見出し画像

英語で傷ついたこと、癒されたこと。言葉は魔法ってダンブルドアが言ってた

「わしは昔から言葉を操るのに長けておってのう。言葉とは言わせてもらうのならば、尽きることのない魔法の源じゃ。傷つけることも、癒すこともできる力を持っておる。」

ハリーポッターと死の秘宝Part2の終盤で、ダンブルドアがハリーに言うこのセリフが好きだ。ライターという言葉を扱うプロになってからは余計に好きになった。言葉は”変える”力を持っている。自分を、他人を、世界を。だから言葉には真摯に向き合いたい。丁寧に慎重に扱いたい。たとえそれが、どんな言語であろうと。傲慢になったりわかった気にならず、相手への配慮を怠らず、伝え方や使い方に満足せず精進し続けたい。そうして少しずつ言葉の源に近づくたび、その美しさと恐ろしさの虜になってしまった。言葉は本当に魔法の源だと思う。

日本語は本当に美しい。その上で、英語を学びたいと思った。世界の人々にインタビューをして記事や本を書きたいという夢を叶えるために。だから私はこの春、異なる国の魔法を学びに海を越えた。フィリピンの語学学校に留学することに決めたのだ。

実際、初めて学校を見たときはホグワーツ感満載だった。学校に到着する頃にはすっかり日が暮れていて、校舎や庭に暖色の灯りがぼんやりと浮かんでいたものだから「本当にホグワーツみたいじゃん……」と心の中でつぶやいた(まだこの頃は「グリフィンドールがいいな〜」とか思うくらいには余裕があった)。ここで寮生活をしながら3ヶ月間、英語漬けの毎日を過ごすことになる。

留学前はとにかく英語が怖かった。英語で話しかけることも、自分の口から英語を発することも。これまで10カ国ほど旅をしてきたから、だからこそなのか、「伝わらない」「できない」惨めさは嫌というほど味わってきた。もちろん話せなくても多国籍の人と仲良くなれる人と人のつながりに心震える体験もたくさんしてきた。けれど、もっと深い話がしたいけどできない、周りが楽しそうに笑い合っているのに自分だけポカーンと口を開けていることしかできない、という苦い経験もセットでたくさんしてきた。留学前に10年ぶりに参考書を開いたり英語アプリをやたらインストールしたりYouTubeで勉強してみたけれど、高校英語なんて特に何にも覚えていないし、やってもやっても理解できない。途方に暮れた。もう….怖い….あんな惨めで情けない思いをしたくない…..。

そして案の定、留学後はとてつもなく情けない思いをした。伝えたいことが伝わらない、相手の言っていることが理解できない。知らない単語が次から次へと溢れてくる。文法がすっぽりと頭から抜けている。発音を何度も何度も修正される。劣等感に苛まれ、自己嫌悪に襲われ、虚しさと情けなさを隠すようにニコニコと誤魔化すしかない自分にも嫌気がさした。周囲は楽しそうに談笑しているのに全く輪の中に入れず、会話のラリーを眺めながら冷めたご飯を流し込むほど惨めなランチはなかった。トボトボと部屋に戻り、ふっと気を抜くと大粒の涙が溢れた。廊下から死角になるベランダの隅で一人わんわん泣いた。ずっと勉強してこなかったんだから、できなくて当たり前なのに。最初の1ヶ月は、「絶対しゃべれるようにならないと思う」「無理だと思う」「もう諦める」と大弱音を吐きまくっていた。

その他にも、英語ならではのストレートな表現に戸惑うこともあった。「あなたはもっと勉強すべきよ、単語リストやってる?」「あなたは内向的だから、いつも同じ友達とばかり一緒にいる。もっといろんな友達をつくるべきよ」なんて言われることも。ただでさえ焦って落ち込んで、メンタルギリギリの綱渡りをしているときに、どストレートに言われると思っている以上にダメージを受けた。相手に悪気がなく良きアドバイスをくれていると理解しながらも「いや、そうだけどさ….朝7:50から夜の9時くらいまで毎日勉強してるし、私が仲良くしたい人と仲良くさせてくれ……」と思ったとしても、それを伝える語学力もない。私が細かいニュアンスまで汲み取れないせいもあり、相手の言葉を気にし過ぎてしまったり深読みしてしまったり。第二言語でのコミュニケーションは、脳みそがグニャグニャになったような疲労感があった。

