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爆弾を創れる人間と爆弾を作れない人間

お久しぶりです。みとひです。
この挨拶が定型化すればそれはそれでよいかと思う日々です。

突然ですが、amazarashiというアーティストの曲に「爆弾の作り方」という曲があります。
この曲は有り体に簡単に説明すると「僕はこんなもんじゃない。いつか必ず世界に認めさせてやる。と一人爆弾(歌)を作る」という歌です。

今に見てろって部屋にこもって、爆弾を一人作る。僕らの薄弱なアイデンティティ。

爆弾の作り方/amazarashi

昔は私も同じように思っていました。いつか自分を世界に認めさせてやると。自分の中にある世界で世界を屈服させてやると。
ただ、私は思うだけだったのです。いつかいつかいつかいつかと
何もしてきませんでした。昔書きましたがやらない理由はいつでもいっぱいあるのです。
爆弾の作り方がわからないとか材料費がないとか。
最近までずっと私は何者かになれると思っていました。
正確にはなりたい/なれないを見ない振りをして生きていただけなのかもしれません。
この前、会社の同僚と話した際、皆何かしら創作活動をしていました。
相変わらず私は何もしていません。
「上手く表現できないのは辛いことでは?」というまた、やらない理由を持ち出した質問に対し、「それだから創作は面白い」と返してきた衝撃は未だに残っています。
その時にふと思いました。「ああ、私は爆弾を作る側ですらなかったのだ。」と。
多くの人が何者かになりたいと藻掻く現代社会の中、本当に何者かに成れるものは既に行動しているのです。何者かになりたいと言っている暇などない。
世の中には私のように何物にもなれず世の中を憂い世界を呪うことしかできない。爆弾を作れない人間と、そんなことを気にもせず、または現状を辛いと思いながらも何者かになるために何かをし続ける人の2種類がいるのです。
私は何者にも慣れないと思ってしまいました。貴方はどうでしょうか。








こういう話を書いていると「檸檬」を思い出します。
「丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。」
最近はずっとこんなことを考えています。

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