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土用丑考――「土用の丑にうなぎ」の風習成立に源内の関与があったとエクストリーム擁護してみる――

※ このエントリは筆者のFANBOXからの転載です。 
https://mitimasu.fanbox.cc/posts/4165057

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### 土用の丑にウナギ by 平賀源内はガセ

『土用の丑にウナギを食べる風習は平賀源内のセールス・アイデアによる』という雑学はガセです。

そんなことを言った/そんなことがあった……と断定しうる証拠は発見されておりません。

平賀源内ではなく太田南畝であったという説もありますが、証拠がないのは同じです。

    > 平賀源内が「土用の丑の日にうなぎを食べよう!」と宣伝した…はガセ/~では、いつからそんな俗説が広まったの? - Togetter
    > https://togetter.com/li/1898225

「平賀源内がそんなことを言ったという証拠はない」と同時に「言わなかったという証拠もない」のですが、本人の著作に無く、同時代の史料にも見られなければ、普通はそれを後世の創作であると――つまりは「ガセ」であると見なすのです。

さて、本エントリはこの見解をまったく否定しません。
「平賀源内はそんなことを言わなかった」
という事実を事実と認めます。

そして、その上で、それでもなお
土用の丑の日にウナギを食べる風習の成立に平賀源内と太田南畝の影響があった可能性はありえる
とエクストリーム擁護をしてみたい……という主旨のエントリです。

エクストリームって言っちゃった。

### 「丑の日にうのつく食べ物を食べると夏負けしない」という言い伝えは実在するのか


本題の前に、まずここを疑問視します。

源内説はしばしば
「それ以前から、(夏の)土用の丑に『う』のつく食べ物を食べると夏負けしないという民間伝承があった。なので、うなぎ・瓜・梅干し・うどんなどが丑の日に食べられていた。平賀源内はこの民間伝承を利用したのである」
という説明が足されることがあります。

この、あったとされる民間伝承、基本的に出典は示されずただ「民間伝承」として添え書きされるのみです。

江戸時代の書物名が示されてるの、私は見たことありません。
この風習が現代でも残る地域というのも聞いたことがありません。
いや、私が不勉強なだけという可能性は大いにありえますが。

そもそも。
栄養価の高いウナギを食べて夏バテの予防にするというのは、わかります。が、残り3つはどうでしょうか?

梅干しは食欲を増進させるので、あらかじめ栄養をとっておけば夏バテ予防になるという理屈は、まあ、わかるんだけど……それって梅干しが直接的に夏バテに効いてるわけじゃないような。

夏の土用というのは立夏からの18日間。夏は始まったばかりで、連日の猛暑で食欲の落ちるのはもう少しあとじゃないですか。

でもまあ、ここまでは、まだわかります。

瓜はどうなんだ瓜は。
そりゃあカリウムとかありますけどね。体を冷やすでしょうが。
江戸時代の夏の瓜って、ようするに現代で言えばアイスみたいな役割でしょうが。
井戸で冷やして食べるものでしょうが。
冷たいものを食べすぎるなと夏休み前に配られるプリントに書いてあったでしょうが。
なぜなら冷たいものを食べすぎると、おなかこわしてバテるから。
道徳の時間にすら、言いつけを守らずアイスを食べすぎておなかを壊す子の話を何度も聞かされたぞ。どんだけアイス恐怖症に育てたかったんだ。

冷たいから夏バテ中の食欲のない時でも瓜くらいなら食べられる、というのはあったかもしれません。
でもそれって夏負けしない(=夏バテ予防になる)ではないですよね。

おまけにうどんですよ、うどん。
どうすんだ、炭水化物じゃねーか。
うどん食べてバテ知らずならごはんでも芋でも同じだろうがよ。

うどんは体を冷やすから暑い夏にピッタリ?……って体を冷やすなっつーに。しつこいな。

冷たいから夏バテ中の食欲のない時でもうどんくらいなら食べられる、というのはあったかもしれません。
でもそれって夏負けしない(=夏バテ予防になる)ではないですよね。

