東郷隆『邪馬台戦記 Ⅰ 闇の牛王』 確かな考証と豊かな発想で描く未知の世界

 博覧強記で知られる東郷隆の児童文学、しかも題材は邪馬台国――と、何とも気になることだらけの本作は、未だ混沌とした3世紀初頭の日本を舞台に、少年少女が奇怪な暴君に挑む姿を描く、ユニークで骨太なファンタジーであります。


 瀬戸内海沿岸の集落・ウクイ村を悩ませるクナ国の「徴税」。畿内を治める邪馬台国の女王・ヒミコに従わず、数年おきに近隣を襲うクナ国は、数年おきに生口(奴隷)として少年少女をさらっていき、そしてさらわれた者は二度と帰ってこないのであります。
 そのクナ国が襲来する年――今年に12歳となったばかりの村長の子・ススヒコは、幼なじみの少女・ツナテが生口に選ばれると知ると、彼女を守るため自ら生口に志願し、共にクナ国に向かうことになります。

 一方、遼東太守の公孫氏の命で邪馬台国への使節として派遣された学者・劉容公達は、対面した女王ヒミコから、思わぬ言葉を聞かされることになります。
 クナ国を治めるハヤスサは、実はヒミコの父親違いの弟。そしてクナ国に向かってハヤスサの様子を探り、叶うならば討ち果たして欲しい――と。

 国民を貧困に喘がせ、そして近隣諸国を武力で従わせようとするハヤスサ。ごく一部の者にしか姿を見せない謎の王に抗する者として、ススヒコとツナテ、そして劉容たちの運命が、クナ国で交錯することに……


 歴史上、確かに存在したにもかかわらず、その位置を含めて不明な点が多く、また女王卑弥呼が用いたという「鬼道」の存在もあって、半ばファンタジーの中の存在のように扱われることも少なくない邪馬台国。
 冒頭に述べたように、驚くほどの広範な知識を踏まえた作品を描いてきた作者であっても、これにリアリティを持たせて描くのはなかなか難しいのでは――というこちらの予想は、もちろんと言うべきか、完全に裏切られることになります。

 邪馬台国のみならず、この時代に関する(数は多くはないものの確かに存在する)記録や遺構の数々を踏まえ、そしてその点と点を結び、さらに他の知識を繋ぐことによって、大きな像を浮かび上がらせる――本作のとったアプローチがそれであります。
 その結果、本作は、当時一種の人種のるつぼであった日本列島とそこに生まれた国々の姿、そしてその筆頭ともいうべき邪馬台国の姿を、何とも魅力的に、そして地に足のついた世界として描き出します。特に邪馬台国については、フィクション的にはダイナミック魅力的でありながらも、リアリティを持たせて描くには難しい邪馬台国東遷説(邪馬台国が九州から畿内に移動したという説)を違和感なく採用しつつ、そしてそこに物語が有機的に結びついているのには感心させられるばかりです。


 と、本作の歴史小説としての側面ばかり触れてしまいましたが、本作の基本はあくまでも児童文学であります。
 自分の村以外の世界を知らなかったススヒコが、正義感と冒険心、そしてツナテへの想いから外の世界に飛び出し、様々な(時に過酷な)経験を踏まえて成長していく姿は、王道の児童文学の展開といえるでしょう。(そしてこうしたススヒコの、この国の無垢な少年の視点と、劉容という大陸の知識人、二つの視点から物語を描く手法も巧みであります)

 そしてその彼の先に待ち受けるのが、本作の副題の「牛王」なのですが――当時日本には伝来しておらず、未知の獣であった牛の角を戴くこの怪人の存在は、このようなススヒコのヒロイックな冒険の先に待つ者として、なかなかに魅力的であります。
 そしてこの牛王(と卑弥呼)から、我が国のあの神の存在や、異国のあの神話の影を感じさせる――あくまでも感じさせる、に留まるさじ加減がまたうまい――ことから生まれるロマンチシズムも、心憎いほどなのであります。

 全く架空の世界を舞台にすることなどなくとも、ユニークで豊饒な、そしてリアルなファンタジーは描くことができる――そうした作者の声が聞こえてきそうな、確かな考証と豊かな発想を踏まえた物語の開幕であります。


『邪馬台戦記 Ⅰ 闇の牛王』(東郷隆 静山社)


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