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「二度とその言葉を使うな!」と言った恩師の話。

大学3年の春。
入ったばかりの研究室の指導教官に、初めに言われた言葉は、「二度とその言葉を使うんじゃない!」だった。




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外には、冷たい雨が降っている。春の大雨。  こんな日には、私は決まって、彼のことを思い出す。

私が所属していた学科では、大学3年生の時に、研究室(いわゆるゼミ)に入ることになっていた。
研究室訪問では、大本命だった精神科医の教官のところへ行った。  

そこで教官に、「君は、僕のところではなくて、違う研究室に行った方がいいと思います。」と優しい声を使いながらも無表情で言われ、あっさりフラれてしまった。

精神臨床について勉強したいと思っていて、教官の中でも精神科医は彼だけだったので、この研究室だ!と決めていたのに。  

行き場を失い、路頭に迷った。    

ぼーっと廊下を歩いていると、ある教官から、「君、研究室は決めたのかね?」と話しかけられた。
正直に「まだです。」と答えると、  「君は、ぜひうちの研究室に所属して、校外での活動をしなさい。」  と、唐突なお誘いを受けた。

神様!お殿様!捨てる神あれば拾う神ありとはこのことだ。

お声がけいただき後光が差して見えたのと、「校外での活動」に心惹かれた私は、2年間を捧げる研究室を決めた。


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正式に研究室に入ることが決まり、教官に挨拶に行った。  

「これから頑張ります!!」
ハツラツに、希望たっぷりに言った気がする。

次の瞬間、「ばっかもーーーーーん!!!!!」と怒鳴られた。なぜ怒られたのか、全くわからず鳩は豆鉄砲を食らった。

教官は、私がキョトンとし終わるか否かの隙も与えず、 「ワシは、頑張りますという言葉が大っ嫌いなんだ!」と言い放った。

え???頑張るが嫌い???こんな前向きでやる気を表現している言葉が???「頑張ります!」 と言って怒鳴られたことなんて、今までの人生で一度もなかった。

「いいか、今後一切、その言葉を使うんじゃないぞ。使ったら研究室を辞めてもらうからな。頑張るなんて言う奴は、言うだけで満足して、何もやらないんだ。頑張らなくていいから、行動しなさい!」

「そんなに禁句・・・破門なんて・・・」
希望で満ち溢れた21歳の私は、一瞬でしょぼくれた。

こうして、初日にして、破門にリーチをかける状態で始まった研究室ライフが、
大学生活で最も充実したものになるとは、この時は知る由もなかった。



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早速、「頑張る。」という言葉を封印してみた。  するとどうだろう。  教官や、他の先生や先輩と話す時、グッと言葉に詰まってしまうようになった。
「はい!がんばります!」というのは、まるで私の決めセリフのようになっていたのだ。無意識に。

頑張るという言葉を、私は安易に便利に使っていただけだったのだ。
「やばい、このままでは破門になる。」

頑張ると言わない代わりに、具体的にどういう行動をするのかを考え、相手に伝えるようにしていった。
はじめのうちは、言葉に詰まってしまったが、段々と、常に「どう頑張るのか」、方法と行動を考えるようになった。

と、言いたいところではあるが、実際はこんなにうまくはいかず、他の言葉が思い浮かばない時には、
相変わらず「頑張ります!」と言っていたし、辛い時はいつも「頑張れ!」と自分を励ましていた。


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教官が紹介してくれた校外での活動は、とてもとても魅力的で、素晴らしくて、勉強になって、刺激的で、深い学びの場になった。  教官が私に与えてくれた出会いは、どれも素晴らしく、私の人生に大きな影響を与えてくれた。  

しかし、私は相変わらず根本は変わっていないし、いつも教官に、「ばっかもーーーーーーん!!!!!!」と怒鳴られた。




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そんな大学生活も、あっという間に終わった。
私は、無事、教員採用試験に合格し、4月1日から、小学校の保健室で、養護教諭として働くことが決まった。

3月31日の夕方を少し過ぎたくらいの時間帯。雨が降っていた。肌寒かった。私は通い慣れた電車に、傘を持って乗っていた。大学から自宅に帰るための電車。停車駅でドアが開くたびに、雨の匂いがした。明日からは違う路線を使い、勤務校に通う私。

「この電車にもお世話になったな。」

電車のアナウンスが、私の降りる駅にもうすぐ着くことを告げたので、私は席を立った。「傘を忘れないようにしないと。」

ふと目を右手の方に向けると、視線の先に、教官が座っていた。 偶然同じ電車の同じ車両に乗っていたのだ。


「先生!!!」

思わず大きな声で呼んでしまった。

「私、今日で大学生が終わります。明日から、養護教諭です。」

電車が駅について、ドアが開いた。

教官は、「いいか、絶対に頑張るなよ。絶対にな。」と言い、笑った。
その顔は、今までの中で1番、優しい笑顔だった気がした。



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それから4年後。
私は精神疾患が理由で休職することになった。



それから、さらに10年以上が過ぎた。
今でも、今日のように冷たい春の雨の日には、あの日の言葉を思い出す。

教官が大っ嫌いなあの言葉。

「頑張ります。」  


先生、私はまだまだまだまだひよっこで、先生がくれた言葉の本当の意味をわかっていないかもしれない。

でも、頑張るって言葉には、人を甘えさせる力と、人を追い込む力があるんだってことは、わかってきました。



現在、教官は大学の教授職を退官され、1人の小児科医師として、今日も子どもたちの治療に向かっている。

窓の外は、春の冷たい雨。今日も私は、頑張っている。

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