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やらない理由はいくらでもあるがやる理由は微塵もない。それでも…。

こんばんは。みとひです。
2日に1回くらいのペースが個人的には丁度良い気がしてきました。

正直に言えばNoteでの記事作成はやりたくない。
自分の脳内にある考えを文字として出力するのは疲れるし、時間もかかる。
タムパという言葉が流行る現代において、これほど無駄な時間はないだろう。
そもそも他にいくらでもやりたいことはあるのだ。
動画みたいとかツイッターみたいとかソシャゲやりたいとかゲームしたいとかそもそも寝たいとか。
娯楽がいくらでも溢れる時代のため、時間はどれだけあっても足りないし、やりたいことは幾らでも出てくる。
そうなった時にこんな面倒くさい作業をやろうなんて思う人は稀だろう。
冒頭に書いたように私もやりたくない。
時間効率の話を除いたとしても、インターネット上にいくらでも文章なんて物は転がっている。
きっと私が今まで書いてきたようなことも、もっと分かりやすく簡潔的に書いている人がいるだろう。
そもそも書いても誰かに見られることは、ほとんど見られることはない。
もっと有名な人が書いた文がいくらでもあるのだから、読む理由すら見当たらない。

そうなってくると本当に書く気がなくなってくる。めんどくさいし。
書く理由も特になければ書かなきゃいけないわけでもない。

ただ、それでも私は書いている。
勿論誰かに強制されているわけではない。
そこには、自分の思考をこの世に残したいという思い
誰かに見てほしいという承認欲求。
何より、他の誰かが同じことを書いていたとしても、私の中に生まれた思考を具現化した物は私だけの味があると信じている。
そしてその味付け味付けが好きな人も中にはいると信じている。
私の場合、思考を止めることはできない。
なら、書いてみればいつか面白いと思ってくれる人が出るかもしれない。
そういった人に見てもらうために、書き続けたいと思うのだ。

最後に、これを読んでくださった方で、創作(何でもよいをしたい)と思う人がいるなら、是非形にして欲しい。身近な人が何かを創った際に,
私はよく伝えるのだが、悪い創作はこの世にはない。(それをお金に変えていくのであれば別だろうが…)
自分の頭の中にあることを整理して他人に伝えるのは難しく、時間のかかる作業であるだろう。やらない理由なんて幾らでもある。それでも、僕は貴方の作品を見てみたいと思う。つたなくても自分の思いの丈を注ぎ込むという行為には一種の快感がある。(私もその快感に魅入られた物の一人かもしれない)
将来、黒歴史になるとしても、その瞬間行動し、完成させたことを私は尊敬する。きっと自分の中での逆風は多かったはずなのだ。
そして、もしよければこのコメント欄にURLでも記載しに来てもらえると嬉しい。これをみた貴方がどんなものを作ったのか私は見てみたいのだ。












ところで、エッセイって創作なんですかね?

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