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「白昼の悪魔」~ クリスティ―・プロジェクト その29

 大型連休もカウントダウンになってきました。ずっと籠っていたけど、これから出かける予定なので早めに書いてしまおう。それにしても果たして月曜日に無事社会復帰ができるのか・・今からいささか不安でアリマス。

 さて今回は、クリスティーのあまたある作品の中でも名作の部類に入るであろう「白昼の悪魔」(1941年)。孤島のリゾート地にあるジョリー・ロジャー・ホテルに逗留したポアロが滞在客たちと交わす社交的会話から話が始まるが、殺される元女優アリーナをめぐってすでにドロドロの愛憎劇の予兆があり、ワクワクさせられるつかみである。               登場人物は多いが、前作「愛国殺人」と違って人物像が明快なのであまり苦にはならない。ハヤカワ文庫で400ページ弱の中編であるが、無駄がなくすっきりとした運びである。                      「一番怪しく見える人がやはり犯人」というアガサのいつもの手法だが、となると動機とトリックが読者の関心事となる。細かい目くらましはあるが、中心は犯人のアリバイ・トリックであり、何よりもこれを障害なくやりきれたことがすごい(それにしても、クリスティーの犯人の身体能力の高さにはいつもながら感心させられる・笑)。                   翻訳は少し古いのだろうか。ポアロや、アリーナの夫ケネスと幼馴染のロザモンドが、およそ教養人とは思えないガラの悪い言葉遣いで少々興ざめなので、新訳が望まれる。本作ではあまり人物の掘り下げはなく一気に話が進んでいくが、私が惹かれたのは、アガサの作品には珍しく単独事件となった被害者アリーナの実像である。他人(特に男たち)を振り回すだけ振り回しているようにみえて、実は男性からはすぐに飽きられ利用され、最後には命を落としても悼まれもしないという女性の半生は、それだけでドラマになりそうである。アガサは後に、ミス・マープル物の傑作「鏡は横にひび割れて」(1962年)で、印象的なハリウッド女優マリーナを登場させるが、本作のアリーナにその原型があるようにも思える(そう言えば、名前も似通っている)。

 映像化作品は、まず映画「地中海殺人事件」(1982年・英国)。ポアロはおなじみピーター・ユスチノフである。リゾート地の話だから、たしかに映画化にふさわしい。ロケはマジョルカ島で行われたそうである。コール・ポーターの劇伴に乗って、終始明るく展開するところはシドニー・ルメット監督作品の「オリエント急行殺人事件」(1974年・英国)のようだが、娯楽作品なのでこれでよいのかもしれない。
映画は何といっても資金が潤沢なので、ゴージャスで目に楽しい。ただ、本作の登場人物たちのファッションはあまり趣味が良いとは言いがたく、リゾート地だからといってもキテレツなスタイルばかりであった。ポアロの水着姿などはユーモラスで一見の価値はあったが。
被害者アリーナは、いささか年齢は上だが元女優らしい妖艶さを備えていて、迫られたら若い男性でも虜になりそうな魅力がある。ホテルのオーナーでアリーナと夫のケネスを昔から知っているダフネは映画での創作だが、原作のロザモンドの役割を担っている。演じるのは名優マギー・スミスでさすがの存在感。キーパーソンとなる、レッドファン夫妻の夫パトリックはイケメンではあるが、水着スタイルになると少しお肉がだぶついていて、最近ならもっと身体をしぼれと監督に言われそう。クリスチン・レッドファンを演じるジェーン・バーキンは大変お美しく、最後に着飾って出てきたときの恰好良さといったら全く惚れ惚れした。                      本作品は、原作のトリックで無理があると思われる点を解消した脚本になっているのも特色である。原作では、アリーナが発見された時にはうつぶせなのだが、本作品では仰向けになっている。首を絞められたのにうつぶせになっているのはいささか不自然だからであろうか。なお、原作ではアリーナの顔に、彼女が普段から愛用していたひすい色の笠がかかっているのだが、本作品では真紅のチャイニーズ・ハットに変えられていた。
                                  (ここからこの段落の最後までの記述にネタバレありなのでご注意を)。        クリスチンは、洞窟から出てきたアリーナの頭を石で殴りつけて気を失わせるが、確かに原作のようにアリーナがパトリックに言い含められて隠れているだけだと、一連の工作をしている間にアリーナに気付かれるリスクは大きい。クリスチンが体に着色をするのは、原作ではアリーナの義理の娘のリンダと出かける前となっているが、それではリンダに気付かれるリスクがあるので、アリーナを気絶させた後の洞窟の中で速攻で行うのである。犯人夫妻が犯行に及んだのは、原作ではパトリックがアリーナから金をみつがれた件を隠蔽するためとされているが、殺人の動機としてはいささか弱い。本作品ではティファニーの宝石を登場させて、その強奪目的を動機とした。冒頭、ポアロが保険会社からの依頼を受けてこの島に来たいきさつとつながり、話は一貫するのだが、いささか本話全体のスケールが小さくなってしまった気がしないでもない。

 ドラマ化は、名探偵ポワロ第48話「白昼の悪魔」(2002年・英国)。映画とは異なり豪華さには乏しいが、原作にはないヘイスティングスミス・レモン、ジャップ警部の「ポアロ・ファミリー」が総出となったり、ポアロがホテルに出向く理由をダイエットにしたり(スチーム・バスで目を白黒させるポアロが見られる)と工夫を凝らしているのでおもしろい。
登場人物は多いが、映画のように有名人ではなく見かけはおとなしい感じ。被害者アリーナは美人ではあるが、皆が魅了されるほど魅力的ではない。アリーナの夫ケネスは、映画では人の良さそうなおじさまだが、本作品では原作のイメージ通りでちょっと気難しそうなキャラである。ロザモンドエミリー・ブルースターは表情豊かな中年女性でチャーミング。原作では影の薄いレーン牧師がオープニングから顔を見せているのはなぜかと思ったら、最後に役割を果たしており、題名「白昼の悪魔」の意味を明らかにする。

(ここから、段落の最後までの記述にネタバレあり)。アリバイ・トリックは原作を踏襲するので、犯行遂行はまさに綱渡りである。パトリックエミリーと犯行現場に着いたとき、本作ではエミリーはかなり「アリーナの遺体」に近づいてきているので、案の定、違和感を持たれてしまっている。クリスチンアリーナが洞窟に身を潜めているうちに浜辺でせわしく工作を行っているが、アリーナに気付かれたらどうするつもりだったんだろう。アリーナをクリスチンひとりでうまく(?)殺せるのだろうか。クリスチンは、アリーナと同じ白い水着とひすい色の笠(ダサくてとてもアリーナの愛用品とは思えないが・笑)を予め用意していたことになるが、アリーナがそうそう犯人たちの思惑通りに行動してくれるものなのか。全くヒヤヒヤものではあるが、このアリバイ・トリックの様子は映像化によってよくわかった。                   100分という短時間に原作の多くの登場人物の役割をすべて描いたのはよいが、肝心のメイン・トリックのインパクトが薄らいでしまった感があるのは少し残念である。

次回はトミーとタペンスの再登場。「NかMか」(1941年)です。(3080字)