海にさよなら

 夕方になると町は週末のあわただしさをけだるさに変えながら金色に染まってゆく。おんぼろの軽自動車が大げさにエンジンを吹かしてジュリーの傍を通り過ぎる。露天の焼き鳥売りが人々を呼びかけるが香ばしい匂いに誘われる人もなく、煙だけがそこらの景色を靄めかせている。路地裏から猫が出た。蒼い瞳でジュリーを見た。小さくにゃあと鳴いてから、長い尻尾を思い出のように振り残して薄闇に消えた。ああ、夜が来るんだな。
 さよならはいつだって淋しい。ジュリーは丘の上の小さな家の、二階建ての窓際に腰掛けて、しけた煙草に火を点けた。風に煙がくだけて月夜がまた明るくなった。晩夏には蝉も鳴かず、目に見えるセンチメンタルも転がっていない。ただ空虚な時間だけがいっときの季節を空白にしているだけだ。
 秋、その時まで、この町で生きて、そうして、やさしい人の顔は、二度と見られなくなるようなほんとうの暮れ時に、ジュリーの涙は乾かなかった。ソファーに凭れてじっと眺めたテレビの陽気が残酷だ。思い出は確かに思い出されて輝くものであるが、それを心に仕舞うのには、幾分傷つく覚悟も必要なのだ。
 海岸沿いで口をついて出た古い歌の名も知らないくせに。波は打ち寄せて、また引いてそうして、今度は大きなのがきたと思って、一歩あとずされば爪先は濡れなかった。いつでも愛はメロディーを忘れない。ジュリーの感傷は渚を越えて、遥かあの夏へゆくのだろう。

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