「う」のつくものでも夏バテ対策でもありませんが、夏の土用の丑に疫病除けとして、すいとんやアズキやニンニクを食べる習慣があったとウィキペディアは述べています。

    > 土用の丑の日 > その他の風習 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%A8%E3%81%AE%E4%B8%91%E3%81%AE%E6%97%A5#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E9%A2%A8%E7%BF%92

「丑の日にうのつく食べ物を食べると夏負けしない」は、この風習がもとになっているとは思いますが、はたして江戸時代に本当にそんな風習があったのか、私は確認できませんでした。

この土用の丑にまつわる風習については、下記のサイトでくわしく論じられています。というか土用鰻について非常にくわしくソース付きで解説されています。
ここ読めば、私のこんな駄文を読む必要は無いってぇくらい、くわしい調査です。

    > 鰻は上質な滋養強壮食 - 蒼天堂鍼灸院トップページ   
https://www.soutendo.com/%E9%A3%9F%E9%A4%8A%E7%94%9F/%E9%B0%BB%E3%81%AF%E4%B8%8A%E8%B3%AA%E3%81%AA%E6%BB%8B%E9%A4%8A%E5%BC%B7%E5%A3%AE%E9%A3%9F/

源内説の出典とされながら、くわしく読むとそんな話は載ってないことで有名な『明和誌』(1822)にはこうありました。

『明和誌』(1822)

> 近き頃、寒中丑の日にべにをはき、土用に入、丑の日にうなぎを食す。寒暑とも家毎になす。安永天明の頃よりはじまる。

 鼠璞十種. 第二 > 明和誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1767733/16


意味は、

近頃(前項を参照するに享和(1801-1804))は 冬 の 丑の日(土用に限らない)に紅《べに》を引く。土用に入ってから丑の日にはウナギを食べる。(土用丑のウナギ食は)冬・夏ともにやる。この風習は安永・天明の頃(1772-1789)に始まった

……かと思います。

似た記述が『東都歳事記』(1838)にも見られます。

『東都歳事記』(1838)

> 寒中丑の日 ○丑紅と号て女子紅を求む ○諸人𩻠鱺《ウナギ》を食す

東都歳事記. 巻之4冬之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764263/14

意味は

冬の丑の日。丑紅と呼んで女性は紅を購入した。また、老若男女ともウナギを食べた。

です。夏土用でもウナギを食べたというのは、この時代ではまだ『明和誌』だけの記述です。

ここで、冬土用にうなぎを食べる風習が実在したことがわかります。

冬のうなぎは脂ものっていて旬の食材ですから、冬にうなぎを食べるのは妥当なことです。
しかし、紅をはく(引く)と並べて書いてある点と、土用丑に行うという点を考慮すると、一種のまじないの意味いがあったのかもしれません。
まじないであれば、うなぎの味に無関係に同じことを夏土用にやるようになったのは、うなづけます。
このまじないの効果は『明和誌』『東都歳事記』ともに記していませんが、冬と夏にだけ行い春土用と秋土用には行ってないので、オカルトだけではなく、栄養をつけることも目的だったのだろうと推測できます。

江戸時代は、冬と夏に食材不足から栄養失調になりやすかったのです。

そして天保佳話(1837)にはこうあります。

> 土用𩻠鱺
> 土用ノ丑ノ日ニ𩻠鱺ヲ喫フ事ハ𩻠鱺ハ夏痩ヲ療スルモノナレバナリ
> 殊トニ丑ハ土ニ属ス
> 土用中ノ丑ノ日ハ両土相ヒ乗ズルモノナリ
> 万乗ニ億良等ニ我モノ申ス夏痩ニヨシト、
> イフナルムナギメシマセト、アレハ古シエヨリ夏痩ニハ鰻を食ラ事ト見エタリウム相ヒ通ズ

天保佳話 - 国立国会図書館デジタルコレクション  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2538654/22

なんかところどころ意味がわかりませんと正直に言います。特に"万乗ニ億良等ニ"のところ。

ともあれ、

> 土用丑に鰻を食べるのは夏痩せを治療するためである。
> ことに、土用も丑も五行における土属性であるから、土属性がダブルで効くのである。
> 天皇に山上憶良らが「閣下、ウナギをお召なはれ。夏痩せ改善に効果ありですぞ」と申し上げている。
> つまり古くからウナギが夏痩せにはウナギが効くと知られていたのである

