父の日は感謝と謝罪の日。
癌になってから変わったこと。
私にとって父の日は感謝と謝罪の日。
そして父は泣き虫になった。
癌になるまでの父の日。
それは紛れもなく自分の父への感謝の日。
だけど癌になってからの父の日。
夫をお父さんにしてあげられなかったことへの謝罪の気持ちが生まれた。
母の日にはなんとも思わないのに。
父へのありがとうと夫へのごめんなさい。
そんな気持ちで過ごしていた父の日。
きっと夫は微塵も気にしていないけど。
SNSなどで子供たちがパパへの感謝を伝えるのを見るたびに夫に申し訳なくなって。
この日を迎えるのが少し憂鬱だった。
だけど今年は癌になって5年が経過した年。
今年は父への感謝の年にしたくて手紙を送った。
父との思い出は数えきれず。
色んなところに連れて行ってもらった。
インドアよりアウトドア。
夏は海や川、キャンプやBBQ。
冬は山でスキーやスケートに。
土日は必ず公園でもどこでも外で遊んだ。
ゲームセンターや室内で遊んだ記憶はほぼない。
外でたくさんの楽しい経験した。
父が子供の頃、祖父は自営業で忙しく、遊びにはほとんど連れて行ってもらえなかったらしい。
だから子供は色んなところに連れて行ってあげたいと思っていたんだそう。
ただ、どこに行っても誰よりも楽しんでるのはいつも父だった気がする。
父との思い出を考えたとき。
楽しい旅行の思い出だけじゃなく、私と父の冗談や憎まれ口を言い合ってきたことを思い出した。
私と父は性格がそっくり。
私のことを箱入り娘として溺愛するわけでもなく、似たもの同士、気が合うときはすごく気が合い冗談やしょうもない話をひたすらする。
似たもの同士だからこそ反発する時もあり、お互い憎まれ口をよく言い合っていた。
子供の頃、急にサンタはいないと告げらた。
「サンタなんか都合の良いおじさんいるわけがない。お父さんが日頃の行いを見てちゃんとしてたら、ご褒美にサンタのふりしてプレゼントを置いてるんだ。だからこれから日頃の行いが悪ければクリスマスプレゼントはない!」
と突如現実を教えられた。
中学に上がる頃には「うちはキリスト教じゃないからクリスマスプレゼントは終わり!」とまたしてもいきなり現実的な言い訳でクリスマスプレゼントは打ち切られた。
誕生日プレゼントも高校生になった時、誕生日は産んでくれたお母さんに感謝する日だと言い出してプレゼントがなくなった。
そんな屁理屈を言う父に無駄な抵抗をしていたのを思い出した。
そんな父は放任主義であまり娘の恋愛にも興味がなく、自分のことは自分で考えて自立しろという考えだった。
高校生の頃私が髪を染めて学校に怒られたり、化粧をして行って怒られた時、先生に対して娘は可愛い方がいいじゃないですか。勉強ちゃんとしてたら問題じゃない。と真面目に答えた父。
高校を卒業してピアスをあけようとしたら、親からもらった体に傷つけるなんて!と言うから怒られるのかと思ったら。
どうせ傷つけるなら整形の方がいいんちゃうか?ピアスで人生は変わらんけど整形は人生変わるかもしれんぞ!なんてことを言う父。
誰と付き合っているかにも興味はなく、好きにしたらいいというタイプ。
箱入り娘のように大事にされている友達が羨ましかった時期もある。
結婚の挨拶の時も思い描いてた「娘はやらん!」なんて言うようなお父さんの図はなかった。
それどころか夫に「こんな娘でえーねんな?返品は受け付けへんぞ?もらってくれるならどーぞどーぞ!」って言っていた。
もちろん結婚式の両親への手紙でも泣きやしない。
なんだか私のこと娘として大事なのかなと思っていた時期もあったけど。
癌になってから、父は私のことが大好きなんだろうなと改めて気付いた。
5年前の父の日は手術をしたばかりで入院の真っ只中。
痛みと毎日のように上がり下がりする熱の中で辛くて1人でいるとよく泣いてた。
父はそんな私が心配で父の日の次の日、夜病室に泊まってくれていた。
心配で泊まってくれた父と夜は色々語って。
私の寝るタイミングに合わせてくれた。
だけど夜中父のいびきがうるさくて、夜中何度も「お父さん!うるさーーーい!」って叫んでも全く起きない。
簡易ベッドを蹴っても寝ぼけてる父。
そんな父に怒りながらも1人で不安な夜にいてくれたこと感謝してたんだ。
仕事の合間に何度も様子を見にきてくれたり。
仕事を終えて家に帰ったあともまた夜に少しだけ顔を見にきてくれたり。
仕事に行くより朝早く家を出て私の病室に顔を出してくれたり。
私が転院を決めて、実家から離れた病院になっても遠いのに何度も病院に来てくれた。
「お母さんが寂しそうにしてるから帰ってきてあげたら?」とたまに父から連絡がくる。
その本心は自分が寂しいから帰ってきて欲しいのだと私も母も知っている。
癌になってからお父さんが1番私に対して過保護なことに気が付いた。
私の3度目の再発がわかり、治療が始まるという時、弟は結婚式を控えていた。
弟夫婦は私のために結婚式の延期も考えてくれたけれど、予定通りにしてほしいとお願いして私も治療を受けながら可能であれば結婚式に行きたいと主治医に伝えた。
複数の治療を同時に受けることもあり副作用も強いため入院しながらの治療になった。
約3ヶ月の入院。
副作用もひどく、治療で白血球もだいぶ下がっていたため結婚式は無理かもしれないと半分諦めていた。
しかし採血の結果も数日前に改善して、奇跡的に一時外出の許可をもらい、式に参列することができた。
治療による痛みはひどくて痛み止めも何個も服用して、痛みを我慢しながらの式だったけれど。
自分の結婚式よりも嬉しくて、小さかった弟が家族を持つということを実感して。
その場に無事立ち会えたことが幸せで久しぶりに会う親戚との時間も楽しかった。
そんな中、式場で誰よりも泣いていたのは、新郎新婦でもなく、私でもなく、嫁に出すはずの新婦側の親でもなく、私の父だった。
私の結婚式では涙ひとつ見せなかった父が。
あれから7年。
私が癌になり数々の苦労や心配もかけた。
そしてこの幸せな弟の結婚式。
きっと沢山の想いがあふれたのだろう。
式が始まる前からずっと泣いていた。
中座で弟が私の名前を呼んでくれて一緒に腕を組んで歩いていたあの時間。
父はもうこっそり泣くなんてもんじゃないくらい、目を真っ赤にしてハンカチで顔を覆い隠して泣いていた。
冗談ばかり言ってふざけてばかりいるお父さん。
お父さんが泣いた姿は今まであまり記憶がない。
娘の結婚式でも涙ひとつ見せなかったお父さん。
そんなお父さんは実は泣き虫だった。
というよりも私のせいで泣き虫になった。
親より先に病気になるなんてとんだ親不孝かもしれない。
しかしこの経験が今まで気付かずにいた父の優しさや愛情に改めて気付かせてくれた。
そんな父に私ができることはいつも通り冗談を言い合うこと。
何も変わらない。
特別優しくなんてしてあげない。
今まで通り冗談言って、喧嘩もして、好き勝手言い合って元気な姿を見せること。
そして父や母よりも1日でも長く生きること。
必ず来年も再来年も父の日を祝えるように。
大好きなお父さんに感謝と愛を込めて。
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