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仮説検証を基盤にした「つたわるデザイン」を生み出すーmitemo望月野乃花さん

組織もチームも、そこにいる「ひと」で成り立っている。この企画はmitemoで働く個性豊かな「ひと」に焦点を当て「真面目さは程々、井戸端会議より深く濃い話」をモットーにしたインタビュー記事です。今回登場するのは、制作デザインと人事プロジェクトを担う望月野乃花(ののか)さん。書き手は、mitemoで働く人々の変わりダネっぷりに興味深々なシムラケイコです。どうぞよろしくお願いいたします。

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【読了時間: 12分】
(文字数: 5,600文字)
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野乃花さんは、ひとがひとである限り永遠のテーマになるであろう「コミュニケーション」という行為に対して、怯むことなく平然と向き合う姿が印象的だ。野乃花さんは無意識かもしれないが、相手に伝わるよう分かりやすい言葉を選んで話したり、理解の速度に合わせたペース配分など「伝わること」を配慮している。常の基本スタンスだから、相手がどんな立場の方でも同じようにすると思われる。あぁ、こんな素敵なコミュニケーションがとれるオトナになりたいなぁ〜と野乃花さんを心から尊敬してしまう。彼女は現在ミテモ6年目で、22歳に入社して現在に至る。制作のデザイナーという仕事のほかに、人事ユニットの仕事も受け持っている。ミテモ社内での自身のポジションを「宙ぶらりんな立場」と表現する。だからこそ役割があると。大局的な物事の捉え方や伝わるコミュニケーションを大事にする野乃花さんの原体験を教えてくれた。まずはそんな話から・・・

デザインを志すきっかけになった弟の存在

ミテモ社内で、ビジョン・メイキングのイベントがあったんです。そのときに、企業のビジョンと個人のビジョンが重なり合っていると強いよねっていう話が出て。それから「私とミテモ」ってどうなんだろうとずっと考えていて。「あながち悪くない・・・むしろ、私とミテモは良い状態かも!」と気付いて、飯田さんに「これを機に言語化したいので聞いてください!」と申し出ました。飯田さんは、こういうことは、誰かに聞いてもらうと、より強くなるから、言語化しておこうかな!と。今日はその話をしていきますね。

私がデザインを志すきっかけになったのは、弟の存在。弟は、いわゆる理系工学の分野で、物質工学の研究をしていました。弟やその周りの同級生をみていると、すごく真剣に勉強をして、めちゃくちゃいい研究をしているのに、伝えるのが下手で、全くその良さが世の中に伝わっていない感が満載で。デザインを勉強しはじめた私からすると、研究発表のポスターも、伝えたいことを整理して、伝わるビジュアルを整えれば、もっとクリティカルに伝わるはずなのに、なんでこうなっちゃうんだろう?いい研究しているのに勿体ない!ともどかしく思っていました。背景には研究費が少ないだとか、そもそも一般の方に分かってもらえないだろうという消極的な気持ちだとか、いろいろあるけれど、情報を分解したり、図解したり、もっと伝わる手助けができないものか?と強く思ったんです。良いものを持っていたり、すごく面白いことをしているひとたちが、伝え方が上手じゃないばかりに世間に認められない、分かってもらえない、興味を持ってもらえないっていうのが、すごく私は嫌だった。

自分は何が好きなのか?を考えた中学時代

私の父はスチールカメラマンで、母には小さいころから「女は手に職をつけなさい」と言われて育ちました。同時に「やりたいことがあるなら早いうちから、その勉強をしたほうがいいよ」とも。高校の進学先も、普通科の高校に進むのだったら、その理由をちゃんと考えてほしいというような親だったんです。何を学んで、どの大学に進むのかを決めて選びなさいと。何となくみんながいくから、とか、偏差値がどうだとか、そんなことで選ばなくていいよと言われました。

それから、私は何が好きで何が得意なのかな?何がしたいかな?って考えたときに思い浮かんだのが、父が仕事で通っていた映画の現場でした。みんなでひとつの作品をつくりあげる情熱や独特の空気感、文化祭前日のような高揚感です。モノづくりの現場の空気感が好きでした。あと授業のノートをつくるのがとにかく好きでした。勉強が好きなのとは違って、授業の内容を編集してノートにまとめる作業が好き。うまくノートが書けたときは惚れ惚れしたりして(笑)。何かをつくるのが好きだったし、何か生み出す環境が好き。その当時は正直、デザインとアートの差も分からないレベルで。ただモノをつくることは好きだったし得意だし、その環境に身を置きたいなぁっていうフワっとした感じだったかな。そんなことを思ったとき、デザイン科がある都立高校を見つけて、そこへ進学しました。