といったところでしょうか。

陰陽五行説において、土は動植物など万物が生じる属性ですから、土用の丑(土属性)は土がダブルで栄養たっぷりというのは、当時としてはガッテン知識だったのでしょう。

現代だと
「夏は五行で火の属性だから、水属性のウナギで夏バテに打ち勝つのです」
なんて説明されてますが。おやおや。夏は五行で火の属性でも、土用の期間中は土属性なんですが。

理屈と公約はどこへでも(嘘を)つくというやつですな。←このエッセイは参院選の前に書き始めたので、こんないらんボケが残っています。

山上憶良が万乗に本当にそんな進言をしたのか、わたしにはわかりません。
しかし、万葉集に収録の大伴家持の和歌に、

> 石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ

> (石麻呂さん、いいこと教えてあげよう。夏痩せによいといううなぎをとって食べなさい(意訳:よう、ヒョロガリwww))

というのがあるので、ウナギは栄養価が高いという知識は当時から知られていたのでしょう。

また、天保佳話(1837)の時点ではやくも冬の土用丑はアウトオブ眼中になっているのも興味深いところです。

さて、以上の証拠から

* 土用の丑の日にうがつくものを食べれば夏バテしないという伝承は江戸時代にはメジャーな伝承ではなかった
* 土用(陰陽五行で土)の丑(陰陽五行で丑)の日にウナギを食べれば、栄養失調に効くというまじないはあった
* 夏バテに効くのではなく、栄養失調に効く、である
* 現代人には理解しがたいが、江戸時代の冬と夏は食材が不足する季節。加えて寒さ・暑さで体力の消耗が激しく、栄養失調になりやすい季節だった
* ウナギが栄養失調に効くという知識は奈良時代から存在していた

ことがわかりました。

源内のはるか以前から、栄養失調にはウナギがよいという民間療法が広く知られており、源内の晩年(安永年間)には土用(陰陽五行で土)の丑(陰陽五行で丑)の日に、栄養失調の予防のまじないとしてウナギを食べる習慣が始まっていたということがわかりました。

したがって、
「本日、土用丑の日」
という貼り紙は、源内が考えたのではないにせよ、貼るだけでセールス効果があったのでしょう。

まず冬の土用に栄養不足予防としてウナギを食べる習慣が始まったとしましょう。
江戸時代。冷房の無い江戸の夏に、ウナギはなかなか売れません。
「土用のウナギと言えば冬のことだが、夏にだって土用はあるんだ。夏の土用に『本日、土用丑の日』と貼り紙をすれば、おもしろがってウナギを買うかもしれねえ」
と誰かが考え、やってみたら大当たりしたという可能性はあるでしょう。

いかにも源内や太田南畝らインテリの考えそうなユーモアであり、のちに彼らの発案だと帰せられてしまった……というのは、ありそうに思えます。

現代だと、土用の丑は夏以外にもあると説明されますが、当時は冬の土用丑がメインで現代とは逆だったのかもしれないのです。

現代において
「土用の丑に『う』のつく食べ物を食べると夏負けしないという民間伝承があった」
とされているのは、暦の上での「土用」という概念や陰陽五行が人々の共通知識でなくなったために「現代人がわかるように改変された」ネオ巷説であろうと推測します。

さてしかし、話はここで終わりません。いまの話を踏まえて、論説は続きます。
ここからがこのエッセイの主題です。

### 夏の土用は梅雨明けの象徴だった

土用干しという習慣があります。書物や着物や梅干しなどを干す風習です。乾燥させるのが目的ですから、ものがよく乾く時期でなくてはなりません。

つまりは、梅雨が明けたから行う風習です。
逆説的に、夏の土用は梅雨が明ける季節と認識されていたことになります。

梅雨と言うのはものが売れない季節です。雨の中のおでかけは誰だっていやなものです。
ということは、梅雨明けである夏の土用とは、商人にとって売れなかった梅雨時期の損害を取り戻さねばならないサマーバーゲンのシーズンです。
たとえば旬の食材である瓜の初物だとか、土用干しして出来たばかりの梅干しの初物だとか。

