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厄介な身体を引き連れて。ありふれた時間が愛しく思えたら

のろのろとベッドから気だるい身体を起こし、カーテンを開ける。部屋をでて眠い目をこすりながら階段を下る。

ダン・ダン・ダン・ダン・・・

体重を踵に乗せ、身体を揺らすたび、胸に痛みを感じた。

あ、もうすぐ生理だ。

わたしは生理前になると胸が痛くなる。いわゆるPMS(月経前症候群)の期間に突入したことをわかりやすく教えてくれる身体のサイン。夕方からは不安やイライラがむくむくと膨れ上がった。そして厄介なことに、それらの感情はほとんど八つ当たりのように恋人に向けられた。

別になにを言われたわけでもない。されたわけでもない。いつも通り、やさしく面白く適当な会話を繰り返し連絡をとっているだけなのに。会っていない時間は、実態のない彼なわけで。絶賛、わたしの勝手な解釈や想像がしやすくなるのだ。

"おれ、30代の女性が好きなんだよね"

"ブラジャーのホック、ここで留めるんだね。まだ慣れないな〜"

"あ、この女の子かわいい"

"やっぱり男にとって可愛い女の子を捕まえるってステータスで、"

"少しまえは、女の子とデートしてホテルまで行けたかどうか、友達に報告したりして、"

"初めて会ったとき可愛いって思ったよ。まぁどっちかって言ったらね!"

聞いたときに胸がチクンとした場面が、パチパチと頭の中で切り替わり、気だるそうに散った。わかっている。なにか含みや淀みがあってその言葉を発したわけではないこと。ただ思ったことをそのまま口にしたこと。わたしに聞いて欲しかっただけなこと。

「はっはっ、そうだね」

「うん、うん」

「そうなんだね」

いちいち、めくじらを立てることではない、と曖昧に笑ってやり過ごしたはずなのに。今日はどうもよくない。イライラの材料として鮮明に蘇ってしまう。

"なんで他の女の人と比べるようなこと言ったんだろ。もう昔の女性経験の話しなくていいのに。それを聞いてどんな気持ちになると思ったんだろ。別にわたし可愛くないし。別にいいし...!"

後から考えると笑ってしまうくらい、真剣に怒りはじめたが最後。ふだんならなんてことない言葉の端々に引っかかり、勝手に蒸し返しては嫌な気持ちになる。小さい子のように、頬をはち切れんばかりに膨らませ、最後にはやるせなさでシクシクと泣きはじめた。

まったく、情緒不安定か。と半ば呆れながら鏡の前に立つ。ほっぺには天の川のようにぽつぽつとニキビが。はぁ〜これだから生理前ってほんとにもう...

明日は急遽、彼と2泊3日で旅行に行くことになった。彼と過ごす初めてのクリスマス。心躍る気持ちを隠し切れないながらも心配だった。大丈夫だろうか。今のわたしは笑えるだろうか。彼の顔を見て怒り出したりしないだろか。

朝は待ってくれない。厄介な身体を引き連れて、彼が待つ、彼の暮らす街へと向かった。

***

「おれ、自分からクリスマス誘わないよ」

目的地に向かう途中のうどん屋さん。ちょっと注文しすぎちゃったな〜と思いながらズルズルと麺をすすっていると、とある会話の中で彼は言う。

そんなはずはない。だって、24日も25日も空いてるよ、と電話越しに言ってくれたのは彼なのだから。あれはまだ、付き合う前のことだった。

「あ〜。思い出した!美里がウジウジしてたからだ(笑)おれが何を考えてるのかわからない!って。だからクリスマスを誘うってことはそういうことだよって意味で誘ったんだった!」

そんな計らいがあったとはつゆ知らず。誘われたときは、一緒に過ごしてくれるんだなぁ〜嬉しいなぁ〜。くらいしか察することができなかった。と、思い出しながらも、自然と口角は上がってしまう。

ウジウジしていた、と言うあの日。あとで調べると、案の定PMSが始まった日だった。

結局のところ、わたしはわたしの窓からしか物事を見れていないと気づかされた。ひとりで勝手に一方的に騒ぐわたしの知らないところで、彼は静かに愛を伝えてくれていて。彼からの愛を知らず知らずのうちに受け入れているわたし。気がつくと、不思議な幸福感を感じていた。