それからこれは語学と関係あるのか、ないのか。真相はわからないけれど、他の日本人から感じの悪い態度を取られたり区別をされることもあった(同じように嫌な思いをしている子が何人もいて本当に嫌だった)。挨拶をしても無視をされたり、人によって態度を変えたり、私が英語でうまく言葉を返せないとサッとその場を去っていったり。

"私、何かした……?あなたと深い話をしたこともないんだけど…?"

劣等感を抱えているのか。自信がないのか。だから他人を見下して、優越感を担保しているのか。パッと見で何かが気に食わなかったのか。本当に何の考えもなく「英語ができないやつと話す意味ない」と思われて無視されたのか。

いや、だとしても、やるなよ。

なんでお前の弱さを他人に押し付けるんだよ。

なんてことを心の中でぶつぶつ悪態をついたりしながら"言葉を学ぶって、なんじゃ……?"と考えさせられた。

(もちろん、優しくて思いやりがあって他人の痛みがわかる友人がほとんどで、そんな友人たちに本当に本当に支えられた……。「そういう人もいるよね」と、支え合ってやり過ごした)

不思議なことに、こんなに言葉にうんざりさせられながらも抱えていた傷を癒してくれたのもまた"言葉"だった。それも、英語という"異なる国の魔法"によって癒されたことに静かに感動した。

ある日、新しい先生の授業のやり方に不満を感じていることを、退職した大好きだった先生に連絡を取って相談をした。新しい先生に対して思っていることはあれど、事を荒立てたくないし説明するのも労力かかるし、と何をすることもなくただモヤモヤを抱える私に「不満を感じているなら、相手にちゃんと伝えること」と人として必要なことを教えてくれた。

"As I always tell you, voice out what you wanted to say.You can do it!!! I'm always here to support you and it's very important to tell others what you really feel so just be open. Also, if other's don't accept your feelings, it's their problem and not yours because your just being honest."

「いつも言っているように、言いたいことを声に出して言うの。あなたならできる!!! 私はいつでもあなたをサポートするつもりだよ。あなたが本当に感じていることを他の人に伝えることはとても大切なことだから、心をオープンにして。もし、他の人があなたの気持ちを受け入れてくれないとしても、それは彼らの問題であって、あなたの問題ではない。あなたはただ正直に話しているだけなのだから」

そして次の日、私は新しい先生に自分が勉強したい内容や授業の進め方の要望を伝えることができた。新しい先生は、にこやかにすんなり受け入れてくれた。ハッとした。言語の壁を言い訳にして伝えることを怠った自分の怠慢に気づかされた。いくら教えるプロだったとしても相手が何を考えているかまではテレパシーを使えない限りはわからない。最初からフィーリングが合う相手ならともかく、まずは伝えようとする姿勢がないのなら、理解し合うことは不可能なのだ。伝えた上で分かり合えないのなら離れればいい。

いつから伝えることを簡単に諦めるようになったのだろうか。声に出さずに飲み込んで、他の場所で吐き出すようになったのだろうか。空気を読んだり、怖気づいたり、面倒くさがったり。人との衝突や、人と向き合うことを避けたり。もちろん出会う人全員に本音を話す必要はないと思っているけれど、「思っていることを声に出す」という選択を忘れていないかい?と気づかされた言葉だった。

ちゃんと新しい先生に自分の気持ちや要望を伝えられたと報告すると、大好きな先生はこう返事をくれた。

"I hope this is the start where you can already tell what you really feel with other people.(After expressing gratitude)
You're welcome!!! I will always be with you throughout your journey in learning English so don't hesitate to send me message."