江戸っ子は初物が大好きです。初物を食べたら寿命が75日延びると言われていたそうですから。
これは江戸時代に実際に言われていたというソースが発見できます。

> 七十五日とは - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%94%E6%97%A5-520816

一方、消費者だってジメジメしておでかけもできずうっぷんがたまっています。買いたい。消費したい。外食したい。
梅雨で働けなかった分、ふところはさびしいが、せめてうどんくらい食べられないか。
そば人気だった後期の江戸では、うどんはちょっとしたハレの食べ物だったのかもしれません。
江戸に近い武蔵野の武蔵野うどんは明確にハレの日の食べ物でした。

江戸に多かった日雇いの大工なんかはソレッとばかりに梅雨明けと同時に大忙しですから、日が沈むと日給でちょっとした小金持ちになってます。
がんばったごほうびにウナギでも食べようじゃねェか、夏痩せの予防になるし……なんて大工も多かったことでしょう。

しかし人間、不思議なもので、適当でもいいからビシッと梅雨明けの日を決めてもらいたいものです。
暑さ寒さも彼岸までと言われれば、なんとなくそこで気持ちが切り替えられるものです。
気象なんて毎年同じとはいかないものですから、梅雨明けの日というものを決められるわけがありません。
しかし、暦の上で入梅があるのに出梅が無いのは落ち着かないものです。

風水で考えましょう。

梅雨(水)を相剋(打ち滅ぼす)のは(土)です。土用はまさに土のシーズンです。

さて、十二支は12匹ですが五行は5タイプなので、1年を均等にふりわけるには工夫が必要です。12匹を金・水・木・火の4タイプ各3匹にふりわけたあと、4タイプから1匹づつ選んで、土の属性を兼任させることで、古代中国人はこの問題を解決しました。ひこうタイプにして同時にむしタイプみたいなもんです。

すなわち、

* 戌(金・土)
* 丑(水・土)
* 辰(木・土)
* 未(火・土)

が、選ばれて土属性を兼任させられました。

ここで梅雨(水)を制するのに「戌(金・土)」や「辰(木・土)」がお呼びでなかったのは当然でしょう。
(土・土)の干支がいえればバッチリですが、そんな干支はいませんから、残るは丑をとるか未をとるかの問題です。

「丑(水・土)」の水属性が梅雨(水)と被るのは気がかりです。

が、やはり「火は水に負ける」というわかりやすさによって、「未(火・土)」は避けられたのでしょう。

かくして梅雨明けを象徴する日として一部の人に「(夏の)土用の丑」が認識されたのではないでしょうか?

「平安から室町時代にかけて土用の丑にすいとんやアズキやニンニクを食べる習慣」(その習慣の実在を私は確認できませんでしたが、まあ、信頼するとして)が出来たのも、江戸時代に「土用丑にうなぎを食べる習慣」が生まれたのも、そういう側面があったかと思います。

梅雨とは湿度が高くものが腐りやすく、食中毒の発生しやすい季節です。食中毒をのりきったが衰弱している人は
「もうすいとんくらいしか食べる気がしない」
であり、回復した人は回復祝いに縁起物であるアズキを食べたり、精をつけるためにニンニクを食べ、やせてしまった人はウナギを食べたことでしょう。

新選組で有名な土方歳三の生家(売薬業)は、土用の丑の日限定で薬草を刈り取り製造していました。

夏の土用丑が陰陽五行で土の重なる日であることに加え、梅雨明けを意味する日だったからこそ、その日を目安に収穫したのだと思います。

ついでに言えば夏至に近く、日没まで長い時間、働くことができます。

原料となるミゾソバ(タデ科)は水路のそばに育つ植物であり、雨の日に収穫するのは危険です。収穫してすぐ天日干しする必要があることや、春や秋は農作業で忙しいことを考えれば、収穫は夏の土用の最中が望ましかったはずです。

