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「イスラエル料理」はどこにある?

イスラエル料理について語るには、まずこの国の成り立ちから話を始めなければならない。

イスラエルという国の成り立ちは、興味深い。
1948年に建国された70年足らずの若い国家なのだが、よくあるように「その土地に昔から住んでいた人々が自治を勝ち取った」のではなく、各地に離散していたユダヤ人が「世界中から集結して建国した」。
イスラム教・キリスト教・ユダヤ教の三宗教の聖地として人類の歴史には古くから登場する土地なのだけれど、国家としての歴史は浅い、"古くて新しい"国なのだ。

(左)紀元前からの歴史を持つ聖地エルサレム (右)そんな歴史から距離を置きたい人が集まると言われる国際都市テルアビブ

イスラエル料理は存在しない?

この国の国民は、アメリカからもヨーロッパからも中東からも集まっていて、背負っている文化がみんな異なり、だから「みんなが認めるイスラエル料理なんてない!」と言うイスラエルっ子も少なくない。

ユダヤ教のハヌカ祭りに欠かせない揚げドーナッツ「スフガニーヤ」も、ユダヤ教祝祭日に欠かせない三編みパン「ハッラー」も、文化の一角をなす大事なJewish cuisine(ユダヤ人の食)だが、Israeli cuisine(イスラエル料理)とは呼ばないようだ。

街を歩くと世界中の食べ物や飲食店があふれ、国際的な様相だ。

そう言うと、なんでもありの無節操のように聞こえるけれど、芯がないわけではない。どんな家にも「我が家の料理」は確実にある。

ユダヤ人にとって最も大切な安息日(シャバット)の夕食を、イスラエルに住むリナットの家庭で一緒に作らせてもらった。

料理に映された家族の歴史

安息日(シャバット)とは
ユダヤ教で定められた、いかなる労働もしてはならない日。天地創造の7日目に神が休息をとったことに由来。仕事はおろか、車を運転することも火を使って料理することも、正統派ユダヤ人は認めない。週の7日目は土曜日にあたるが、ユダヤ暦の1日は日没から始まるので、金曜日の夕方から土曜日の夕方までを指す。
金曜日の夕方は多くの人が家に帰り、家族や親戚と集まって家での夕飯を楽しむ。

リナットは旦那さんと3人の子供と暮らしている。一家の家系は、他のユダヤ人家庭と同じくとても国際的。リナット方はポーランドとロシア、旦那さん方はモロッコとエジプトの血を継いでいる。
シャバットの食卓は、そんな家族の歴史を映していた。

まず作り始めたのは、チキンスープ。鶏のネックと根菜を大ぶりに切る。

体を温めるこのスープは、冬寒い東欧の定番。リナットが親から継いだレシピだ。「食材からおいしいだしが出るから十分と言って、母はこんなの入れなかったけどね」そう言いながら笑ってマギーブイヨンをたっぷり振り入れる。

パクチーをどっさりのせるモロッカンフィッシュは、旦那さん家系からのレシピ。リナットが作り始めたのを見た旦那さんは、「僕はこの味で育ったんだ」とうきうきそわそわ。一方リナットは「私はパクチーが苦手だから食べないんだけど、旦那も息子も私のお母さんも好きだから作るの」と苦笑い。

そして副菜にはサラダをいくつか。キャベツのサラダは、千切りキャベツをコップの背でぎゅうぎゅう押しつぶす。
「こうすることで細胞が壊れて、しばらく置いておくと少し発酵するんだって。どこで知ったかって?むかし私が料理していたら父がこうしなさいって言ったのよ」。

食卓で語られる歴史

料理ができあがる頃、近くに住む祖父母や親戚が集まってきた。たくさんの手料理が並ぶ食卓を大勢の親戚が取り囲み、なんともにぎやかだ。

料理を食べながら、家族の歴史にも話は及ぶ。
「東欧社会の中でユダヤ人は貧しかったから、もも肉とかではなく安く手に入るネックを使ったのさ。これを飲んだら、薬も暖房もなくても元気になってしまうだろう?だからJewish Penisilin(ユダヤ人のペニシリン)と呼ばれるのさ。」とおじいちゃん。一家で作り続けられてきたチキンスープは、アメリカ人のペニシリンのような万能薬のスープなのだ。

「”伝統料理”ばっかり作ってるわけじゃないわ。パスタだってサラダだって何でも作るのよ!」とリナットは頑なに言うけれど、どの料理にも、キャベツサラダの作り方一つにも、家族の歴史がしっかり映し出されていた。

宗教をも伝統をも超えて

お酒が進み、たくさん笑い、お腹もいっぱいになった頃、リナットは語りだした。
「うちは信仰心厚くない世俗派のユダヤだけど、シャバットの夕飯を家族で囲むのは絶対よ。ろうそくを灯すとかの形式的な儀礼はさておき、家族が集まるというのは大切な文化だから」。
何を食べるという形式的なことよりも、その根底に流れる家族の歴史や時間こそが、大切な文化でありアイデンティティなのだ。

ユダヤ人。
世界中に散らばっていた民族だからこそ、歴史を共にしない民族だからこそ、共通のアイデンティティを持ちにくいこともあろう。自分がユダヤ人だと言う人もいればイスラエル人だと言う人もいて、生まれ育ったアメリカの民だと言う人もいる。自分が何者たるかは、日本人の我々よりはるかに複雑な問いだ。

だけれどもなのかだからこそなのか、必ず集う安息日の食卓を通して確実に、家族のアイデンティティが紡がれつながっていた

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