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【書評】町田市立国際版画美術館「インプリントまちだ展2020 すむひと⇔くるひと ―『アーティスト』がみた町田―」カタログ


慶野結香(青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)学芸員)

すべての展示は見られない、と誰かが言った。展覧会を見たくて堪らないが、実物を見るのは場所や時間に制約されることだし、催事の情報を得られないこともあるのだから、見逃してしまうのは仕方がないという意味である [1]。正確に言えば、そのような意味であった。しかし2020年4月末の現在において、この言葉は文字通りの意味になっている。すべての展示「が」見られないのだ。目に見えないウイルスという脅威によって。

本書は、2020年4月11日から6月28日まで町田市立国際版画美術館で開催を予定されている(編集注)展覧会「インプリントまちだ展2020 すむひと⇔くるひと ―『アーティスト』がみた町田―」のカタログ(図録)である。現在、新型コロナウイルス感染予防のため同美術館は臨時休館しており、展覧会の公開時期も未定になっている。

展覧会――基本的には物や人を移動させ、ある空間に集約することで何かを伝えるメディア。決められた期間が過ぎれば、物は元あった場所へ、もしくは次の場所へと移動し、二度と同じ状況や環境で見られることはない。そのため、展覧会の意図や記録を残すために、書籍というメディアが自然発生的に選ばれ[2]、カタログが作られてきた。実見することができなかった展覧会のカタログを手に取り、その意図や出展作品、構成などを知ることは多いし、近年では作品が展示されている会場風景の写真が収録されることも多く、なんとなく展覧会の追体験ができたりもする。

おそらく現在休館中や開催延期中の展覧会は、展示作業も終了し、あとは一般に公開されるのを待つだけのものも多いだろう。状況が許せば、延期開催されて見られるものもありそうだが、作品のコンディションや他の事業との関係で、一般公開されないまま終わるものもあるかもしれない。この世界にあるはずだけれども、見られないということ[3]。果たして、展覧会は公開されなければ成立しないのだろうか。自分自身も先行きに不安を覚えつつ、現在、最も基本的な展覧会の記録方法であるカタログとはいったいどのようなメディアであるのか、今こそ意識的になりたいと思っている。

この書評では、展覧会カタログを通して、実際に見ていない展覧会をどこまで読み解くことができるのか、「『インプリントまちだ展』について」、「展覧会の構成」としてまとめた後、「展覧会カタログが映す展覧会」として、展覧会の記録を通し、展示空間において展覧会が経験されなくても伝わること、また、「カタログからは伝わらないこと」に着目することで、書評として「インプリントまちだ展」カタログを扱っていきたい。

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・「インプリントまちだ展」について
「インプリントまちだ展」は、町田市立国際版画美術館が2017年から毎年開催してきたシリーズ展であり、「版画制作を軸とする若手作家を招へいし町田に取材した新作を発表する」、「東京オリンピック・パラリンピック大会に向けて4年間実施し、最終年には外国人アーティストを招へいする」という二つのコンセプトに支えられた展覧会である。

この展覧会では、予め「町田」を切り取るための尺度となるテーマが学芸員によって設定され、それぞれのテーマをもとに一名ずつアーティストを招へいして生まれた作品を個展の形式で発表してきた。2017年のテーマは「スポーツ」で、応援するプロ野球チームの「選手」の一員としてシーズン全試合を描き続けるながさわたかひろ。2018年は「記憶」というテーマで、メキシコでの経験を通して女性の手仕事から生まれる創作行為に興味を抱く荒木珠奈。2019年は、町田の独特な地形や豊かな「自然」に着目すべく、木などを通して自然と人間の関係を描く田中彰。そして最終年の外国人アーティストとして招へいされたのは、インドネシアのアーティスト、アグン・プラボウォで「都市」をテーマとした。

招へいアーティストを「くるひと」と捉え、町田に一定期間滞在し作品を作ってもらうというのは、公立美術館が行うアーティスト・イン・レジデンス(AIR)事業のように見える。地方自治体が主催するAIR事業の多くは、予め滞在期間が決められたプログラムがあり、事前の作品構想などはあるものの、短期間でその土地を取材してここでどのようなアプローチをするべきか考え実践し、その間に地域の人々と交流すべくワークショップやレクチャーなどのプログラムをこなしていくことが多い。しかし「インプリントまちだ展」では、展覧会を予定する前年度からアーティストは度々町田に足を運んで事前調査を行い、どのような作品を制作するか時間をかけて考えていることが、カタログに収録された各作家のプロジェクト「ドキュメント」から窺える。最終年度にインドネシアから招へいされたアグンも、滞在自体は14日間と短いものの、帰国後自身のアトリエで町田の経験を消化して作品化するに十分な時間を確保している。これは、地域を取材して新たな作品を作り、展覧会で発表するという目的(ゴール)のために、各アーティストのアプローチや制作方法に寄り添い、プロジェクトとしてより良いコミッション・ワークを作りたいという姿勢の表れだろう。