「これが、あなたが他の人に本当に感じていることを伝えられる第一歩となることを願っているよ。(ありがとうございます、と伝えた後に)
どういたしまして!!! 英語学習の旅の間ずっと私はあなたと一緒にいるから、遠慮なくメッセージを送ってね」

━━━英語学習の旅の間ずっと、私はあなたと一緒にいるから

なんて美しい言葉なんだろう……。喜びに浸りながら、先生の素敵な表現にも思わずうっとりしてしまった。

ある先生は、私が英語の勉強に弱音を吐くと、こんな言葉をくれた。

Slowly , but surely.
ゆっくり、でも確実に。

「あなたの成長は、ゆっくりかもしれない。まだまだ未熟だと思うかもしれない。でも留学に来る前と比べたらどう?(私の回答:しゃべれるようになってると思う……)でしょ?確実により良くなってるじゃない。"できてない”ことではなく、"できるようになった”ことに目を向けて。あなたはしゃべれているよ!でももっと勉強して練習する必要がある。それだけのこと!」

バスを例えに、こんな話もしてくれた。

"For example, when you get on a bus, you can't choose your seat, but you can choose the view you want to see. You can decide whether you want to see a bright view or a dark view. Which one do you want to see?"

「例えばバスに乗ったとき、座る席が選べなくても、見たい景色は選べるでしょ。明るい景色を見るか、暗い景色を見るか。あなたはどっちを見たい?」

ある先生は、私が自分の納得のする形で結婚ができるように、背中を押してくれた。「日本では選択的夫婦別姓が認められていないから、もし法律婚を選べば、夫婦どちらかの名字を変えなければならない。私たちはお互い自分の名前を名乗りたいから、事実婚を選ぼうと思うのだけれど、日本ではとてもマイノリティな選択だし苦労も多いと思う」と伝えると、先生は「何か周囲に言われたら、こう言いな!」と言い放った。

My marriage , my decision!
私の結婚は、私が決める!

雷に打たれたような衝撃が走った。実際、息を呑むほど感動した。わっ!!!と、目を見開いた。出会いたかった言葉が、そこにはあった。

「ああ、他人と異なる"ふつう"でない意見や考えだったとして、自分が思っていることを言葉にしてもいいんだな。主張していいんだな」と思わせてくれた言葉だった。

そこから私はフェミニズムについて自分の言葉で意見を述べるようになっていった。フィリピン人女性の先生たちは、私の気持ちを全力で肯定してくれた。先生たちとフェミニズムについて話しているときは、本当に楽しかった。ルッキズムや性差別を入り口に、自分の愛し方や生き方まで、いろんな話をするたびに勇気づけられた。

そして最終的には、フェミニズムについて英語でプレゼンまでした。「自分の思っていることを声に出して伝える」の真骨頂だった。

気がつけば、先生たちに聞いた内容を記事にまとめて、世界のフェミニズムインタビュー連載マガジンまで始めていた。

私が自分の声を取り戻し、世界に届けられるようになると、先生たちは本当に嬉しそうに笑って喜んでくれた。

"As I always tell you, just voice out what you really wanted to say and people will hear you. I'm really happy and glad that you we're able to share what you believed in. Just continue writing and learning English so that you can reach out more people all over the world."

「あなたをとても誇りに思うよ! いつも言っているように、本当に言いたかったことを声に出せば、人々はあなたの言うことを聞いてくれる。あなたが信じていることを共有できて本当に嬉しく思うよ。世界中のより多くの人々に届くように、書き続けて英語を学んでいってね」

卒業を間近に控えたある日の授業で、「第一印象は、大人しくてシャイで静かな子だと思っていたよ。でも今は、自信を持って自分を表現できるようになったね」と喜んでくれる先生もいた。

"I'm glad you are already confident in expressing yourself and diswssing your advocacy. Continue doing that and I hope that one day, I get to read your articles and see you doing interviews around the world. Keep letting that confidence glowing."

