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両手いっぱいのオアシスを

自分の機嫌を自分でとれるようにすることがここ数年の目標である。目標を掲げた時から多少は進歩していると思いたいが、今でも癇癪の虫が暴れ出すと私の心には靄がかかって何でもかんでも放り出したくなってしまう。まだまだ精進が必要だ。

自分の機嫌を自分でとるにはどのようなことが必要なのだろうか。

まずは自分の好きなことを大切にすること、忘れないでいることが第一歩だ。自分が好きだと感じたものは心に閉まって、定期的に取り出して眺めて、そのことについて考えてみるのが自分の機嫌をとることに繋がっていると私は思う。私が好きだと感じるものの1つに食べ物がある。好きな食べ物を食べたり、作ったり、眺めたりしていると靄が無くなっていくのを感じる。今度の週末はあれを食べようと考えている時は幸福な気持ちで満たされていく。

次にある程度の執着心を捨ててしまうことではないかと考える。1つのことにこだわり過ぎるとだんだん身体全部丸ごとカチコチに固まってしまうように感じる。頭の先からつま先まで固まってしまうとだんだん靄が現れて、今度はズーンと全部が重たくなってしまう。熱を帯びてそこから動けなくなってしまう。そうなると自分の機嫌はどんどんと悪い方へと進んで行ってしまうのだ。そうなってしまった時に「もう、いいかな」「まぁそんなこともあるか」と執着心をポイと捨てられると、凝り固まった身体が解けて機嫌も良い方へと進んでいく。

執着心が捨てられない時には好きなことや好きなものの出番だ。自分の好きのオアシスにどっぷりと機嫌を沈めて、良くなるまでじっくりと好きを浸透させてしまう。この時「好き」が多ければ多いほど豊かで澄んだオアシスになる。自分で自分の機嫌をとるという行為はこれを繰り返せることだと私は考えている。

ところで「好き」が多いということは豊かなことではないだろうか。好きな味、好きな色、好きな人、好きな場所があるということはとても豊かだと思う。逆に豊かであれば好きなものを見つけやすくもなっていく。自分自身の「好き」はまた別の「好き」に繋がっていき、だんだんと豊かになれる。

今は自分と向き合う時間が嫌という程増えている。不安になる時も、泣きたくなる時も、急に癇癪の虫が暴れる時もある。でもそんな時は執着心をポーンと捨てて、自分って何が好きなんだっけ?どんなことで心がウキウキしていくんだっけ?と「好き」のオアシスに出かけて機嫌の方向を取り直してやれるように成りたい。

#ゆたかさって何だろう #日記

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