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近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(21) 第5章 5.3. 方格設計都市はなぜ生まれたか

## 5.3. 古代方格設計都市はどのように成立したか?

### 5.3.1. 方格設計はどのようにして誕生したのか――従来の説

方格設計はなぜ、そしてどのようにして誕生したのでしょうか?広く普及している考え方は、次の通りです。

 1. 人類は農耕を始めた
 2. 食糧備蓄は人類の寿命を延ばし、人口が増え、都市が生まれた
 3. 土地争いがはじまった
 3. 平等な土地の配分を迫られた統治者は、土地を格子状に区切って平等に分け与えた
 4. 統治者は格子状の土地分割に、平等以外のメリットがあることに気づいた。税収を把握するのに便利であり、ひいては国民を管理するのに便利なのであった
 5. したがって統治者は新たに都市を作るにあたって、積極的に方格設計を採用したのである

非常に納得のいく論理です。しかし残念ながら、この論理は否定しなければなりません。

なぜなら、世界でもっとも早く農耕を始めたふたつの地域、メソポタミアと長江流域が、方格設計都市の採用という点では、あとから農耕を始めたインダス川流域やナイル川流域に後れをとっているからです。

なるほど、中国の古代王朝は都市だけでなく、農耕地も格子状に分けました。農耕地の格子分割(井田制)は、平等な土地配分や公平な税負担が目的でした。しかし井田制が都城制より先に誕生したとする根拠はありません。

古代中国において農地を碁盤目状に分割した井田制と都市を碁盤目状に分割した都城制は、ほぼ同時期、すなわち周の建国時に整備されたと伝わっています。で、あるならば、農地の平等分配が都市計画に影響を与えたという論理は成立しません(実際には商(殷)の時代の井田制の跡が見つかってます。そして夏の最後の都と推定されるエリトゥ(二里頭)や、商(殷)の初期の都と推定されているヤンシ・シャンチャン(偃師商城)には方格設計の萌芽が観察され、やはり、どちらが先かはわかりません)。

そして、農耕が始まって八千年以上、都市が生まれて三千年以上、古代中国は方格設計を採用しなかったのですから、そののち重い腰を上げて都城制を整備したのは、平等な土地分配とは別の理由と考えるのが筋というものでしょう。

では、都市が方格設計を必要とする理由は何でしょうか?

それにはまず、集合住宅について考える必要があります。

都市が集合住宅を必要とする理由と、方格設計を必要とする理由は、それぞれ違うらしい……という推測は、すでに述べました。

しかしながら、集合住宅も方格設計も格子構造を持つことを考えると、両者の親和性は非常に高いと判断できます。集合住宅を作り始めたインダス流域とナイル流域は、ほどなく方格設計都市を作り始めているのです。

もっとも早く集合住宅を作りながら、なぜか方格設計では後れをとったメソポタミアの事情も含めて、まずは集合住宅について考えます。

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