見出し画像

文字を書きたいと言う欲求 文字を書くと言う恐怖

お久しぶりです。みとひです。
精神状態は日に日に悪化し案の定エッセイは続けられず「俺は何も…為せなかった…」状態になっています。

以下本題
「本を読まないということは、その人が孤独でないという証拠である」と太宰は言った。
それが正しいのかは分からないが、少なくとも私には本しかなかった時期がある。
1日1冊は何か読んでいた時期、本の中にしか自分の世界はなく、本と一体化しているような感覚まであった。
読んでいる時の私は微動だにしないので、終わった後身体中が悲鳴を上げることがほとんどであった。
それほどまでに集中して本を読んだ。

本以外の情報手段が増えて、本を読まなくなった。
ただ、文字はずっと読んでいた。動画ブームにも乗らず文字ばかり目に追っていた。
文字はよい。自分のペースで情報を得られる。他のどの媒体よりまとまっているだろう。

さて、少年期、本を愛した人間の大抵は自分も何か書いてみたいと思い、挫折した経験があるだろう。

実は私にはその経験がない。
むしろ字を書くことを避けてきたように思う。
それこそ、書いたのは、このエッセイと卒業文集くらいのものだ

文字を書きたい。何かを表したい。そう思ったことはたくさんある。頭の中で考えることもたくさんある。それを書き出すことが出来るまで文字に表すこともできる。
ただ、文字として出力するのは怖い。

私の隣には常に文字しかいなかったのだ。
例えば私が私を文字として表して、それが一定の評価を得られなかった時、私と言う文字はきっと意味を失ってしまう。文字は情報を他人に伝える手段の一つである。他人に伝わらなければ意味がないだろう。ならば、他人から拒否されれば意味はないだろう。
だから、徹底的に避けてきた。
私を文字にするのを避けてきた。
私から文字がなくなったら何も残らないから。
頭の中は常に文字で溢れている。
そこから出力出来るのは2割くらいだ。
ただ、書き出してしまえばきっと私はそう言う奴だとそう言うやつでしかないと相手に伝わるだろう。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
否定が怖い
存在が受け入れられないのが怖い
無価値が怖い
才能がないと言われるのが怖い
書くなと言われるのが怖い
誰にも見つからないのが怖い
文字にすら見放されるのが怖い
文字を書くのが怖い

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?