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4か月ぶりに電車に乗った(そしてひとりで海を見た)


そういえば、この4月に北陸に転居してから、電車に乗っていなかった。

私は車を所有しておらず、
日常生活は徒歩か自転車かバスで十分。

この社会情勢の中で、
電車に乗って、出かけることがなかった。

でも、徒歩や自転車やバスでは行けない、
どうしても行きたいところがあった。

海。
せっかく日本海側に転居したのだから、
海を見たい。

これまでは帰省したときや旅先で、友達と
「どこ行く?」「海行こうよ~!」と何気なく、わいわいと行っていた。

今年はそれがない。
海に行きたい。
ひとりで行くし、密にならないし、行っていいでしょ。
ということで、ひとりで海に行くことにした。

車でなくても、行ける海岸はないかと調べたら、
そう遠くないところにあった。

本当は、もっと早くに行っているはずだったのだけど、
ご存じの通り、7月は悪天候が続いた。

8月になり、酷暑ではあるけれど、海に向かうのには適した天候になった。

4か月ぶりに電車に乗った(といっても数十分。)。
切符を買うのも、改札を通るのも、ホームに立つのも久しぶりの感覚だった。
別に何気ないことなんだけど。それは分かっているんだけど。
なんだかそわそわした。

目的の駅に着いた。暑い。暑いな。早く着きたい。
そこから歩いて約10分。

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ぱああああぁっと、大海原が視界に入ったときの高揚感。
海に向かうときはいつでも、これがとてつもなく気持ちがいい。

さえぎるものが何もない大海原が広がっている。
そうだよ、見たかったのはこれだよ。

海を前にすると、自分の存在の小ささを実感させられる。
自分の悩みなんて、ちっぽけだなあと思う。


この感覚、とても心地いい。

太陽が沈むのを、海岸にひとりで待っていた。
退屈に感じない。気持ちがいい、穏やかなときが流れていた。

ゆっくりと、だからといって遅くもない速度で、太陽が水平線に近づいていく。そうか、この速度で地球が動いているのか。
近づくにつれて、海風の温度が心地よくなった。空も赤くなっていく。

太陽は、まぶしい。じっと直視できない。

だけど、太陽が水平線に接し、自分と目線が同じになったとき、
光はぐっと減って、大きな円を、まっすぐ見つめることができた。

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そのときに、ふと、「あ。太陽と同じ土俵に立った。」と思った。


・・・でも、太陽はずっとずっとずっと、先にある。
さっきまで、自分はちっぽけだなあと思っていたのに。
そんなことを思うなんて、おこがましいな。
(後で調べてみると、太陽は約1億5千万キロメートル先にあるらしい。途方に暮れる距離。)


そんなことを考えている間に、太陽はすっかり見えなくなったけれど、空はまだ明るかった。

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太陽ってすごい。姿が消えても、こんなに明るいのか。
やっぱり、太陽と同じ土俵に立っている、だなんて、
おこがましいにも程がある。


純粋に、とてもきれいな風景だった。
いつもなら、様々なひと夏の思い出のうちの1ページだけど、
今年はこの光景が特別になる。

ひとりで行ったからこそ、
一面に広がる大海原を、海に沈む太陽を、心地よい速さで回る地球を、
ゆっくりと感じることができたと思う。

目に焼き付いている、海の壮大さや太陽の輝きを表現できていないけれど、
記録に残したいから写真に残した。

夕陽をひとりじめ。

とっても心地の良い、贅沢な経験だった。