こうしたことから、江戸時代の一部の人の間では
「土用の丑 = なんとなく梅雨明けする日」
という共有意識があったのではないかと推測します。

暑さ寒さも彼岸まで、と同じくらいの意味で。

気象庁が梅雨明けしたとみられるなんて言ってくれない時代です。江戸時代には江戸時代の判断基準があったはずです。

つまり、梅雨明けである土用の丑には庶民がお出かけして、パァーッと外食する下地があった。

ですが、まだウナギだけが突出して消費される理由にはなりません。ここでついに平賀源内が登場します。

### 平賀源内は江戸前うなぎは旅うなぎより段違いの味だとほめた

まず、最初に申し上げた通り、平賀源内は自著で、そのようなセールスをしたとは言っていません。


> "土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説がある。この通説は土用の丑の日の由来としても平賀源内の業績としても最も知られたもののひとつだが、両者を結び付ける明確な根拠となる一次資料や著作は存在しない。"

平賀源内 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E8%B3%80%E6%BA%90%E5%86%85#cite_note-oda2001p191-1


> "鰻を食べる習慣についての由来には諸説あり、「讃岐国出身の平賀源内が発案した」という説が最もよく知られている。しかし、平賀源内説の出典は不明で、前述の『明和誌』にあると説明するケースもあるが、『明和誌』には記されていない"

> 土用の丑の日 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%A8%E3%81%AE%E4%B8%91%E3%81%AE%E6%97%A5#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E9%A2%A8%E7%BF%92

源内の著作には、江戸前のウナギをほめているものがあります。
しかしこれとて、そもそもウナギの評価をした文章ではありません。
出典は『里のをた卷』というエッセイで、これは花街についてのエッセイです。

しかしともかく、これ以外に源内のウナギ評は無いのですから、その部分を読んでみましょう。

『里のをた卷』

> 吉原へ行き岡場所へ行くも。
> 皆夫々の因縁《いんねん》づく。
> 能《よき》も有り悪いもあり。
> 江戸前うなぎと旅うなぎ程 旨味《うまみ》も違わず。
> 下り酒と地酒ほど水の違いもあらざれば。
> 吉原にも絲瓜《へちま》有り。岡場所にも美人あり。

風来山人傑作集 - 国立国会図書館デジタルコレクション  https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1882565/53

簡単に訳すと、

「女郎が(高級な遊郭である)吉原に行くのも、そこらの岡場所に行くのも、運命のイタズラである。吉原にも岡場所にも良い女と悪い女がそれぞれいる。吉原と岡場所なんて、江戸前ウナギと旅ウナギほどにもちがわない。上方の下り酒の名酒と江戸の地酒にある水の違いのような要素は吉原と岡場所にはない。吉原にだってブスはいるし、岡場所にだって美人はいる」

という内容です。

まったく、ウナギの評価ではないのです。

しかし、逆説的には

「江戸前のウナギは、旅うなぎ(江戸前以外で獲れて江戸まで運ばれたウナギ)とは、けっこう旨さがちがうよ」

と言ってることになります。

ちなみに江戸前のウナギは別格。江戸前以外から運ばれてきたウナギとはくらべものにならない――という批評は太田南畝はじめ他の江戸のグルメ・エッセイストにも見られます。ちょっと今、その資料を見つけられなくて、出典を示せないのですが。

『本草綱目啓蒙』(1803-1805)には次のようにあります。

『本草綱目啓蒙』(1803-1805)

> 江戸ニテハ淺草川深川邉ノ産ヲ江戸前ト稱シテ上品トシ他所ヨリ出ルヲタビウナギト稱シテ下品トス

重訂本草綱目啓蒙 48巻. [17] - 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555647/31

> (江戸では浅草川・深川あたりでとれたものを江戸前と称して上級品とし、それ以外の場所でとれて運ばれてきたウナギを旅ウナギと呼んで下級品だとした)

『近世職人尽絵詞』(1805) の挿絵にも、こうあります。

『近世職人尽絵詞』(1805)

> わらはがもとには旅てふ物は候らはず。皆江戸前の筋にて候

職人盡繪詞. 第3軸 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11536006/14

> (当店に旅ウナギはありません。すべて江戸前のウナギです)