高校時代からデザインを徹底的に学ぶ

その高校はデザイン科、グラフィックアーツ科(印刷関係)、マシンクラフト科(機械)、アーツクラフト科(手工芸・金属)、インテリアデザイン科(木工系)があって、高校生のうちからデザインなど創作に関する知識や技術を学ぶことができます。私はデザイン科だったのですが、授業は、半分ぐらいデザイン関係の実技で、残りは国語や数学の普通教科で、成績もその比率。実技は、プロダクトデザインや写真も学ぶし、アドビソフトの使い方や、ひとつの商品を想定して、コンセプトからプレゼンまでを含めたポスターの作成、またVI計画(ロゴからパッケージまで)や、ロゴデザイン、レタリング(文字)もやります。基礎的なことを本当に丁寧に教えていただいたので、このころ学んだことは今の仕事で本当に役に立っています。

特に文字へのこだわりが強い学校だったので、レタリングはしっかり勉強しましたね。例えば、四字熟語の頭と真ん中だけ表示されていて、二字は空欄で、その二文字の「とめ・はね・はらい」の特徴を観察して、残りの空白の二字を埋めて書く、みたいな。書体をつくるイメージですかね。漢字だけではなく、ひらがな、アルファベットもやり、学年あがるにつれ、難易度もアップしていくような。文字とは何か?を徹底的に学びました。

高校卒業したあと、専門学校(桑沢デザイン研究所)に進み、1年目は専攻を決めずに、グラフィック、プロダクト、ファッション、スペースまで幅広く学びました。2年目からプロダクトデザインを専攻したんです。グラフィックじゃないんですよね。実は、この選択って最近まで「これでよかったのかなー?」って思ってて。プロダクトデザインを選んだ理由は、調査して、仮説を立てて、プロトタイプつくって、試して、そのフィードバックを受けて、直して・・・と、しっかり手順を踏む工程が自分に合っていると思ったからです。プロダクトデザインは工業製品ということもあり、モノをつくるまでの過程である「調査して、つくって、試して、またつくる」このプロセスがすごく好きなんです。グラフィックは、プロセス関係なく、一枚良い作品を作れば、それでオッケー!っていう世界観があって(笑)私がそこで戦うのは、ちょっと苦しいなと思ったんですよね。
いま思えば、そんなプロダクトデザインでいう立体物や造形に対する才能はなかったなぁと思うのだけど、プロセスをひとつひとつ踏んで、モノをつくるっていう考えは、今でも役に立っています。半年前に専門時代の先生とお会いして、プロダクトを選んで良かったんだと言ってもらえて、心から「はぁ〜良かった、間違ってなかった」と安心しました。

会社の中で生まれるコミュニケーションのお手伝いがしたい

ミテモでのお仕事って、私自身のもともとの原点にある思いと重なてるんですよね。伝わるべき情報が適切に伝わってない余りに生まれているコミュニケーションの齟齬が、デザインの力で多少なりとも改善できる気がしてるんです。企業と誰かをつなぐ翻訳のようなコミュケーションを生み出すことができるんじゃないかなって。たとえば、理念浸透をどう広げていくか。いい理念があるけれど、それがうまく伝わらないんです、とか。社員教育もそう。
すごく心に残っている仕事は、入社して1年目の頃。とある会社さんの昇任試験で、必ず勉強しなきゃいけない内容があって、A4の分厚い冊子がドンと配られて、そこから試験内容が出題される。その冊子が10冊あったのですが、そのうち3冊を私が担当したんです。結果、その仕事の評価がすごく高かった。受講者の感想が「すごくわかりやすくて、これだったら勉強したい」て。わざわざ受講者が感想をくれるってこと自体がありえないし、私の仕事がちゃんと誰かの役に立っているって実感しました。題材はなんでもいいけれど、色や形、見た目のデザインしかしないっていう仕事が嫌ですね。きちんと全貌もわかりたいし、戦略も立てたいし仮説検証もじっくりやりたいし、ちゃんと役に立つものを作りたいですからね。

概念を崩すことが許されるミテモのカルチャー

前述したビジョン・メイキングのとき、みんなでレゴシリアスプレイをやって自己開示して・・・とプログラムがあったんですが、結局、参加した全員の意見が本当にバラバラで、これは(まあ、わかっていたけれど)まとまらないねーって終わりました(笑)敏腕ファシリテーターもいたのに、みんな本当によく喋るんです。やりにくかったでしょうね。時間もぜんぜん守らないし、プログラムを知った上で、敢えて好きなように喋るんです。
みんな会話はしているけれど、キャッチボールになってない。誰かが投げたボールを誰かが受けるんじゃなくて、投げた球の様子を、ふんふんってみんなで観察している。ひとつわかったのは、みんなバラバラで何ひとつ重なっていない。会社がどうだとか、全くでてこない。バラバラのまま一緒にミテモに集う理由が一体なんなのか?磁場なのか、引力なのか、何なのか?それは言語化していってもいいかもね、と感じてます。

