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いつか撮れなくなる日が来る。

こんにちは。kazariya330こと三谷です。

これまで、こちらのnoteではインタビュー記事を書いていましたが、ボチボチ自分のことも書いていこうと思います。こうして、自分の書きたいことを書くのはなんだかんだ初めてですね。まあ、「ぼやき」みたいなもんなんで、適当に付き合ってあげてください。

さて、早速ですが、

僕は今、少し写真に飽きています。

厳密に言うと、日々大量生産され、大量消費されていくだけの写真に飽き飽きしています。

「そこまで言うなら、三谷はよっぽど良い写真が撮れているんでしょうね!」と言われると、僕自身、自分で撮った写真に対する感動値が低くなっているのをヒシヒシと感じています。いろんなモノに影響されすぎて、下手くそになった。


いつから、自分が撮った写真に感動できなくなったのか、と思い返してみます。

・下着姿の女性を撮ってから友達が減ったから(自由に写真を撮ったら嫌われた、という悪い思い込み)
・SNSでウケる写真を意識しはじめたから(嫌われない写真を撮ろうとして没個性になる)
・SNSウケしている人が周りに増えてきた(撮ることに意味はあるのか…という意味不明な自問自答)


といった経験・時期を経てから、自分が撮っている写真を見ても「これは、何を撮っているんだろう」と感じるようになりました。わかりやすく、「周囲の目」に意識を持っていかれてたんですね。

あんまりダラダラとお涙頂戴みたいな感じで書きたくないので簡単に言うと、僕はある時期を境に「ずっと撮り続けていたい」と思っていた友人(たち)との縁が切れて、撮りたいものがなくなってしまいました。

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当時の自分の気持ちは、さながらSMAP解散前のキムタクのような気持ちでした。顔面は最初っからキムタクなんですけどね、えぇ。

影響力があったと言えばポジティブですし、邪険にされたと言えばその通りです。たぶん「三谷の写真が受け入れられない」なんてキッカケのひとつ程度だったのでしょう。

それから今日までの約1年ほどかけて、素敵な被写体さん達との出逢いや、メンターとなる写真家さん達との出逢い、写真を楽しめる新たな友人達との出逢いがあるのですが、長くなるのでここでは割愛しますね。

なんにせよ、僕はこの1年と数ヶ月を、「嫌われたくない」「好きに写真を撮ったらハブられる」「SNSで戦闘力を持ってないと写真が評価されない」という意識に支配されて、活動をしていました。ウケそうな写真を生産し、消費していきました。売れたいメロコア系のバンドが倍テンの曲ばっか作ってるみたいなノリですね。そりゃ飽きるわ。

そんな中でも、協力してくれるみんなのおかげで、数は少ないけど納得できる作品を撮ることができて、ここまでやってこれたという印象です。この期間に撮影した写真が全て気に入らない、という話をしている訳ではありませんので、ご理解ください。

このような背景があるもんだから、ありがたいことに「さぞかしトラウマを作った過去の友人たちを恨んでいるでしょう。そんな人間は足を引っ張るだけだからもう忘れなさい」といった言葉をかけてくれる方もいます。

実際自分もそう思ってます。というか、そう思わないと、自分で立て直せれなかった。

ただ最近少しずつ見えてきた本音をいうと、あのままあの人を撮れていたらどんな写真になっていただろう、って今でも思っちゃうんです。


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いつか撮れなくなる日が来る。


感動していた写真ってなんだろう。

シャッターを切った瞬間、一人で涙を流したあの星空か。レタッチをするときに、胸を締め付けられた画面越しのあの表情か。そこにはいないのに、いると思って撮ったあの景色か。

いつかまたあの人を撮れたらどうなるだろう。

きっと、以前のようには撮れないでしょう。てか撮れなかったんですけどね。ファインダー越しの私と別世界。そもそも、今更おんなじように撮りたくなんか無い。そう、撮りたいんじゃなくて、それはもう「撮りたかった」ものなのです。


僕は今、少し写真に飽きている。

厳密に言うと、日々大量生産され、大量消費されていくだけの写真に飽き飽きしている。

そんな中でも「あ、この写真は好きやな」と思えたり、「やっぱり写真を撮るんが好きやな」と思えるのは、見せるためではなく撮った写真や、僕の写真を好きだと言ってくれる方々の存在があったからでした。

撮ったものも、撮りたかったものも、もう撮ることはできない。

だからこそ、写真は美しい。

しっかりと心の中でお別れを言えたからこそ、過去に撮影した写真を美しいと感じ、これから撮れるであろう写真に、希望を抱けるようになりました。



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そして、いま撮れている写真も、いつかは撮れなくなる日が来るんだなって思います。それは、死が理由かもしれないし、距離が理由かもしれないし、お金が理由かもしれないし、思想が理由かもしれない。それは、突然自分が手を出せない次元の中で起きる。

少し寂しい考え方かもしれないけど、「そういうものだ」と気づけたからこそ、僕はまた少し写真を撮れそうな気持ちでいます。今の心持ちは、まさに、SMAP解散を乗り越えた現在のキムタクと言えるでしょう。


いつか撮れなくなる日が来る。

その「撮れなくなる日」が来たときに、それまでに撮り続けた写真を見返して、微笑むことができる未来を想って、僕は写真を撮り続ける。

「いつか撮れなくなる日」が、希望になるように。


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