75のお供えと、近年神々が"ふえる"バリの台所
バリの台所の朝は早い。ご飯を炊き、料理をし、家のあちらこちらにお供えをする。
ヒンドゥー教と土着のアニミズム信仰が混じった"バリヒンドゥー"が信仰されるこの土地では、朝のお供えが重要な習慣だ。八百万の神々に、ご飯やお花を差し上げる。
お世話になった家庭は、三世代同居の5人家族だ。伝統が強く息づく地域に暮らす。
あたりがまだ暗い5時台、市場にでかける。朝食の支度が始まるのは6時前。ご飯炊きから始まる。この家ではガスコンロも使うけれど、米は薪の火で炊く。そのほうがずっとおいしく炊けるのだという。
今日の朝食は、鶏ひき肉を香辛料などとまぜて、バナナの葉に包んで蒸すペペス・アヤム(pepes ayam)。削りココナッツやターメリックが入るから、色も香りも華やかだ。一家の母マデイに指導されながら、一緒に包んだ。
さて、ご飯が炊きあがったようだ。おばあちゃんが、外の炊事場から台所に運んでくる。
マデイは、敷き詰めた小さなバナナの葉の上に、一口大ずつご飯をのせ、蒸し上がったペペス・アヤムをほんの少しずつだけのせる。塩を振り、それからビスケットやコーヒーも少し添える。
人が食べる前に、仕度を終える。この小さなお供えは、バンタン・サイバン(banten saiban)という。
バンタン・サイバンがのったお盆を持って家中のあちこちに配るのは、10歳の娘タントゥリ。お寺の中の数カ所、水のあるところ、火元、門の入り口…と決まったところに置いていく。
迷いのない手つきだ。
けれど、それにしても数が多い。その数、実に75か所。毎朝75枚のバンタン・サイバンを用意するのだという。
「基本のルールはシンプルなんだ。寺、火、水、調理道具、門。ただ、ここに供えるならこちらにもないと申し訳ないとかやっていくうちに増えていって、もはや過剰なくらいになってしまった」とシラは言う。
「例えば、水の神様のお供え。元々は井戸の所だけだったんだけど、母さんが、水道の蛇口にも、ウォーターサーバーの所にも、置くようになったんだ」とちょっと困り顔で語る。
信仰心が競争のようになったのだと言う。
ふと疑問になり、「物が生活の中にふえる中で、お供えの対象となる箇所も増えてしまったということはない?」と聞いてみると、「それも否定はできないね」という。精神社会から物質社会への移行が、宗教行事を加速させているのだとしたら、なかなか逆説的で興味深い。
ところで、朝ごはんからしっかり作るなあと思ったら、一日の分のご飯を朝に作っているのだった。ご飯は朝にまとめて炊くし、おかずも昼食や夕食の分までのつもりで作っている。食べきってしまわない限りは、夜まで料理しなくていい。朝の仕事は多いけれど、それさえ終えればあとは一日安泰なのだ。案外効率化されている。
しかし、暇かというと、そうではない。
次の日の朝食後、妻マデイはお供えのための飾りチャナン(chanan)を作りはじめた。ココナッツの葉など身の回りで集めた素材をを切って折って留めて、箱のような形に仕上げる。
葉片をものさし代わりにして長さを揃え、小刀をリズミカルに動かして、均一な長さと形の部材を切り出していく。
組み立て上がった箱は、緑のグラデーションが美しい。そして自然のものに思えないくらいパリッとしている。私がやると、ゆがんだ形になるのだけど。四角いチャナンを50個ほど作り、色とりどりの花をのせる。「明日のため」と言って袋に詰めた。
今度は花形のチャナンを、また50個ほど作る。
そうして午前がほとんど終わり、学校に行っていたタントゥリの帰宅を待って、朝の残りを温めて昼ごはんになった。
そんな調子で一日を終え、翌朝台所に立ち入ると、ふとこの空間がとても神聖な場に思えた。水の神、火の神、調理器具の神。神々がいる。ガスコンロをひねれば野菜が煮れて、蛇口をひねれば水が出てくる。なんてすごいことなんだ。電動のウォーターサーバーなんて、どんなパワフルな水の神が宿っているのだろう。
伝統と近代化は相反するもののように思っていたけれど、
便利になり尽くした、無機質に見える現代の台所こそ、実は多くの神々のおかげで動いているのかもしれない。
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