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翳に沈く森の果て #2 錘

  今日は璃乃の誕生日だ。だから特別。そして今年の誕生日はまた特別だ。少し遠いけれどお墓参りに行こうという予定以外は特に何もなかった。

  二年くらい前から、璃乃(アキノ)は何かがずんと身体全体を重くしていて、やりたいこともやるべきことも、全部進めたいのに進められない。心も重すぎて全部が間違っているような気がして、頑張りたいのにできない。頑張りたいのにどうしても手も足も、頭も心も進めなくなってしまっていた。どの問題からどう手をつけていけばいいのか。あらゆるものが飽和してしまって蔦が絡んでしまって、さらに水分でも含んでどうにもならない塊みたいだった。そんな大きさも分からないような大きな錘のようなものを感じながら、闇の中で何か蔦を解く手がかりみたいなものはないものかと探してみるのだった。が、こうして向き合おうとしてこの何度も徘徊している闇のどこからも光が差してくる兆しもなく「何もなかったみたいに消えたい」と思うようになっていた。
 長く生きてきた間に嬉しいこと、楽しいこと、感動的なことだってたくさん感じてきた。けれど悩んだり、悔やんたり、がっかりしたり、傷ついたり、自分を責めたり、考えを巡らせて懸命に進んだつもりだったのに少しも成長していない気がして前が真っ暗で苦しくて泣いてばかりの日も多くなっていった。
 とにかく心配をかけたくない人たちのために普通に日常をこなしていると「見えるように」頑張ることで璃乃は精一杯だった。
 ただ璃乃は死のうと思ったことは決してなかった。

 ある時、璃乃は光を探す方法を頭の中に描いて膨らんでは消え、暗闇を彷徨っては疲れ果て、そんなことを繰り返している状態から進まないので泥を吐くように思いつくまま書き出していくようになった。そうして考えるのも泣くのも疲れたある時、

「涙はどこから来て、どこにいくんだろう」と思った。

「これが森に降る雨だったら熱帯雨林みたいになるのかな」

「たくさん泣いたなら、その分豊かな森が育っているのかもしれないな」

 そんな風に想像した。
 
 それから相変わらず晴れない心の空を時々眺めてはその心の中で降る雨の行先を追って見える景色を辿るうちに視野が広がっていく感じがして、いつしかその熱帯雨林のような森の世界が自分の中に本当にあるように思えてきた。

 過去というものに一つ一つ向き合うことを試してみようと思ったことはなくはなかったが、いざ無傷で帰れる気がしない未到の地へ踏み込むことは簡単なことではなく、手前で引き返すようなことは幾度かあった。
 ただ、今どこかに(誰かに)相談すべきなのかもしれないけれどそんな場所を探すことさえ出来ない場所まで来てしまったというのならもう行く場所がない。
 今回は見て見ぬふりをしてきた心の中の森がどんなものなのか知りたい。元々どんな所だったのだろう。どんなものがある(いる)のだろう。答えがその中にあるような気がして、璃乃の探究心は徐々に増していくのだった。
 
 そうして「今回こそ最後だ」という気持ちで、振り返ることも怖くて自分の中で蓋をして通り過ぎてきた見たくなかったものたちの元へ、時間をかけて何度でも訪ねてみようと決めたのが数ヶ月前のことだった。












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