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怖い怖いの繰り返しでつまらない大人へと変化する。

はじめまして。みとひです。
最近ハマったあるゲーム作家の方が、毎日Notesでエッセイを上げている。
日によって文字量もバラバラで、多いときもあれば少ない時もある。
ただ、人の考え(ひいては脳内まで)を把握したいと思う私にはこれが凄く面白い。

元々字を書くことは嫌いではないし、日頃からウダウダとどうでもよいことを考えているたちなので、エッセイとして書きたいこともある。
それに日ごろから持っている承認欲求が加わり、自分もやるしかないと感じた。

ただ一つ問題があった。私は何かを継続するということが、絶望的なほどにできない。毎日ブログでもやるかと思った暁には二日で更新が途絶え、三日坊主とまでいかなかった。
筋トレも。机の整理も。1日2食は食べると考えたのも。〇〇も。××も…も…も…。(ry 全部ぜーんぶ続けることが出来なかった。

そうなってくると何かを始めることが怖くなる。
正確には始めることではなく、継続出来ないことが怖くなる。
きっと、また続けられなかったと、既に地の底まで落ちた自己肯定感を傷つけることとなる。
自分で自分を貶して辛くなる。
そういったすべてが怖い。

「どうすれば楽になる?」
「やらなければ何も変わらないよ。」

何も変わらない。なんと甘美な言葉だろうか。
現代日本人の普遍性を求める平均的な人間からしたらこの上なく幸福的なことだろう。
声は続く

「それが世間の言う。大人になるってことなのだから。
 決して恥ずかしいことじゃないんだよ。」

凄く甘美な魅力を孕んだ声で聞こえる。
世間の言う普通を、みんなが求めてやまない普通を脳内では教えてくれている。
この言葉に耳を傾けてしまえばどれだけ楽だろうか。

ただ、そうはならなかった。ならなかったんだよ。ロック。
中学生くらいの頃、周りの人たちは口々に「早く大人になりたい。」と言っていた。
(当時は学校が世界の全てであったので、世論と言い換えても良い)
人間不信が強くそれまで生きてきた14年間で、ろくな大人に出会えなかった私は、そんな周りとは反して「大人になりたくない」「大人ってみんなつまらなさそう」と言っていた。中二病的な逆張りだとよく言われたが、本気だった。

睡眠薬が利いてきて眠いので、少し内容を飛ばしてまとめに入る。

私はあの時の自分を裏切らないために、少しでも大人にならないために。
そして未だに持ち続ける大人になりたくないという気持ちのために。
多数の怖いを乗り越えてでも筆を執らなければならないと感じた。
例えこれが2日で終わったとしても、何か新しいことを始めたということは安定を求めない=日本的な普通の大人、から少しでも離れる行為であると私は考えたからである。















子供はみんなニュータイプだからね…!










恥ずかしいので最下段に、今回書くきっかけとなったエッセイのリンクを記載しておく。面白いので是非読んでみてほしい。
毎日エッセイ|にゃるら @nyalra #note https://note.com/nyalra2/m/mc9b5e1de80c0

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