見出し画像

夢を与えるドリーマー。長所は伸ばす、短所は味に変える「札幌じゅん先生」としての生き方 川根順史さん

今回、美容師として数々の実績を持ちながら、自らの在り方で夢を与えるドリーマーとして活躍されるカリスマ美容師の元祖とも言える川根順史さん、通称「札幌じゅん先生」にインタビューをさせて頂きました。

川根順史(かわねじゅんじ)さん プロフィール
経歴 苫小牧美容学校卒業
職業 美容師、ドリーマー
活動地域 全国

Q.今はどのような活動をされていますか?

川根順史さん(以下 川根 敬称略) 美容師になって43年。ただ、がむしゃらに走って来ました。小学校5年生で山口県の宇部から室蘭に来て、姉の薦めで美容師を志すようになりました。
カットコンテストで17回優勝し、そのなかでもVidal Sassoonのカットコンテストで日本一になれたこともあって、
北海道を自分が引っ張るという思いでここまでやって来ました。札幌でサロンを経営しましたし、川根塾という名前で沢山の教え子も持ってきました。北海道の美容業界を盛り上げたい思いで、「サッポロコレクション」というヘアショーを開催することもしてきました。美容学校の設立からもお声をかけて頂いて、そこでも講師として17年間学生の指導もしてきました。昨年は3月に美容学校の講師、7月にサロンも卒業をしました。

最近の活動は10年続いている札幌 FMしろいしでのラジオ番組を持ってパーソナリティを務め色んな業種のゲストを紹介しています。
美容師としても、今年も講演会やセミナーなど、また美容室としても大きく動こうと考えています。
僕は「札幌じゅん先生」というドリーマーとして、夢を与えることを仕事にしています。

Q.今どのような夢をお持ちですか?

川根 美容師というものは師弟制度で教育が成されるものなのですが、今、美容業界の現状は新卒の美容師の半分が1年でやめてしまうという現状があるんです。もったいないですよね?

美容師の楽しみは技術を通してお客様に喜びと自分の可能性を信じる勇気と自信を与えられる素晴らしい職業です。
しかし現状の仕組みでは技術者として一人前になるのに時間がかかりすぎます。
もともと、僕は教育に携わって来たこともあり、最後は「美容師」にお返しをしたいというのが僕の想いでもあるのです。
僕は個人としてカットコンテストで17回優勝した経験もあるし、サロンを自ら作って複数の店舗を経営したこともあります。
教育の経験もあるし、教え子を89回コンテストで優勝をさせた経験もあります。

その視点から見たときに今の時流を考えたら、これからは修行をすることが当たり前でないという選択肢もあっていいと考えています。

僕だからこそできる教育の形があると考えていて、まだ具体的には言えませんが、今年から準備を進めていきます。

Q.夢の実現のためにどんな計画や準備をされていますか?

川根 具体的には夏くらいから美容学生及び今年卒業した子達に向けての勉強会を始めます。
美容の教育なので、「美しいとは何か?」とか、「サービスとは何か?」とか、美容師としての技術だけでなく総合的な教育を提供しようと考えています。
僕の信念として、技術力があるならお客様に選ばれないといけないといけないと考えています。ただ、お客様の言いなりになるわけではなくて、こちらから提案することができて、お客様に選ばれる美容師を育てるということ。美容師として、ほぼすべてのことを経験したことがある僕だからこそ、提供できると考えています。

Q.北海道を自分が引っ張るという強い想いはどこから来たのでしょうか?

川根 室蘭で美容師をしながら、カットコンテストで16回優勝をしました。16回から17回の間は10年以上あって、46才で17回目となるVidal Sassoonの全日本大会で優勝することができました。普通カットコンテストは30代で卒業するのですが、Vidal Sassoonのカットコンテストは他のコンテストとは群を抜いていて、ここで優勝すれば名実共に日本一を証明できる大会でした。
僕にとって美容師としてそこまで行かないと引き下がれない想いもありましたし、気付けば18年間掛けてチャレンジし続けていました。
だけど、16回目に優勝するぐらいの頃には既に多くの人にカットの講師もしていましたし、コンテストの為に練習するということもしませんでした。
そんな僕を見かねて、当時癌を患っていた姉から言われたことが、
『コンテストに出るなら勉強のためじゃなくて1位にならないと意味がない』
核心をつかれる一言を言われて、僕は怒って病室から外に出たのですが、その4日後に姉は息を引き取りました。
その言葉も胸に、もう一度チャレンジしようと決意を固めてチャレンジをしたときに優勝することができたのです。姉の言葉によって美容業界にも導かれたし、ここでも引き上げてもらったと感じています。