この事業の最終年度であり、東京オリンピック・パラリンピックの開催も予定されていた2020年は、企画の集大成としてこれまでの招へいアーティストの成果をまとめ、彼らが町田から生み出した作品を再文脈化すると同時に、海外からの招へいアーティストによる新作発表を合わせた展覧会が企画されていた。

・展覧会の構成 (カタログの章立てから)
今回の展示は、これまでの「インプリントまちだ展」集大成としての展覧会だが、町田という場所を多角的に捉え、紐解くために各年度で設定されたテーマ「スポーツ」、「記憶」、「自然」、「都市」が、各年度の展覧会が行われた順に紹介されるわけではない。ここでは、地域の美術館として「地元ゆかり」の作家作品を収集・展示したり、アーティストが来ることで地域振興や住民との交流が生まれることに対する担当学芸員の深い問題意識にもとづき、招へいアーティストを「くるひと」、地域住民を「すむひと」として、内外の視点からその土地を捉えなおす試みが行われる。

1章は「くるひと」田中彰の実践を軸に「水と木が作る土地」とまとめられ、この土地における自然と人間の関係に焦点をあてる。ここで「くるひと」に対置されるのは、町田で生まれ育ち、一時は町田の高等学校でも教えていた若林奮の視点である。1978年から80年にかけて若林が連作している《境川の氾濫》は、住人の視点でないと気づけない川の一面であり、住んでいるからこそできた定点観測が作品に反映された一例である。

一方「くるひと」も、外部の視点で地域を取材するのではなく、いかに「すむひと」と関わり、彼らの視点を取り込んでいくかを考えている。美術館来館者との約2ヶ月半におよぶ共同制作では、作家の描く線を身体的にトレースするように参加者が木に触れることのできる協働の仕組みや、来館者の大切なものや記憶の中にあるものが刷られた小さな木口版画を作品世界に取り入れている。

荒木珠奈は「記憶」のテーマの下、養蚕に着目し「繭の記憶」として作品制作に取り組んだが、2章では「繭と農(みのり)の記憶」として、養蚕と深く結びついた町田の土地とその記憶に話がおよぶ。そこで参照されるのは、芸術作品としてではなく複製技術としての記録のための銅版画や、写真が印刷された絵葉書、大正期の町田の養蚕農家が使用していた種紙(蚕卵紙)であった。当時、屋敷の風景を銅版画にするよう発注した豪農や絵葉書印刷の注文者は、繁栄の様子を記念し、家の誇りとしたかったのかもしれない。しかし今となっては、明治の町並みや工場の様子が分かる貴重な資料である。また、大正期の町田の養蚕農家が使用していた種紙(蚕に卵を産ませた台紙)には、よく見ると卵の形跡がある。版画を複製技術と捉え、蚕がそこで卵を産んだことの痕跡までもがプリント(焼き付け)されたものとして連想ゲームのように繋がってゆく。

この章では他にも、「すむひと」として、1950年代に移り住んだ木版画家の三井壽が取り上げられる。彼が農家の人々との交流や路傍の石仏に目を留め作った作品は1970年代の『農民文学』誌の表紙を飾り、農から生まれる芸術の象徴的存在になった。同じく移住組の農民運動家・浪江虔、農業改良普及員として農家への技術・経営支援を行いながら小説を書いた薄井清の活動も紹介され、カタログでは内容は読めないものの、農村の生活向上に理想を燃やし活動を行ったことが窺える語句の読み取れる書影が掲載されている。

先の章で「すむひと」として挙げられた、町田の農業に関わって来た人々。彼らの多くは、どこかから移住してきた人々であった。そこで挿入されるのが「団地・移住」と題された断章である。現在でも町田の特徴である団地と、そこへの移住が特集されている。1970年代に団地に移り住んだ松本旻は、日本各地が開発され、それまでの日本の原風景が消失してしまった実感から風景写真を抽象化する。一方、写真で紹介される山崎団地のどんど焼からは、農の記憶を残す火祭りが、団地文化の一つとして確実に継承されていることが示される。祭りを倣うことを複製概念とするのは強引かもしれないが、ここでは「くるひと」が「すむひと」になっていく様子が示され、彼らは決して二項対立の存在ではなく、時間によっても変化する、異なる場所で考えれば立場が入れ替わる往還可能な存在であることを想像させる。