「あなたが今では自信を持って自分を表現し、主張して​​いることを嬉しく思うよ。これからも続けてね。そしていつかあなたの記事を読んだり、世界中でインタビューをしているあなたを見られる日が来ることを願っています。その自信を輝かせ続けてね」

ある先生は、私がフェミニストであることを恐る恐る主張したことに対して「声をあげてくれてありがとう」と言ってくれた。それがどれほどの安心と喜びをもたらしてくれたか。

"Thank you for sharing your voice to us. Keep on inspiring more women. I'm awed by your ideas, and I Know more people will hear what your heart speaks.Keep on shining, and keep that beauty radiating"

「あなたの声を、私たちにシェアしてくれてありがとう。これからももっと多くの女性にインスピレーションを与え続けてね。私はあなたの考えを尊敬しているし、あなたが心から語る声に、これからより多くの人が耳を傾けると確信してる。これからも輝き続けて、その美しさを放ち続けて」

私の記事を読んで、こんなふうに言ってくれる先生もいた。

"You're such a great writer. It's so gooood."

海外の人に、いい記事だったよ!いいライターだね!なんて言ってもらえる日が来るとは……。この仕事を始めたときは、想像もつかなかった。

それでもフェミニズムについて記事を書くと、アンチコメントが来て腹が立ったり気分が沈む日もあった。そのことを先生に相談すると、真剣な眼差しで語りかけてくれた。

"You're going to be the one to light up the world, right? To light up the people in a dark room. To open the eyes of those who are closed. That's your role, right? Then don't worry about it! Don't let it get you down. Ignore the anti-comments. What you should focus on is your own beliefs."

「あなたは、周囲を照らす人になるんでしょ?暗い部屋にいる人たちを明るく照らす。目をつぶっている人の目を開ける。それがあなたの役割でしょ?それなら、気にしないの!そんなことでへこたれないの。アンチコメントは無視しなさい。あなたが目を向けるべきは、自分の信念よ」

3ヶ月の留学生活を終え、あの大好きなセリフが蘇る。

「わしは昔から言葉を操るのに長けておってのう。言葉とは言わせてもらうのならば、尽きることのない魔法の源じゃ。傷つけることも、癒すこともできる力を持っておる」

ダンブルドアの言っていることは、本当だった。言葉は尽きることのない魔法の源だった。私をどん底まで突き落とすのも、私自身の意識や行動までも変えてくれるのも"言葉"だった。英語という異なる国の魔法は、私を大きく変えてくれた。自分の思っていることを声に出す魔法。自信を持つ魔法。自分で選択できる魔法。自分を愛する魔法。自分自身を取り戻す魔法。折に触れて、一つずつ、一つずつ、教えられたそれらの魔法を私はこの先も抱きしめて生きていくだろう。血となり、肉となり、私を支えてくれるだろう。

私は誓った。魔法を教えてくれた先生たちに「英語の勉強を続ける」と。なぜなら、忘れたくなかったから。あなたがくれたのは、ただのアルファベットを並べた単語でもなく、法則通りの文法でもなく、人から人へ伝えたいと願う気持ちが詰まった「言葉という魔法」そのものだったから。

私は忘れたくない。

そして人を傷つけるのではなく、癒すことに、この魔法を使いたい。

最後に、3ヶ月を共に過ごした韓国人の友人と別れる間際に泣きながら交わした言葉がある。

"You are my best friend."

"Thank you you are my best friend too."

この言葉を伝え合うまでに、私たちはとてつもない長い時間を共に過ごしてきた。何度も何度も言葉を紡ぎ、それでも自分の気持ちと英語のニュアンスの齟齬に納得できない日もあった。少しでも彼女の「声」を聞き取りたいと思ったから、必死に勉強した。大好きな彼女の言っていることが理解できないときは、本当に申し訳なく自分が嫌になった。自分の英語が拙過ぎて悔しくなった。わたしはもっと、あなたと話がしたい。その気持ちだけが一番純度の高い言葉との向き合い方だった。

お互い第二言語で、相手を思いやること、優しくすること、喜怒哀楽を共有すること、信頼関係を築くこと、意見を交わし合うこと。そこにはツギハギだらけの何度でも紡ぎ直してきた言葉があった。デコボコの道のりを一緒に歩み、友人になってくれた。そんな彼女と過ごした日々そのものを「親友」と呼ぶのだろう。

私はあなたの声を失いたくないから、次に会ったときもっとたくさんの言葉を交わしたいから、これからも魔法の源を学び続ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?