インターネットを潰そうとしたWindows95

 しかし、リリース直後にこの目論見は失敗に終わったのである。

 この話をするまえに1995年以前のインターネットの状況を説明しないと始まらない。ここを知らないと説明しにくいので経緯を整理してみた。半分はネットにあるけど恐らく英文だけ、残り半分は記憶を元に構成している。乱文が多いのはお約束で。

 まず1993年にwwwとNCSA mosaicが登場し、グラフィックが表示出来るようになった。それ以前のインターネットは、テキストを送るための物だったわけだ。ではどうやってグラフィックやバイナリを転送するかと言うと一度テキストに変換するのである(この手法は電子メールなどで今でも行われているがアプリで処理しているので人の目に触れることはまず無い)

 つまり当時、インターネットを飛び交うデータはeメールとネットニュースが中心でWebサイトなどなく、しかも大学レベルでも専用線が引かれている方が珍しい時代だった。そのため接続時の通信量が増えると接続時間が増えるので学生が外部にメールを送ると代金を徴収する大学も存在した様である。

 一方、http(つまりWeb用プロトコル)はuucpではなくリアルタイムにサーバーから必要な分だけデータを落としてくる方法になっていた。つまりサーバーはインターネットに常時接続が必須になったのである。丁度そのころ電話接続していた大学にも専用線が引かれたので、大学の研究室にWebサーバーを立てるブームが起きた(1993-4年頃かな)

 つまり、この時代、日本では家庭からインターネットにまともに接続出来る環境がそもそも無かったのである(専用線引き込んでいた猛者がいたぐらい)この時代にインターネットをフルに利用できたのは一部IT企業と一部の大学、研究所などに限られており、一部の実証環境以外で、家庭からインターネットにつなげる様になるのは商用プロバイダが登場する1995年以降の話になる。

 そしてNCSA mosaicの登場がインターネットの商用化に弾みをかけたのである。先鞭をつけたアメリカのYahoo!が1994年に設立されており、日本でも個人向けインターネットプロバイダーが参入準備を始めていた。

 あくまでもWindows95より、こちらの動きの方が先なのである。当時の日本の環境はWindows3.1とDOSが半々ぐらいで、インターネット(というよりTCP/IP)をフルに活用するのには金かスキルのどちらかが必須だった。何しろPCに差すネットワークカードが5万、10万もしていたのである。家庭でもモデムにお金がかかった。にも係わらず商用インターネットのプロジェクトが動いていた訳である。

 なぜこのような高価だったかと言うとDOSのメモリ制限が640MBと小さくTCP/IPを動かすだけで半分も消費してしまうからだ。TCP/IPは当時のPCから見るとかなり重く、そのためネットワークドライバーの大半の処理をソフトウェアではなくハードウェア側に持たせる必要があり、それがコストに積み重なった結果、この値段になったのである。

※ TCP/IP自体がUNIX上にOCI参照モデルをそのまま詰めないので切り捨てた軽量なプロトコル。

 そのため、PC間のデータのやりとりには既に普及していたイーサネットを利用するものの更に軽量化したプロトコルが採用されていた。

 それがNetBIOSやIPX/SPXと呼ばれるものである。NetBIOSはMicrosoftがファイル共有に採用しており、IPX/SPXはNovellのNetWareが採用していたファイル共有プロトコルである。しかし、NetBIOSは255台までしか扱えないしルーターを越えられないと言う問題があったのである。これはMicrosoftがサーバーを売る上での足枷となり、TCP/IP上でNetBIOSを動かすことでこの制限を回避するTCP/IP over NetBIOSと言うものが開発された。また、NovellはNE2000と言うネットワークカードを出しており、これはネットワークカードの機能をソフトウェア側にやらせることで価格を大幅に削減したものである (安い互換カードは5000円切っていた)NovellからみればIPX/SPXが動作さえすれば良いので機能をバッサリ切ったカードで十分だった訳だ。このMicrosoftとNovellのサーバー戦争は2000年頃まで行われている。しかし日本では日本法人が最初から迷走したために普及する前にWindows Serverに市場を取られてしまったので、このあたりの事情もあまり知られて居ない。

