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Temperanceの必要性

首都圏の緊急事態宣言に続き、大阪、兵庫もそれに追随していきそうですね。
連日感染者が増えていくニュースは、恐怖心を煽ります。
正しく恐れることは必要ですが、必要以上の過剰な行動、言動には気をつけたいと、頭にすぐ血が昇るワタクシは自戒致します汗。

今回は飲食店の時短要請が主だっています。
一応飲食店の私にも、思うことは多々あります。
果たして本当に飲食店が20時までに閉めたら、感染は収まるのか?
甚だ疑問であります。
正しいデータを示してもらってませんから。

感染経路の多くは、感染経路不明であります。
表向き。
間違いなく感染経路はある程度はわかっている筈。
ならば、飲食店時短要請はある意味、
(見せしめ)だと思っております。
もちろん私見ですよ。

近頃インターネットで散見しますのは、
(寛容を求めすぎるが故の不寛容)です。

日本語には(中庸)と言う素晴らしい言葉があります。
私はタロットを使いますから、これが当てはまるのでしょうか?


片足は地面に、片足は水に。様々なバランスを取る表現がこの一枚のカードに掲載されています。

胸の四角と三角は、
四大元素の、火、水、地、風を示し、
活動宮、不動宮、柔軟宮の3パターンを表していると言われます。

このカードはタロット大アルカナ、テンパランスと言います。
テンパランスはよく、
節制と訳されますが、この訳にはちょっとしっくりいかないんですよね。
まだ、(調和)の方が合うように思います。
中道と言う日本語とも違う。

調和とは、あるものに蓋をして、
(まあまあまあ、)と宥めることではないんですよね。
様々な現象や事項を含み、それを内在させて存在するものです。
だから割に難しいんですよね。いや、かなり難しい。

私たち人間は悟りを開いてるわけでもありませんし、喜怒哀楽を持ち合わせておりますから。

テンパランス、中庸。
それは理想かもしれません。
しかし人は理想へ向かって努力する術は知っています。

極端に偏った意見や考え方は、反対の意見を尊重しません。
そして言論、表現の自由は、民主主義社会の中で、長い歴史の中で人々が勝ち取った権利であります。

ではその自由は、何処から勝ちとりましたでしょうか?

偏った権力からの勝利でありました。
フランス革命であったり、メイフラワー号から南北戦争であったり、明治維新の一連の戦いであったり。

当たり前にあるものは、実は当たり前では無いことを理解する必要があります。様々な人々が権利を主張し合うことをダメだとも思いませんが、一方を封殺するような風潮は怖いことだと思うのです。

「寛容論」で有名なヴォルテールはこう言いました。

(私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。)

このような前の見えない時代だからこそ、
寛容でありたいですし、様々な事を内在した中庸でありたいと、思っております。

目に見えないものに振り回されるのはごめんです。
致し方ないときも場合もありますが、
不必要な偏りはまっぴらです。

テンパランスでありたいと思う、今日この頃です。

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