「住む町に育てる文化」と題された3章では、町田市民祭、自主出版物、街の日常に目を向けた作家たちの実践を通して、市民が独自に培ってきた文化に焦点が当てられる。2017年に「くるひと」として招へいされるはずだったながさわたかひろは、この企画のオファーを受けて、まるでスポーツ選手がチームと契約し、見ず知らずの土地で人間関係を構築してプレイしていくように、町田へ移住した。ちなみに彼は、スポーツからエンタメ情報、政治・社会情勢までが溢れる「スポーツ新聞」である『オレ新聞』という作品を制作している。

本章では、1973年に商店街で催された第1回市民祭「23万人の個展」が市民文化の起点として紹介される。これは移住者が増えたことで生じた「旧住人」と「新住人」の断絶という課題を解決すべく、その交流を目論んだものであった。イラストレーター、冒険家の中島宋松が描いたポスターからは、原始から続く祭りに込めた願いが覗き、「あなたが出展し 自分で楽しみ そしてみんなを喜ばそう」というコピーが踊る。

1970-80年代頃からの印刷メディアを活用した自主出版物を追うことで、当時と現在の住民のアプローチの差というものも浮き彫りになる。全国的な市民運動の影響を受けながら作られた自主出版物は、住む場所の自然保護や、結果的に地域の生活や歴史を残すことにもなる自分史や女性史など、政治的・社会的な課題の解決に重点が置かれていた。一方、現在の代表として取り上げられる地域のフリーペーパーは、サッカーチームの応援や、個人で地域の魅力を発信するもの、エンタメマガジン、小さな子どもを持つ母親による情報誌など、町を盛り上げたい、ある属性の読者の役に立ちたいという欲望と表現への欲求が合致して生み出されたもののようだ。今も昔も方法は多少異なるものの、市民祭ポスターにあった「自分で楽しみ そしてみんなを喜ばそう」という市民文化の根本理念が息づいていることが感じられる。残念ながらカタログに掲載されている図版では、自主出版物の内容を読むことはできないのだが、もし手に取ることができたら市民それぞれの表現は、鑑賞者の目にどのように映るのだろうか。

さらにカタログを読み進めると、芹ヶ谷公園内にある飯田善國の公共彫刻《彫刻噴水・シーソー(虹と水の広場)》が挿入されて以降、公共彫刻や美術館など行政が主体となって設置したものがいかに市民の暮らしの一部として受け入れられてきたかということ、そして「すむひと」としての赤瀬川原平や鹿嶋裕一が町田の都市に向けた眼差しが、が、現在の都市を捉える糸口として示される。これは、次章で取り上げられる、インドネシアからの招へいアーティスト、アグン・プラボウォが個人として都市に向けた眼差しに繋がっていく 。

この展覧会で新作として出品される、アグン・プラボウォの版画。アグンはこれまでの町田市とインドネシアとの文化・スポーツ交流の積み重ねから派生し、町田市がオリンピック・パラリンピック大会でインドネシアのホストタウンになった縁から招かれたアーティストである。彼は滞在期間中、システマチックな都市としての町田市中心部にいながら、不在の間のインドネシアの混沌[4]をソーシャル・メディアを通じてスマートフォンの小さな画面越しに経験したことで、実際に帰属している共同体にフィジカルに「存在」できないことで感じた不安に着目する。それを哲学的思索へと還元し、人工的な都市の抱える不安、不安を受け入れながら人と人の間に共有が生じることによって起こる希望という、どこでも誰でも経験しうる現代の普遍性を作品に取り入れたのだった。

・展覧会カタログが映す展覧会
本書は展覧会開催準備とともに編集され、オープン予定だった日に発行された。展示空間そのものや、この展覧会で作品がいかにディスプレイされたかをカタログで記録するというよりも、作品図版が一ページに数枚ずつ印刷され、作品とその解説テキストを元に、企画者の描き出す展覧会のストーリーを、ページ順に体験していく要素の強いカタログとなっている。どうしても作品というものが主体になることが多い美術展において、自主出版物などの印刷物は資料展示として参照されることが多く、隅に置かれがちかもしれない。しかし本書では、版画やイラストレーション、自主出版物も同じ複製メディアに関連するものとして、実際のサイズに関係なく、判型のなかでほぼ統一された写真のフォーマットに落とし込まれ、出展物のいずれもが、誰かの手によって生み出された「作品」として等価に扱われる。

アーティストの作品と市民による活動が同じく「個」による実践として取り上げられることで、表現活動を仕事にしている人々は決して市民と解離した、特別な存在ではないと言えそうだ。様々な実践を通して、多種多様に培われてきた町田の市民文化。「すむひと」としてのアーティストは、自身の芸術実践の中で、時には時間をかけてそれぞれの眼差しを定住する土地に向け、作品として発信してきた。では果たして「くるひと」としてのアーティストは、地域においてどのような存在なのだろうか。