※ この時代にインターネットにつなぐならPC用のBSD UNIXを使うかMACを使う方が楽だった。なおLinuxはOS自体がまだ安定しておらず、OS/2は更にマニアックな位置づけだった。

 さて最初のお題に戻る。1995年、MicrsoftはWindows95の登場と同時に家庭用ネットワークサービスを始めるとした。これがMSNと呼ばれていたものだ。そして、MSNはインターネットと言うよりAOLに対抗するものと位置づけられていたようである。AOLというのは当時のアメリカ最大のパソコン通信サービスである。当時のAOLの影響の大きさは、タイムワーナーと合併していた時代(2002-2009)があると言う事実を説明すれば十分すぎると思われる。AOLは専用のGUI接続ソフトを持っており、他のパソコン通信サービスより遙かに使いやすかったようである(使ったことが無いので実際のところは知らない)

 ちなみに日本には当時AOLは存在せず、NiftyServeとPC VANが二大勢力で、NiftyServeはアメリカ第二位のCompuServe(今はGIFの仕様書ぐらいでしか名前を見ない)と提携していたぐらいで、しかも全てのプロバイダがインターネットに対応していなかった。この経緯が知られて居ないのでWin95がインターネットを広めたと言うデマがばら撒かれるのだ。

 さてこのAOLが問題だ。確たる資料が見つからないのだが1992年には電子メールの相互交換ゲートウェイを1993年にはインターネット接続を提供しているのである。つまりアメリカでは1993年には家庭のPCからインターネットに接続できたのである。つまり当時のネットワークはアメリカにおいてはAOLが握っており、更に1995年にインターネットが始まるはそもそも嘘なのである。

 そのAOLからMSNに乗り換えさせる目的を持ってリリースされたのがWin95である。古いWin95の初期画面をみるとMSNのショートカットがあると思う。これを使ってAOLとインターネットからユーザーを引き剥がそうとしたのである。そのため使えるサービスもAOLソックリだったのである。しかも、MSNは最初はインターネットにつなげなかったのである。

 ところが、先に書いた問題がありTCP/IPのフルサポートを行わないとMicrosoftはサーバー市場でNetWareに負けてしまうのである。そのためWin95はTCP/IPもフルサポートした訳である。これはProバージョンを出さなかったからだと思われる(Windows NTとすみ分け出来ると考えたのだろう)ちなみにこの時代に出先から会社につなぐ方法はダイアルアップであり、VPNではないので当然ダイアルアップもサポートする必要があった。

 つまりMicrosoftにとってTCP/IPのサポートをインターネットのためではなくWindows Serverを売るために行っていたのだ。実際にはDOS/Win3.x時代もLAN ManagerやWfWと言うバージョンではサポートされていた。この製品は位置づけは今で言うProに近く企業向けである。そして当時のLAN ManagerはWindows ServerのCD-ROMに載っていたので個人で導入するにはハードルがやや高いのだった。

 しかし、TCP/IPがサポートされているということは事実上無料のWebブラウザとしてリリースされていたネットスケープと組み合わせることで安く簡単にインターネットに接続できると言う事になるのだ。

 かくしてインターネットにつなげないMSNとか要らないよね。と言う話になりMicrosoftの目論見は即座に失敗し、MSNはインターネットプロバイダに鞍替えし、最後にWebポータルサービスになっていくのである。

 ただしAOLは電話回線を利用したプロバイダだったので、ブロードバンドやスマホの普及とともにシェアを落としていきネットワーク上での影響力をほとんど失っていくのである。

 インターネット以前からネットサービスをやっている企業がいくつもあり、そのような企業はアメリカでAOLに出店を持っていた様である。日本ではNifty Serveで帝国データバンクが企業検索サービスをやっており、このようなサービス(SaaS)は実はインターネット以前からあったのである。


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