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孤独死した人の部屋には共通点がある。

あなたの家に、業務用の焼酎ボトルはありますか?



孤独死。
誰にも看取られず、気付かれず、
ひとりで静かにその生を終えていく。

葬儀屋で働いていると、そういった最期を迎えた方のお世話をさせていただくこともあった。


地域や葬儀社によってもまちまちだけれど、
基本的には、葬儀屋(葬儀場で働いている葬祭ディレクターなど)が
孤独死の現場である家に行くことはほとんどない。
理由はシンプルで、亡くなった人を発見した時、救急や警察に連絡する前に葬儀屋に連絡しようとする人はそうそう居ないからである。

いや、たまに居たけどね。
それでも、死亡診断書(死体検案書)が出るまで私たちは動けないので、
まず警察に連絡するよう丁重に伝えることとなる。
(皆さん気が動転しているのでここで理不尽にお叱りを受けることもある。仕方ない。そこまで受け止めるのも仕事のうちだと思うしかない)


ちなみになぜ死亡診断書が出るまで動けないかというと、
「こちらの方はこういった理由で亡くなられていて、事件性はありません」ということがはっきりする書類を持っていないと、
私たち葬儀屋は原因不明の変死体を運ぶヤバい奴らになってしまうからである。
だからこれを読んでいるあなたがもし当事者になってしまった時はどうか葬儀屋に怒らないで、一旦落ち着いてまず救急か警察に連絡して欲しい。
言われなくても大丈夫だとは思うけども。



そうして現場検証や検死が終わった後、私たちは遺族や警察から連絡を受け、警察署に行って
納体袋(中の見えない、防水加工などが施された専用の袋)に包まれたご遺体を引き取って会館に安置する流れとなる。
だから実は、あまり現場を見ることはない。


しかし、例外はある。


一番強烈な印象だったのは、わたしの経験ではなくベテランの上司から聞いた、
布団の上でどろどろになってしまった方を警察が対応しきれず、スタッフ2人で現場に行って布団ごとどうにか動いてもらった、
という昔の話。


わたし自身にはそこまでパンチの効いた経験はないが、
遺族の方に頼まれて現場である自宅に付き添ったりはもちろん、特殊清掃の業者さんを紹介する関係で顔を出しに行くこともあった。
あまり言葉の雰囲気がそぐわないが、遺族の方と関係を深めるための営業の一環として。



そして、わたしが孤独死の現場で目の当たりにしたのは、
それぞれ全く違う人生を歩んできたはずなのに、
あまりにも似通った部屋だった。



まず第一に、
居酒屋のキッチンに置いてあるような4Lの焼酎ペットボトルが、床にごろごろ転がっている。
炭酸水やお茶、レモンなどの割り材は見当たらない。
水で割っていた可能性もあるが、おそらくそのままコップに注いで原液で飲んでいたのではないかと思う。
孤独死したわたしの身内も、そうやって朝からずっと25度のアルコールをそのまま身体に流し込んでいた。


机の上には、食べた後のコンビニ弁当の殻がそのまま置いてある。
大体はいくつもいくつも置いてある。床にもある。
食べ残しは生ゴミとして分別されることなく、工場で盛り付けされたままの位置で腐っている。
割り箸を弁当箱の中に斜めに差し込んで、フタは被せるだけできっちり閉めたりはしていないことが多い。


シンクは料理できる状態にない。
使ったお皿やコップ、調理器具、コンビニで買った食べもののゴミ、あるいはキッチンに所縁のなさそうなものまでも、地層のように積み上がっている。


布団あるいはベッドの上や周辺に、使用済のティッシュや食べもののゴミ、飲みもののパックや缶、灰皿など睡眠に関係のないものが散乱している。
自殺でない場合は布団の上で亡くなられていたということが多いのだけれど、
大抵人ひとりが横になれるスペースだけ空いていて、その周りの余白部分はゴミや物で埋まっている。
本や漫画、ゲーム機なども周辺にあることが多く、布団の上で生活の全てを完結させていたことが伺える。


その他、
口を結ばれた地域指定のゴミ袋が収集に出されることなく部屋に置かれている、
シンクだけでなく風呂トイレなどの水周り全体が満足に使えない状態で放置されている、など。



もちろん、これらの特徴が
孤独死した全てのケースに当てはまるというにはサンプル数が少なすぎることは重々承知している。



ただ、もしこれを読んでくれているあなたの部屋が、
もしくは久しぶりに訪問したあなたの親戚や知人の部屋が、
わたしの経験した孤独死の現場と同じだったら?



ほとんどの方は好奇心でこの記事を開いてくれたと思うし、わたしもそのつもりで書いているけれど、
もし、何か思い当たることがある、そう気付いてくれたら。



例えば、焼酎を原液ではなく炭酸で割って飲むようになってくれる、とか。
洗えずそのままになって今更手を出せなくなってしまったお皿を思い切ってすべて捨ててしまう、とか。
お布団を生活の全てではなく、就寝専用のスペースにしてくれる、とか。
勇気を出してゴミを集積所に出しに行ってくれる、とか。
どこから手を付ければいいのかわからなくなってしまっている人と、まずはその地域のゴミの分別を一緒に調べてくれる、とか。


その行動ひとつで何かが劇的に変化する訳では、決してないかもしれないけれど。



この先、万に一つの可能性で待ち受けているかもしれない未来に辿り着く人が少しでも、
違う道に転がっていくきっかけになれば、と思う。




あなたの応援は、わたしの記憶の供養になり、続けることが苦手なわたしのガソリンになります。具体的にはおそらく記事に書いたことやあなたの存在に思いを巡らせながら飲むお酒になります。