陽春の頃。志村にて、めでたく蕎麦をすする。

 蕎麦が食いたい。こう暑くっちゃあ敵わないし、こんなにお天気が良いのに海にも山にも露天風呂にも行けないってぇんだから、せめておいしい蕎麦でも、ずずっとこう、喉越しも爽やかに吸い込みたいじゃあないか。
 春の陽射しがうららかな4月も下旬、思い立ったが吉日ということで、三田線沿線の志村坂上に足を運んだ。「お蕎麦が食べたいお蕎麦が」と駄々をこねたところを、Google大先生を駆使した夫が探し出してくれたのが「よし田」である。夫の掌中からちらりと覗いたスマートフォンの画面には、また随分と小洒落た黒基調のホームページが映り込んでいて、「割烹みたいなお店なんだって〜」と夫は呑気なものであるが、なかなかこんな、洗いざらしのシャツにデニムなんぞでお邪魔していいのかは不安なところだ。なぞ言いつつも、たかだか近所の蕎麦屋に正装していくのもそれはそれで野暮、お許しいただきたく。
 志村坂上の駅から徒歩数分、道路脇の角地に、よし田はちんまりと鎮座ましましている。ご時世柄、天せいろの持ち帰りを知らせる張り紙が表に出されていて、ふんふんと頷きながら戸を潜れば、ちりんと、耳元を涼やかな鐘の音が掠めていく。覗き込めば店内はこざっぱりとした内装で、窓が広いというわけでもないのだが、すっきりと明るい。客足はこちらもご時世柄まばらで、カウンターに男が二人、丼ものか何かを勢いよく掻き込んでいる。
 通されたのは畳座敷の中、掘りごたつ式ののんびりとしたテーブル席だった。夫の背中越しに、なんとはなしの竹やぶ、その向こうに今歩いてきたばかりの中山道が見える。お品書きには、ざる、山かけ、天せいろ、鴨南蛮、それから卵焼きに始まるつまみと、日本酒が幾つか並んでいる。
 結局、夫が山かけ蕎麦、私がかき揚げのつけ蕎麦を頼んだ。それから一呼吸置いて、やはり思い立って日本酒を一合と焼き味噌も頼んだ。
 蕎麦屋は蕎麦だ。蕎麦の旨さが第一義である。しかし蕎麦屋の醍醐味は、やはり日本酒と、蕎麦屋ならではのつまみにもあるのではなかろうか。こう店の雰囲気が良いと、昼から一杯、とも洒落込みたくなる。
 みむろ杉、という名前の奈良の日本酒を頼んだ。折角だから知らないものを頼もう、というのが、夫と私の共通のプライオリティで、日本酒なら多少、夫より私に分がある。焼酎はその逆なので、基本的には夫に「これ」と選んでもらう。
 一合を冷で、お猪口は2つで。なに、昼酒といえど、ほんの唇を湿らす程度だ。少々日本語はおぼつかないが笑顔はとびきりの店員さんが、晴れ渡る陽気によく似合う、紺色の玻璃のお猪口を夫に、乳白色に七色の飾り模様が入ったお猪口を私に持ってきてくれる。それだけで、なんとはなしに心が浮き立ってくる。目が涼しいと、心だって涼しい。
 みむろ杉は、口に含むとたっぷりと甘い。その甘さの中に、ほんのりとした酸味が漂ってくる。すっきりとした飲み口で、しつこくない。
「甘いね」「甘いねぇ。ジュースみたいだね」
 口々に褒めて、舌の上で転がす。米が美味しくない訳がないんだよなぁ、と、殆ど意味を成さない感慨が瞼の裏を横滑りしていく。その間にも、注文の電話はひっきりなしに鳴っていて、この店が持つ本来のポテンシャルを訴えかけてくる。要はつまり、人気店だ。こんな時でもなければ、すんなり席には着けなかったかもしれない。
「こちら、そばやきみそなります」の声と共に、先程の店員さんが、杓文字の上に焦げ付いた味噌を運んできてくれた。こっくりと艶を見せる白味噌からは、それだけで目にも香ばしい焼きが顔を覗かせていて、箸でそっと掬えばたっぷりと混ぜ込まれた刻み葱がこぼれ落ちる。慎重に口元に運んで、舌先に乗せる。それだけで味噌の持つ馥郁とした香りが口中に広がって、焼き目のかりりとしたあの焦げ茶が、鼻孔をふわりと抜けていく。まろやかに出汁の香る味噌の中から、砕いた落花生だろうか、ざっくりとした甘みと硬さが噛みしめる奥歯に染み渡り、頭の中の右奥の方が、旨味を拾って痺れていく。夢中になって二度、三度掬う。日本酒でゆっくりと溶かしてみる。
 蕎麦屋だ。久方ぶりの蕎麦屋だ!!!