19世紀初頭には
「江戸では、ウナギといえば江戸前こそ上級で、それ以外のウナギは格下」
という意識が常識レベルで共有されていたのでした。

この主張は、筆者は平賀源内以前に見つけられていません。

しかし平賀源内は「たとえ」として江戸前ウナギと旅ウナギを用いています。

したがってこれは源内の発案ではありません。

少なくともカナ漢字まじりの文章が読める程度の知識階層では一般的な知識だったと考えなければなりません。
でないと、たとえとして通じないからです。

したがって、
「江戸前のウナギは、旅うなぎよりおいしい」
を最初に言い出したのは源内ではないのです。

しかし、源内はベストセラー作家でした。
さらに江戸の人口の七割は男性でした。
そして、『里のをた卷』は男性向けの風俗情報でした。

粋でイナセなつもりの若い江戸っ子に広く読まれ、口コミを通じて文字を読めない層にまで
「江戸前のウナギは、旅うなぎよりおいしい」
という知識が広まったのでしょう。

こうして、源内没後の19世紀初頭には
「江戸前のウナギは、旅うなぎより段違いにおいしい」
という情報が広く世間に膾炙したのでした。

### 江戸前のウナギとは隅田川の河口(浅草と深川)で獲れるウナギのこと

さてここで、『本草綱目啓蒙』(1803-1805)が江戸前の定義を「淺草川深川邉ノ産」と限定していることに注目しましょう。

現代の多くの江戸学入門書では
「江戸前というと現代では東京湾でとれた魚を使った寿司のことだが、江戸時代は江戸の前、すなわち日比谷入り江から浅草・深川の河口付近でとれるウナギを指した」
なんて説明されますが、『本草綱目啓蒙』の定義ではもっと狭いのです。

浅草・深川のみに限定。せまっ!せっっっっまっっっっ!!!!

『本草綱目啓蒙』より約30年前の『物類称呼』(※江戸時代の方言辞典)でも、同様に江戸前を「浅草・深川」としています。

『本草綱目啓蒙』と同時代の『近世職人尽絵詞』は「みや戸川(=隅田川)」を江戸前とすると述べています。
隅田川の右岸が浅草であり、左岸が深川です。

現代の我々が源内や南畝やそのほか江戸の食通たちが言う、
「ウナギは江戸前がおいしい」
を読むと、ようするに江戸で獲れたウナギが上級品で、埼玉や千葉や神奈川から運ばれた旅ウナギが下級品だったと思いがちです。

大人口を抱える江戸周辺は栄養事情が良くて、田舎の痩せたウナギより美味しかったのだな……と。

しかし、彼らが言った江戸前の範囲はもっと狭かったのです。千住や不忍池や洗足池や神田川や渋谷川や目黒川や吞川でとれたウナギは江戸前ではなかったのです。

河川や沼が江戸「前」ではないのはしかたないとしても、江戸城の真ん前である日比谷入り江が江戸前ではないのは、いったいどうゆうことでしょう?

いやそもそも、ウナギとは海で産卵して川を遡上する魚だったはずでは????

しかるにここで我々は、
「大人口を抱える江戸周辺は栄養事情が良くて、田舎の痩せたウナギより美味しかったのだな……」
という考えが誤解であることを認識し、江戸前のウナギが他より美味しかった理由を別に求めなければなりません。

江戸っ子は脂を好まなかったと言われます。マグロしかり。そこで、ウナギをわざわざ蒸して、脂を落として食べるようになったと。
このへん、やせ我慢もあると思いますけどね。野暮だ野暮だといいながらてんぷらは人気だし、脂ののったカツオは大人気でしたし。

ともかく、ではなぜ、源内や南畝は江戸前うなぎを別格に美味しいとしたのか。

### 川を遡上せずに海でくらす海うなぎがいる

答えはこれでした。すべてのウナギが川を遡上するわけではなく、中にはずっと海で暮らす海ウナギがいたのです。

> 「海ウナギ」と「汽水ウナギ」:ニホンウナギに新たな謎 「海で一生」4割も|NIKKEI STYLE
> https://style.nikkei.com/article/DGXNASDG02057_S3A001C1000000/?page=2