ミテモは、概念を疑っても許される雰囲気がいい。すごくいい。みんながそうだから。専門学生時代に、先生から「概念崩しをしろ!」と口酸っぱく言われ続けました。概念というものを疑うべきだし、概念を分解することによって、いいデザインは必ず生まれる。そこまで突っ込むと煙たがるひともいるし、一般的な価値観に縛られてるひとだと嫌がられるし。昔、ワークショップですごく嫌がられたことがあったんです。概念を崩すグループ形式のワークショップで、テーマは椅子。椅子という存在を捉えたときに何をもって椅子とするかを考えるものでした。
私のグループは、あまりに意見があわなくて途中分裂したんです。ファシリテータの方も、これは無理だなって思うほどの感じで(笑)私の主張は「椅子は座るという環境を誘発する環境そのもので、座りたくなる場が椅子なんしゃないか?と。私じゃないほうの派閥は「椅子には脚が必要で座面が必要である」っていう主張で、分裂したんです。このひと何言ってるんだろうっていう目線で、6人のグループだったんですが、私についてきてくれたのはたった一人だけ。かなり記憶に残る経験で、このときの私の主張を、ミテモのメンバーなら受容してくれる空気感があるなぁと思うんです。白い線をひいたら椅子だよね!って話をしても、そうかもしれないね!って言ってくれるのがミテモ。概念をがっつり崩してみても、それを楽しんでくれる環境がある。

自分を多角的に観察するために異なる環境に身を置く

最近は、ミテモに対してホーム感もあるかな。ここ一年くらい、人事の仕事に関わり始めたからだと思います。この先、ミテモがどうあるべきか?どういう制度があったら、みんなが働きやすくなるか?どうすれば社内のコミュニケーションがよくなるか?とか。これまでの私は、今、やめたいって思ってないから、ミテモにいるだけって感じでした。自分が人事の仕事を通じて、仕掛ける側に立つと、立場や目線が変わって、ホーム感が生まれてきた。ただいるんじゃなくて、いてもらうにはどうすればいいのか?っていう考え方が変わりました。コミュニケーションの齟齬で、いらいらしたりして、ネガティブに転んでいる様子をみると、とても残念に思って、なんとかできないかな?って思います。社内でも同じですね。
そんなミテモにも良くないところがあります。ミテモは慣性が強くて、もとの方向に戻っていく力が強いから、新しいことを始めようとして続かない。手入れをすることや継続的に水をやるのが苦手。瞬発力はあるんだけど、持久力がないメンバーが多いのかもしれませんね。7〜8割は瞬発力で、私は中距離走、バトン渡す感じかもしれない。トライ&エラーが好きだから、安定して軌道に乗り始めると、誰かに任せたくなる。それぞれが「自分が何が得意」かわかっていて、その強みがうまくいかせる環境をこれからも作っていきたいですね。

中学時代から「自分の好きなことは何だろう」と考えて、デザインの道に進むと決めた青春時代の野乃花さんを想像すると、現在11歳の息子を育てているワタシはムネアツである。そして泣きそうである。すごく尊い。工業デザインの過程は楽しいことばかりではないはずだ。時間も要するし、仮説検証の繰り返しを面白がるには、強いビジョンや希望がないとモチベーションを維持できないだろう。良いモノを生み出したいという覚悟は尊い。野乃花さんの覚悟は、温かいものであり、誰も置き去りにしない感じが溢れている。つぎは一緒に森で焚き火を囲んで、いろんな話をしたいなぁ。ありがとう!野乃花さん!
この記事を書いたひと : シムラケイコ
徳島出身。上京後クリエイティブディレクターとして都会に生き、現在は逗子に住み、原っぱ大学を運営する、小学生男児をひとり持つ母。変わり種がたくさんなミテモに興味を持ち、「ミテモなひと」コーナーのインタビューと執筆を担当。おとな・子ども関係なく、それぞれがワクワク心躍らせる瞬間に立ち会うのが好き。そんな瞬間をたくさん生み出すためにも、すべてのひとにとって心地よい場をつくりだせないか?と頭と心をめいっぱい使って日々試行錯誤。

#社員インタビュー



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