 富士そばだって小諸蕎麦だってちゃんと美味しい、なんなら通勤道中のめとろ庵でだってお蕎麦は文句無く、文句無く美味しくいただくけれど、それなりのそば屋じゃなけりゃあ、この焼き味噌は難しい。
 ご満悦で思わずにんまりと微笑むと、向かいでは夫が焼き味噌の内容物を矯めつ眇めつ、吟味しながらその舌の上で転がしている。複雑なものは複雑なほど、層を成して美味しい。きっと、歳をとればとるほど。
 他愛のない話をして、味噌を舐めて、酒をゆっくり口に含んで。百年前も二百年前も、こんな風に人間は生きていたんじゃないかなと思う。別に大名や武家じゃなくったって。落語の中にだって、町人が蕎麦を啜って生きているんだから。
 それはとても豊かなことだ。豊かな国なのだ、ここは。
 間もなく運ばれてきたかき揚げ蕎麦は、もう口に含む前から、つけ汁に浮かぶかき揚げの三つ葉のじゅんと青い香りが漂ってくる。もうそれだけですっかり、頭の芯が痺れてくらくらとしてしまう。春の匂いだ。
 お上品な漆塗りの器から、三ツ山に並べられてた蕎麦を箸先で掬って、これはまったく粋でもなんでもないのだけれど、つけ汁にたっぷりと浸してみる。かき揚げと掬って、ずずっと啜る。こしのある、つるりとした麺に出汁の効いたつけ汁が絡んで、しみじみと美味しい。かき揚げの帆立が噛み締めれば噛み締めるほどじわじわと甘みを増して、焼いた小海老の香ばしさが、こっくりと深みを足してくる。悲しいほど蕎麦を啜るのが下手なのだけれど、箸が次から次へと伸びてしまう。ずずず。不穏な音が鳴る。
 かき揚げのざくざくとした歯ざわりと油の甘みが、つるりとした蕎麦と対象を成して口から喉へ過ぎ去っていく。ひとくち頂戴とねだった夫の山かけ蕎麦は、どろりと濃い山芋の甘みが蕎麦に絡んで、これもまたねっとりと口中にうまみを広げて美味しい。永遠に口の中に含んでいたくなる。食材の持つ甘みが訴えてくる。今やつけ汁をだっぷりと含んだふにゃふにゃの天かすが、それもそれでまったりと蕎麦に絡んでおいしい。食べ終わりたくない。勿体ないから。でももっと食べたい。
「いつもより食べる速度が速いね」
 夫がにやにや、笑っている。
 最後に運ばれてきた蕎麦湯をつけ汁に注いでぐいと飲み干す。まったりとコクがあって、うっすらと酔の回り始めた舌に優しい。どろりと喉の奥を伝っていく。滋養がある。そんな気がする。すっかり飲み干す寸前で、「ひとくち頂戴」と夫に乞われて慌てて差し出した。じっくり出汁の染みた天かすが、まろみの中のいいアクセントなのだ。このまま水筒に詰めて、持って帰りたいぐらいに。
 結局、滞在したのは小一時間だろうか。会計を済ませて店を辞すにも、ちりん、と、例の鐘の音が鳴る。涼やかなそれが、耳に楽しい。
 歩けば歩くだけ、何だって見つかる。知らないだけだ。
 この町を、もっと楽しめる。これからもっと。そんな気がしている。

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