記事の三河湾に設置した定置網で採集されたウナギのうち、海ウナギが40%、汽水ウナギが43%もいたとのこと。
まあ、湾に設置した定置網に海ウナギが多くかかるのはあたりまえかと思います。
ウナギ全体で、遡上しないのがどれくらいいるのかわかりません。

しかし、こちらのページによれば、海ウナギは高級品として扱われているというので、全体として多くはなさそうです。

> 【海鰻】海うなぎとは?値段や特徴を解説 | ハマちゃんによる鮨のトリセツ
> https://www.hamazonspecial.com/sushi-umiunagi/

つまり、海ウナギは食べてるものが川ウナギとは違うので当然、味も違う。淡水魚特有の臭みもない、と。

海ウナギが別格というほど美味いのかというと、やや疑問もあります。

なぜなら、先に挙げた『本草綱目啓蒙』だと、京都では
「若州及江州勢多ノ産ヲ上トシ(中略)勢州桑名濃州ヨリ来ルモノヲ下品トス」
とあるからです。

滋賀県瀬田のウナギはまちがいなく淡水ウナギです。美濃のウナギは淡水ウナギでしょうが、伊勢桑名および若狭(湾)で獲れたウナギは海ウナギが多く含まれると予想できます。

してみると、冷凍技術も鉄道も自動車もない江戸時代、味を決める重要な要素は距離であったのでしょう。
近場なら生きたまま運ぶことも無理ではありませんが、自動車の無い時代に生きたまま長距離を運ぶのは非常に難しいものです。
産地が遠ければ、それは〆て鮮度の落ちたウナギだったわけです。

でも、鮮度が同じなら、やっぱり海ウナギのほうが美味しかった。

琵琶湖より遠い若狭湾の海ウナギは琵琶湖の瀬田でとれた淡水ウナギと同格……ということは、瀬田以外でとれた琵琶湖の淡水ウナギは少し劣っていたと読み取れます。

江戸前の海ウナギは神田川でとれた淡水ウナギよりの方が美味しかったのです。

### 海ウナギが江戸前でドッと獲れる時期。それが夏の土用。

しかし、海ウナギが美味しいからといって、浅草と深川だけが珍重されたのはなぜなんでしょう?
日比谷入り江でも、品川でもよかったはずなのでは?

この謎を解くカギは海ウナギの生態にありました。

一生を海ですごす海ウナギですが、夏になって水温が上がると、彼らは河口付近に移動したのです。
とくに土用の頃には、梅雨明けであって水温の低い濁った、おまけに栄養価の高い河川水が江戸湾に流れ込む時期でした。
ウナギは濁った水を好みます。

やはり、海ウナギの方が美味しいとしてもウナギ全体としては遡上する淡水ウナギの方が多かったと思います。

漁師としても海ウナギは獲れたらラッキーくらいの高級魚で、一年のほとんどの期間はそれを狙って漁ができるものではなかったのでは。

ところが、一年のある時期に決まった場所で大量に獲れるとなると、話は別です。
浅草海苔作りなど農漁兼業の住民も多く、田植えが終わり手が空いた頃です。土用に隅田川河口で獲れやすい、人気の海ウナギに精を出したとして不思議はありません。

江戸湾にそそぐ大河川は当時、他に大日川(現・江戸川)と多摩川がありましたが、いずれも江戸の外なので江戸前とは呼べません。

### 江戸っ子の初物好き

江戸っ子は初物を食べると寿命が七十五日伸びると言って、初物に熱狂しました。

七十五日の由来は、江戸時代には死刑囚に対する決まりによるとされます。

処刑前の最後の恩情として、本人の望むものを食べさせるという既定があり、ある死刑囚が季節外れのものを希望したため、それが手に入るまで処刑が七十五日伸びたからだと。

まじないでもなんでもありません。

ちょっとした「本当にあったことだとしたら面白いね」な逸話に全江戸市民が乗っかっただけの「祭り」(ネットミーム的な意味で)が江戸っ子の初物好きの由来だったのです。

実際には、都市化が進んで自然になかなか触れられなくなった巨大都市江戸だったからこそ、季節を感じさせるものが人気になったということだと思います。

目には青葉やまほととぎす初鰹

という山口素堂の句で知られる通り、好まれた初物とは食べ物に限らず景色や音も含まれていました。

ところでウナギは一年を通じて獲れますから、ウナギに初物はありません。

冬のウナギは脂がのっていて旬であるとは言えますが、江戸っ子は脂を好みませんでした。

しかし、「江戸前のウナギ」なら――夏の高水温を避けて隅田川の河口にやってきた海ウナギなら――梅雨明けの直後である「土用の丑に水揚げされた海ウナギは、その夏の海ウナギの初物的な扱い」だったとして不思議はありません。