そして優勝することが出来たとき、当時は美容雑誌で北海道が紹介されることってほとんどなくて、札幌には全国区がいなかったんです。
だけど自分が15年間ロンドンで学びにいったりするとそこに一緒に学びにいった美容師が、取材を受けているんですよね。
技術的には負けているはずがないのに。東京だから取材しやすいし、そこに注目が集まる。

それが悔しかったこともあるし、僕が北海道を引っ張らなかったら誰が引っ張るのかという想いで、1991年札幌にサロンを構えることを決めました。そのときに北海道初のヘアショーとなるヘアメイク「サッポロコレクション」を主催したりもしました。当時は美容協会から名称についての反対もありましたが、述べ人数で7年間で1万人以上の人を動員できたのはなかなかできないことだったと思っています。

よく17回のカットコンテストの優勝を僕の経歴で紹介をしてくださる方がいるのですが、16回目から17回目の間には長く間もあったし、決して順風満帆なことはなくて、沢山の苦労や、いろいろなことがあったんです。そこには成功があったわけではなくて、全て通過点だったと考えています。言葉にするなら『成長』という言葉が近いと思います。

Q.そこまで強く思えるバイタリティはどこから生まれてくるのでしょうか?

川根 僕は動物占いだと長距離ランナーのチーターなんです。なので相手が喜ぶならなんでもしてあげられます。

僕は実は吃音で、言葉を話すときに、焦って話すとどもってしまうのです。だけど流暢に話せないからこそ、どのように僕を表現するのかを考えました。
今は逆にゆっくり話すように心掛けています。そうすると他の人とは違う僕のキャラが出るし、「外面は、内面の一番外側である」というように、洋服も含めて表現に一貫性を持たせることで、「じゅん先生」という人間に興味を持ってもらえると感じています。

『長所は活かす、短所を味に変える』

実践と実績を通して蓄積できたと思っています。
それが出来るのも、自分を信じられるからです。これは僕にとって美意識の核でもあるのですが、一つのきっかけをくれたのは母の言葉でした。

僕が宇部にいた小さい頃。銭湯の帰りに母親の背中に背負われながら、満点の星空を眺めていたんです。
その時に母に僕は質問をしました。

「お母さん、あの星のどれかに地球人は住んでいるの?」

皆さんだったら子供がこう言ってきたらどう返しますか?

僕の母はこう返したんです。

母『じゅんはどう思うの?』

「いると思うよ」

母『じゅんがそう思うならそうかもしれないね』

なかなか、この言葉って返せないと思います。僕が自分を信じられるようになった原点がここにあったと考えています。

Q.最後に座右の銘を教えてください

『REVIRESCO』
Reは再び、
VIRESは力、
Coは会社や共同体

「僕たちは逆境の中で繁茂する」

これはユダヤ人の言葉でもありますが、僕の人生も吃音だったり、北海道を美容業界を引っ張ることも、全て逆境から始まりました。
僕にとっての「夢」は頑張れば掴めることです。これからもドリーマーとして社会に貢献をしていきたいと考えています。

記者 先生、ありがとうございました!

編集後記 インタビューをさせて頂いた堀江と赤尾です。じゅん先生のお話を通して、北海道を引っ張っていく決断の背景には、誰もに証明できるような実績を貫きながらやり抜いてきた、先生の強い熱を感じました。限界を超える中で、様々な出会いや想いもあったと思いますが、それを表に出すわけでもなく、自分の生き様を通して夢を与えるという在り方に、多くの人が影響を受けていることを感じることができました。

記者 ミッションリンク 堀江(右手前)赤尾(左奥)

じゅん先生のホームページ&フェイスブックアカウントはこちら!
ホームページ
https://ameblo.jp/cutcutjun/
フェイスブック
https://www.facebook.com/kawane.junji

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?