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海と裸足と歯のつめもの

週末、家族で近場の海に行った。
絵になるような青い海じゃなくて、泥で茶色い遠浅の海。

ずっとずっと雨だらけの天気にうんざりだったけど、この日この時は久しぶりに日がさした。

海辺の散歩だけのつもりだったから、水着もサンダルもなく、息子は長靴で歩いていた。

風がぐわんぐわん吹いて、髪をぐっちゃぐちゃにした。
風が吹くたび、砂粒がぴしぴし肌に叩きつけられ、みんなでいたいいたいとさわいだ。

最高の天気だった。


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3歳の息子は海で遊ぶのが初めてだった。

最初は砂で山をつくったり、足跡が残るのを面白がったり、海から離れたところで遊んでいた。

波打ち際まで行っても、無理はせず。
絶対波にふれない場所で泥団子を作って喜んでいた。
手以外は汚す気がないようだった。

「綺麗好きなんだよなぁ」
「まあ、危ないことしないし、いいんだけどさぁ」

だんなとちょっと残念な感じでこっそり話した。

ちなみに幼稚園の泥あそびでもほとんど服を汚さない。

幼稚園から着替えをして帰ってきた日に、
「お!今日はいっぱい遊んだんだ!泥遊びした?」
と聞いたら、
「てをあらってたら、そでがぬれたから、それで、きがえたの」
と言われてがっくりしてしまった。



ところが、長靴を脱いだら、突然大胆になった。

タイドプールに移動したせいもあるかもしれない。

波もなく、くるぶしほどの浅くてぬるい水たまり。岩や貝など足を傷つけるものもない、ただただ茶色い砂。

「ながぐつにすなはいった、かあちゃん、とって!とってよ、とって!」
と騒ぐので、めんどくさいからもう脱げば?と裸足にした。

すると、けたけた笑ってわざとばしゃばしゃ歩き回った。

それから「あーまちがえた」とか言いながら座り込んでにやにや笑った。

間違いなんかじゃないよ、好きなだけ汚していいし、いっぱい遊びな。

大きな景色にこちらもおおらかになって、息子が泥まみれで遊ぶのを満足して見ていた。


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旦那は寝てしまった次男をおんぶし、着替えをとりに車に行った。

私は息子が脱いだ長靴の横に、ずっと立っていた。風で飛んでいったら困ると思ったので。

息子はキヤー!と叫んで50メートルほど遠くまで走っていく。

私のそばから離れたがらない息子が自分から走り去り、点になっているのが不思議だった。嬉しくて誇らしかった。


点の息子が嬉しくていっぱい写真を撮った。

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そのうち、自分も裸足になればいいじゃんと気づいた。
足を洗うことを考えると億劫だったが、もうどうせ息子がひどいことになってるし、どうでもいいやと脱いでしまった。


きもちいい。

靴を脱いだだけなのに、世界が変わった。


タイドプールの泥の層がぬるりと足を歓迎してくれる。
ぬるくてやわらかいものにつつまれる心地よさ。


風が吹くたび、波ができ、足の下の砂も一緒に移動していく。
支えてくれていたものがさらさらと去っていき、その分少し深く沈んでしまう。
その心もとなさ。

目を閉じると意識は足元により集中した。
「自分」と「自分ではないもの」の接点である足元。

目を閉じていると、砂が風で去っていく感覚は更に強まる。逆に、自分も動いているようで、焦って目を開けると同じ位置にいた。


そんな体験を久方ぶりに楽しんだ。
広い景色、広い海。
息子はひとりで充実して遊んでいて、自身も自然を感じている。
最高!
と思ったが、一ヶ所だけ、イマイチなところがあった。

私の口の中だ。


実は今朝、カルメ焼きをかじったら、前歯の裏の詰め物がとれた。(朝からカルメ焼きってとこは無視して下さい、どうか)

ゴマくらいのちっちゃなちっちゃな詰め物だ。
息子で言うところのグーを握った隙間の光くらいの小ささ。

でも、気になる。

舌で触るとザラっとして、少し尖った部分もある。


ついつい舌で触り続けてしまう。

次男に授乳している時も、
長男を叱っている時も、
みんなで笑っている時も、
母は舌で詰め物がとれたところを触っていたのですよ。

そして今、雄大な自然と触れ合っている時でさえ。

ちっぽけなことを気にしちゃって、と思うけど、まあ人間そんなもんでしょ。

『羅生門』の下人のニキビを思い出した。



久々の晴れ間で、風はすごくて、砂は痛くて。
息子は砂まみれで母がいらないくらい充実していた。


それを見ながら私は幸せで、裸足は面白くって、ザラっとしてチクっとする感覚を舌は味わい続けていた。


歯医者行きたくないなぁ、ぼんやり気に病みながらも幸せなひとときだった。

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