### そしてつながる点と線

では、整理しましょう。

1. 古来より栄養失調の治療や予防にウナギが効くと言うライフハックがあった
2. このライフハックが、栄養不足の治療と予防目的に夏冬の土用丑に食べるという習慣になった(18世紀後半、江戸)
3. 同じく18世紀後半、江戸の食通のあいだでウナギは江戸前(浅草・深川)で獲れる海ウナギが美味しく、遠くから運ばれてきたウナギが下級品という評価が定まった
4. この評価を文人である平賀源内や太田南畝が拡散し、「ウナギは江戸前に限る」という評価がスローガン化(19世紀前半)
5. 江戸前ウナギが高級品となる
6. 夏の土用丑とは梅雨明けの日として意識されていた
7. 梅雨明けである夏の土用は、売り手にとっては梅雨の利益減を回収したい時期である。買い手にとっては梅雨のうっぷんを消費で晴らしたい時期である
8. 夏の土用丑にウナギを食べるライフハック+夏の水温上昇を避けた海ウナギが土用の頃に大量に水揚げされ、買いやすい値段になる
9. そのうえ、江戸っ子にウケる、季節の到来を感じさせる海ウナギの初物である
    ↓

_人人人人人人人人人人人人人人_
>              <
> 土用丑のウナギが鬼バズり <
>              <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄

したと。

そして江戸末期にもなると浅草・深川は水質汚濁や干拓が進んで海苔漁もウナギ漁もできなくなりました。
江戸前と言う言葉は浅草・深川を指すものではなく東京湾の海産物を指す言葉に転用されました。

それ以前の19世紀初頭からすでに、莫大なウナギ需要を江戸前で獲れる海ウナギだけでまかなえるわけもなく、下級品とされた旅ウナギも川ウナギも沼ウナギも養殖ウナギもひっくるめて
「とにかく夏の土用丑はウナギなんじゃーい!」
となっていた……というわけです。

19世紀、
「どうして土用の丑にウナギを食べたがる人が多いんでいっ?」
と若いウナギ焼きが目の回る忙しさに愚痴をこぼせば、祖父や町の古老が答えて言うに
「むかしから、土用丑にウナギを食うと健康になると言われておる。あと、平賀源内が風俗情報誌で江戸前のウナギをほめておった。わしも読んだ。思うに、土用の丑にウナギを食えば、股間のウナギが元気モリモリになるんじゃないかの?ウッシャッシャッシャッシャ」
であり、それはのちに短くまとめられ伝説化していったのであった……


……そんなエクストリーム擁護説を考えた2022年の土用入りでした。

おおむね妄説です。鵜呑みは自己責任でおねがいします。ウッシャッシャッシャッシャ

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いずれにせよ昔の人が夏にウナギを食べたのは、食材不足で栄養失調に陥る本格的な夏の前に、栄養失調の予防として食べたのでした。バテ対策ではなかったのです。

なので、現代人の我々は瓜でも食べましょう。あるいはウイキョウ豆とか。

// 追記ここから ----
「エクストリーム擁護」だの「妄説」だのと書いた理由は、
「夏の土用丑は梅雨明けの象徴だった」
「源内らがほめた江戸前うなぎとは梅雨明け後に隅田川の河口に寄ってきた海うなぎのこと」
という前提が真だとすると、それを誰も文献に残してないのは不自然だからです。
したがって、筆者は自説が正しいとは考えておらず、
「そういう解釈も可能だ。おもしろい考え方のひとつではあろう」
くらいの気持ちで、夏の土用丑に関する話のトリガーのつもりで記事を公開しました。
---- 追記ここまで //

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