本書論考[5]でも指摘されるように、自治体が担うことで独自の発展を遂げてきた「日本型AIR」では、地域の住人を巻き込み、アーティストと交流することに重点が置かれてきた。自らもその一端を担う者として実感するのは、アーティストによる調査や制作にしても、交流という大義名分より先に「『みんな』がいなくちゃ作れない」という前提があることだ。地域の情報を集めるにも、その土地に長く暮らしたり、各分野で専門的に働く方々に問い合わせたり。アーティストの創作自体にも、地域住民による能動的な参加=手助けが必要になることが多い。アーティストは、自身の表現活動におけるテーマや興味関心に沿って、「くるひと」として赴く場所における活動をある程度計画するが、住人と出会い、そこで様々な経験をすることによって、土地というものを立体的に理解し、その気づきを制作プロセスにもフィードバックしていく。滞在期間の長短に関わらず「くるひと」と「すむひと」の双方向の矢印(⇔)上に存在しながら、アーティストとしての物差しによって内外の視点を融和させる地平に立てるのではないだろうか。少し理想論すぎるかもしれないが、そこで出会う人や経験を通して、その場所はアーティストにとっても親しみや愛着のある「地元」になってゆく可能性を秘めている。

しかしそのような可能性があることに気づかされるのは、本展企画者による解説を読んで、展覧会の問題意識を読者が把握するからに他ならない。また、本書に掲載されている、それぞれのアーティストの活動記録「ドキュメント」やアーティスト自身による滞在と制作の所感をまとめたテキスト、市民運動全盛期を知る元市職員のエッセイやインドネシアのアートシーンを知ることのできるコラムから、読者は複合的な視点を得て、作品や各プロジェクトに対するそれぞれの視座を獲得することができる。

展覧会カタログを読むことで、そのストーリーや作品とプロジェクトの背景に関しても情報を得たが、私はそれでもなお実際の展覧会を見たいと思っている。実際の作品がもつエネルギーや、スケール、質感などは、例え版画や複製メディアが展覧会の軸となっていても、紙に印刷された図版や写真からは想像するしかない。本展が土地ゆかりの表現を扱っているということもあるが、自分が芹ヶ谷公園に向かう下り坂を通って美術館に向かい、この展覧会を見た後で町田に対して抱く印象といった、様々な偶然性によって形成される個人的な経験自体を、こういった展覧会に求めている気もする。

ただ確実なのは、カタログを通して展覧会のコンセプトやストーリーを把握し、それぞれの「作品」が本展でどのような役割を担っているのか理解することはできたということだ。例え展覧会を見ていない人にとっても、形作られた文脈はカタログの中に落とし込まれ、存在しているという希望であった。


[1] 近年ではオンライン展示の試みも多くなっており、特に新型コロナウイルス感染症の流行の影響を受け、美術の領域でも展覧会や展示室の様子をGoogle ストリートビューやVR、映像・写真を用いて疑似体験できるようになっている。ここでは、作品などの実物を用いる展覧会のことを扱っていく。
[2] カタログという言葉は、商品や展示物などの目録や説明書に対して用いられることが多い。展覧会カタログの起源は、17世紀フランスのサロンにおける展示作品リスト(リヴレ)にあると言われている。その後、図版やテキスト、作家プロフィールなどが加えられることで、現在のいわゆる展覧会カタログの形にまで発展してきた。
参考:愛知芸術文化センター「展覧会カタログの歴史:アートライブラリーコレクションから」https://www.aac.pref.aichi.jp/aac/aac10/aac10-10alc-3.html
[3] 見られないことがコンセプトとして開催されている展覧会としては、Chim↑Pomが立案した「Don’t Follow the Wind」(2015年3月11日〜)が挙げられる。東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い、帰還困難区域内に国内外のアーティストによる作品を展示している。
[4] アグンのエッセイ「インプリントまちだ展2020のための覚書」本書p.151 に、彼が日本滞在中にインドネシアで起きた汚職撲滅法改正案、カリマンタン(ボルネオ)島の森林火災が挙げられている。
[5] 町村悠香(町田市立国際版画美術館学芸員)「『地元ゆかり』であることとは何かーインプリントまちだ展4年間の実践で得た視点からー」本書pp. 162-169。

編集注(2020年6月7日追記)
町田市立国際版画美術館より告知があり、展示は6月9日(火)より再開、会期は9月13日(日)まで延期となりました。記事発表時とは状況が変わりましたが、執筆者の意図や執筆時・記事発表時の状況の記録性を考慮し、記事の文章は変更せず、注記することで対応いたしました。
展示日程の詳細は美術館のWEBサイトを御覧ください。
http://hanga-museum.jp/

レビューとレポート 第12号(2020年5月)