。以来、房総半島を飽きるほど車で走り回り熱心に写真を撮ってきた。「犬の鼻」(1991年・ IPC)は最初に引っ越した千葉市稲毛区天台を起点に、まさに犬の匂い付けのように近間を中心に徘徊して撮ったカラー作品。実に楽しげに毎日シャッターを押し続けているのがよくわかる。近隣の夏祭り、お嬢さん、家族

          連載「須田一政への旅」第9回

          連載「須田一政への旅」第8回

          その「色」は変化自在で、ふっと振り返るともうそこにはない、そんな刹那の幻 胸騒ぎのカラー写真群  「日常と非日常の二律背反が併走する虚実皮膜」。2018年に刊行された「日常の断片」(青幻社)の帯には、ちょっと堅苦しい文章が付いている。名作「風姿花伝」を基軸として、それ以後の作品の多くはモノクロームだった須田作品の中で、この「日常の断片」は中判カメラによるカラー。1983~1984年にかけて「日本カメラ」に連載されたシリーズである。  須田さんのカラーは珍しいといわれたり

          連載「須田一政への旅」第8回