犬飼六岐『火の神の砦』 若き日の愛洲移香斎と幻の刀

 日本の剣術の三つの源流の一つである陰流の流祖・愛洲久忠は、しかし伝説的な存在であるためか、フィクションで取り上げられる機会は少ない人物です。本作はその久忠を主人公に、彼が若き日に出会った奇妙なある里での出来事を描く、なかなかユニークな物語です。

 室町幕府の威光も衰え、世情騒然とした戦国時代初期、剣術修行の旅の途中に出雲を訪れた愛洲久忠。ある理由で出雲各地の市を巡っていた彼は、国境の市で刀を売っていた一人の女を見つけます。
 土地の役人に絡まれたその女を、山中又四郎と名乗る陽気な若侍と共に助けた久忠は、女から刀は村の鍛冶が打ったと聞き出します。そこで女の帰る先についていこうとする久忠と又四郎ですが――女は二人を幾度も撒こうとするのでした。

 その末に足を怪我した女を連れて、彼女の村に辿り着いた二人。女が隠そうとするのも道理というべきか、外界から隔絶されたその村は、女性のみが暮らす隠れ里でした。
 何故この村には女性のみが暮らすのか。彼女たちは何者なのか。それはて久忠が村を訪れた理由とも繋がっていたのですが……

 というわけで本作は、後に愛洲移香斎として知られる愛洲久忠と、正体不明の脳天気な若侍・山中又四郎が迷い込んだ、女ばかりの隠れ里を巡り展開します。
 これは出版社のサイトにも記載されているので明かしてしまいますが、久忠が女の村を――女の村の刀鍛冶を探していたのは、久忠が見た刀が、とうに滅んだはずの備中青江鍛冶の新作に見えたからにほかなりません。

 鉄の産地に近かったこともあり、平安時代から刀工を輩出した備中国青江。その一派は、愛刀家として知られた後鳥羽天皇の御番鍛冶にも選ばれたほどであり、天下五剣の一つ・数珠丸を打ったことでも知られています。
 しかし南北朝時代に南朝方についたことから衰微し、ついにはその命脈を断ったと言われる青江派。その青江派の新作が、それから約百年後に見つかったとあれば、久忠ならずとも驚き、その正体を追ってもおかしくはないでしょう。

 はたしてその刀鍛冶がいると思しき里の正体は――上に述べた青江派の歴史を踏まえて語られるそれは、伝奇的な興趣に満ちており、本作の大きな魅力というべきでしょう。

 しかしその来歴故に、久忠たちが辿り着いた村は、外部からの人間、特に男に対して厳しい眼を向けます。それでもなお刀を望む久忠に対して、女たちは幾つもの条件をつけることになります。
 それをくぐり抜け(その一つがきっかけで久忠たちが出会うのが、あの雪舟という意外性も面白い)、里の女たちの一部とは心を通わせる二人ですが、しかしなお里の人々の多くはその本心を見せず、それが終盤のある展開に繋がっていくことになります。

 戦国時代の荒波の中で、女性たちだけで自主自立した暮らしを営む隠れ里。一見理想郷に見えるその地も、しかしその維持のために、幾つもの掟が――時に理不尽なものにしか見えぬものが存在することが、やがて明らかになっていきます。
 いわゆる「因習村」的なものすら感じさせるそれは、人が共同体を――しかもある種の同質性の高いものを――成立させることの難しさを、浮き彫りにしているといえるかもしれません。

 人が人らしく生きるために作られた共同体が、やがてその人らしさを制限していくことになる――本作は名刀奇譚を描きつつ、そんな人の世の皮肉さを浮き彫りにしてみせるます。
 そして、絶対何かしらの秘密があると思っていた又四郎が意外な正体を現したことをきっかけに、物語は全てを飲み込んで結末に向けて疾走していきます。

 その結末は、正直なところ呆気なさすぎると感じる方も多いかとは思いますが――一人の剣士にできることは限られていることを思えば、そして歴史の示すところを見れば明らかな結果を、あえて描かずに終えたというべきでしょうか。
(その一方で、雪舟が描いた久忠の姿が、後に彼が開いた剣流の別名を思えばニヤリとさせられるものであったりと、本作は若き日の久忠伝としても面白い作品ではあります)


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