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ソフトボールピッチャーエースになれるまで。

私が小学生の頃の話だ。
私の父はずっと野球球児で、当時はエースピッチャーだった。写真を見せてもらったが、野球をする若い父はとてもかっこよく見えた。

あと1試合勝てば甲子園に行けたそうだが、惜しくも最後の最後にに負けて悔しい思いをしたと父は語っていた。
そんな思い出話を聞いていたせいか、父の影響を受け、『私はソフトボールでピッチャーになりたい!』私のその言葉で父に火がついた。
そして私とソフトボールの物語が始まったのだ。

小学校へ入学して、ソフトボール部に入部。
そして父は娘のソフトボール部の監督になり、なんとも鬼のような猛特訓が始まる。

正直、部活がこんなに厳しいものだとは思ってもいなかった。ナメてた。

硬い球が体にぶつかり何度も怪我した。

泥だらけになりながらは父に怒られ、練習の度、泣いた。

何度も挫折しかけた。

でも、父の『必ずお前をエースピッチャーにさせてやる』その言葉を信じ、私は死ぬほど練習した。

『エースを獲りたい』
『ピッチャーとして活躍したい』
『試合に勝ちたい』

.....

私はふと思ったんだ。
ソフトボールがこんなに楽しいスポーツだとは思ってもいなかった。
私にソフトボールを本気で教えてくれてありがとう!

『お父さんを喜ばせたい』
いつしかそんな事を思うようになる。

私の実家は自営でパン屋だったので、
広い工場があった。そこで毎日お風呂前にピッチングの練習。サボる事は許されなかった。

そんな毎日の特訓のおかげか、
一年生でエースを獲る。
先輩ピッチャーを抜かし、とても嬉しかったのを覚えてる。
ただ、いつも父に言われてた言葉。

『1番獲っても絶対に天狗になるな』
『誰よりも努力をしろ』

この言葉を忘れず誰よりも練習した。

父はDVDでピッチングの研究を重ねては
私に教えた。毎日研究を忘れなかった。

父の努力を無駄にしたくない。
そんな思いを抱えながら最後に残したベスト記録は県大会ベスト4だった。

当時は強いチームがたくさんいた為、私のチームはランキングに入らないくらい下手くそなチームだった。

だからこそ、こんな記録を残せると思わなくて、嬉しくて涙が止まらなかったのを覚えてる。

いつの間にこんなに強いチームになっていたんだ....。

試合が終わり、チームのみんなで円陣し、涙を流した瞬間、ソフトボールを本気でやって良かったと心の底から思えた。
めったに涙を流さない父も、目に涙を滲ませてるのが分かった。

『よく頑張ったな』

また涙が止まらなくなる。

たかが部活。
たかが小学生。

しかし、この経験が出来たからこそ、
誰よりも努力する素晴らしさを覚えられた。

そしてみんなでやるスポーツのソフトボールだからこそ、みんなとの絆が生まれた。

泥だらけになりながら練習した日々も、
泣きながらみんなで抱きしめ合った日々も、
全て最高な思い出となった。

何かに没頭し、努力を怠らない事。
仲間を大事するという事。
チームワークの大切さ。

そんな事をまだ幼い小6の私に本気で教えてくれたのは父だった。

強くもなれたし、小学生からこんな事を学べた私は幸せだなと父には感謝している。

この頃は厳しくて嫌だった父ですが、
今では大大大好きです。

いつか自分の子供が出来た時、
父の様なこんなアツい両親でありたいなと思います。


.....


ありがとう、お父さん。

今思えば、この時のソフトボールで学んだ『努力の大切さ』この経験こそが大人になった今でも私の人生で生かされいる。


.......


いつか必ず親孝行するからね。




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