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欲求に対する誠実さとは

日々
いたずらに消費されていく時間と何か自分の存在意義を提示するための焦燥感。
これらに苛まれている事が近頃のテーマ。

等しく時間は有限だ。

良いものはいい。
自分が心動かされ、赴くままに行動できればどれほど素晴らしいか。
現実はそう簡単ではない。

仮に行動を起こしてみるとする。
私は不器用かつ、妙な所の真面目さを持った偏屈者である。
恐らくまた違った壁に打ち当たり、周囲に迷惑をかけることになるだろう。
破滅欲求もどこかあるに違いない。

今目の前にいる人を殴ったらどうなるだろうか?
そんな妄想は誰もが一度はしているだろう。

実際に殴れる人はどこかネジが外れているが
欲求に対し誠実だと言えよう。

しかしながら自分の中にもこうした欲求に対する誠実さが存在するのだ。
今は鳴りを潜めているが、いつ顕在化するかわからない。

コントロールしていかなければならない。

果たして本当にそうだろうか?コントロールする必要はどこにあるんだ?

殻の中にいる自分を押さえつけるのは本当に正しいのか。
誰も彼もが開放的だと世の中は混沌としてしまうだろう。
気配りなんてものも皆無になるかもしれない。

社会性と理性を持ち合わせることで世の中は回っているのだ。

欲求に対する誠実さでそれらは失われるかは不明。個人次第。

内なる欲への誠実さは本当に不要なのか。
わからない。

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