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僕の好きなアジア映画12:ハッピー・オールド・イヤー

『ハッピー・オールド・イヤー』
2019年/タイ/原題:ฮาวทูทิ้ง ทิ้งอย่างไร..ไม่ให้เหลือเธอ / Happy Old Year
監督:ナワポン・タムロンラタナリット(นวพล ธำรงรัตนฤทธิ์)
出演:チュティモン・ジョンジャルーンスックジン(ชุติมณฑน์ จึงเจริญสุขยิ่ง)、サニー・スワンメーターノン、サリカー・サートシンスパー、ティラワット・ゴーサワン、アパシリ・チャンタラッサミー

主人公はスウェーデンでインテリア・デザインを学んでタイに帰って来た女性(9頭身、いや10頭身はありそうな『バッド・ジーニアス』のチュティモン・ジョンジャルーンスックジン)。ミニマリズムを学んだ彼女は、母と兄と3人で暮らす自宅を自分の事務所にするために、まず身の回りの不要なものを捨てる(断捨離する)ことを決意する。

いかに断捨離をするか、参考にするのは日本の「こんまり」さんのやり方で、捨てるべきか悩んだ時には、それに「ときめき」を感じたら捨てない、「ときめき」をかんじなかったら捨てるという、きわめて単純な方法。兄は断捨離にまあまあ協力的だが、母は猛反対をする。

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物は単純に「物質」であるのみではない。その物質にはさまざまな背景や物語がある。誰かが誰かを思った気持ちがこもっていたり、他者のこだわりや自身の思いでであったり、それは様々だ。時には時間の重さや記憶の名残をその存在に残している。だからこそたとえ「ときめき」を感じなくなっていても簡単には捨てがたいものがある。

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主人公の父は家族を捨て、他に家族を作って家を出た。しかし父のピアノは残っている。主人公も恋人を捨てて留学してしまって、彼を捨ててしまった過去がある。そして帰って来た主人公のせいで、元彼は現在の彼女を捨てることになってしまう。捨てる方は必ずしも熟考をしておらず、多くは刹那的な判断であるが、捨てられる側はそうはいかない。捨てられる側は、捨てる側のことをすっきりと割り切った感情で受け止められるとは限らない。父の素っ気なさと、家族の感情とのギャップがそこにある。

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捨てるという行為は我々の生活の中でも、常に起こり得ることで、避けることはできない。狭い日本の家屋でそれをしないと自分の身辺の整理も、心の整理も不可能だ。人の記憶も脳の構造からして、記憶を少しずつ捨てていかなければ、新しい記憶を加えることができない。言ってみれば、物を捨てることと記憶を捨てるということは、ある場面では同義であるということ。それでもなお我々は、物や記憶を捨てざるを得ない。その上で「捨てる」という行為について我々はもう少し慎重であるべき、と気付かせてくれる映画です。

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