だから、大丈夫なんだ。

身体から力が抜ける。もう何も考えなくて大丈夫だ。彼を見ながらケラケラと笑う。

彼が笑うから、わたしも笑うのか。わたしが笑うから、彼も笑うのか。それとも、何が起きても「面白い!」に変えてしまうわたしたちだから、いつでも笑っているのか。

いわゆるクリスマスらしいことは何も追いかけなかった。

旅行先だというのに、スーパーで野菜や肉や魚を買って夜ご飯は自分たちで鍋をつくったし、夜はムードも何もないお笑い番組を観て死ぬほど笑った。どこから見つけてきたの?と言われそうな、看板に電気も付いていない怪しげな温泉に入ってしまったときは、やばくない!?やばくない!?と小学生のようにはしゃぎまくった。

温泉からあがり、生理前になるとニキビが...とほっぺをペタペタ触るわたしに、持ってきた化粧水と乳液を渡してくれる彼。一緒に生活するうち、オナラが出てしまって恥ずかしがるわたしに、人間なんだから(笑)と笑う彼。

肌が荒れてしまうことを、彼の前でそんなに気にしなくても大丈夫と言われているようで。完璧でいなくていいよ、と言われているようで。またひとつ、勝手に纏っている鎧が剥がされていく。ずっと奥のほうまで自分をさらけ出せるようになっていく感覚は、何にも変えられない幸せなのだと知った。

どこへ行くにも、彼の左手は、そっとわたしの右手を包んでくれた。そのたびに口角を上げ、ときめきが弾ける。暖色のライトが彼の横顔を照らす夜は、魔法がかかったように甘くて。ぜんぶを抱きしめたくて、大きな背中に手を回した。

クリスマスプレゼントのマフラーを贈りあい、ほんのりとした温かさがふたりを包む。

にこ〜っと、嬉しそうに笑う彼を見るのが嬉しくて。マフラーが似合う彼はとびきりかっこよくて。やさしい気持ちでいっぱいになった。

彼が選んでくれた淡い色のマフラーは、好みにドンピシャで。ふわふわで可愛くて嬉しくて。首が温かいと感じるたびに頬がちょっぴり熱くなった。

彼からもうひとつプレゼントが。もらったのは、わたしが小さい頃から大好きなキャラクターのぬいぐるみだった。もう嬉しくて嬉しくて。ニヤニヤが止まらない。大事に、大事に、ぎゅーっとした。

お返しに、とわたしから彼に手渡したもうひとつのプレゼントは、言葉がたくさん詰まった贈りもの。

付き合う前に用意した、絵本と手紙。もし恋人にならなくてもこれだけは伝えておきたい、と心に決めたメッセージだっただけに、今さらになって渡すのが恥ずかしい。なのに彼は目の前で手紙を読みはじめるから、顔はどんどん火照る。

わたしの想いは、人に言わせればちょっぴり重い。真剣すぎるのかもしれない。あえて言葉にしなくてもいいのかもしれない。本来はこんなこと、考えなくてもいいのかもしれない。それなのに、まっすぐ言葉にして伝えたがるものだから、そのくせ伝える瞬間は、怖がり恥ずかしがるものだから、彼の反応にはドキドキした。

カサカサと手紙をしまう音。にっこり笑った表情のあとに、やさしい音が聴こえた。

"これ、子どもができたら読ませたい。"

伝えたかった物語は、しっかり彼の胸に残ったようで。この世界からわたしがいなくなっても、愛はちゃんと残ってくれるようで。彼の目を見たとき、わたしが残したい愛が息吹いた瞬間を実感しひとり感動した。勇気を持って言葉を紡いでよかった。心からそう思えた。

***

道を歩き、自転車を漕ぎ、行き着いた地元のお店で人とおしゃべりを楽しむ。そんな、行き当たりばったりのクリスマス旅行だった。それは、ふたりで選び、決めて、面白がった初めての経験だったかもしれない。

気がつくと、彼のことがこれまでに増して大好きになっていた。不安やイライラを考える隙間もないくらい、今、ここに感じるのは、彼が注いでくれる愛だった。

「どうせ、」を口癖にして愛を諦めてきたこれまでの人生。愛されている、前提で生きるこれからの人生は、どんな景色が見れるのだろうか。

ありふれた時間が愛しく思えたら、それは愛の仕業と小さく笑った。──Mr.Children Sign

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