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ジャッジを人に委ねるな

レッスンのあとに紅茶を淹れるのだけど、子どもたちは冷たい飲み物を好む子が多くて、いつしかお茶を淹れる子が全員に「アイス or ホット」を聞くようになった。「ホット」というようになると大人だ。(それはどうでもいい。)

昨日、いつものように「アイスとホット、どっちがいい?」と聞いたら、新入生(中学生)たちが「どっちでもいい」と答え、お茶を淹れる子が困っていた。

おとなにもある。
何かを選択する時、「どちらでもいいです」と答える人。

パターンとしては
1)本当にどっちでもいいので、やってくれる人の都合に併せる。他の人がみんなアイスならアイスでいいよ、的な。
2)本当はアイスがいいんだけど、他の人がみんなホットだったら申し訳ないので、どちらでもいいという。
3)考えるのが面倒、思考がない。

自分がどうしたいかを言わないとコミュニケーションは進まない。だから、1)の人も2)の人も理由を添えて「どちらでもいい」と言うのなら、「じゃあ、○○しよう」って平和に解決する。

困るのは、3)
お茶のことくらいどうでもいいと思うかもしれないけど、自分の飲み物ですら自分で考えようとしないその思考がまずい。どちらでも良いにしても決断は自分でするという習慣がないのはやばい。

自分で考えない人はとても面倒だ。

おとなの生徒さんでレッスンに来た時、何度も何度も「よろしくお願いします!!」という人がいた。ドアを開けて入ってきて挨拶をした時、用意を整えてスタジオに入室した時、目が合った時、レッスンが始まる時などなど4、5回は言うだろうか。「よろしくお願いします」って1回で良くない?

というのは、そのたびにこちらも「よろしくお願いします。」と言わなくてはいけないからだ。面倒だ。来る人全員にそんなことされたらどうなる。

ある時、彼女に「相手にも挨拶を強要することになるから。」と話しをした。そしたら「今までそういう風に考えたことなかったです!」と驚き、「そうですね。これからは気をつけます。」と素直に受け取ってくれた。


なんでも聞く人がいる。例えば明らかに冷蔵のものを「冷蔵庫にいれますか?」とかそういう感じ。これはとても多い。子どもにも多い。ゴミを手にとって「これどうしますか?」って聞くの。

そういう時はオウム返しに「どうしたらいいと思いますか?」と言うことにしている。(そんなこと私に考えさせるな)だ。そうすると自分で考えて冷蔵庫に入れるし、ゴミ箱に捨てるのだ。

なんでこういうことが起こるのかというと、判断を人に委ねた方が楽だから(失敗したくない)、または指示された通りに動くという教育を受けてきているからとわたしは分析している。

「自分で思考していない」意識は罪だ。

何度も教えていることなのに「年取ると覚えられないのよね。聞いた方が早いから聞いちゃう」と笑う50代の生徒さん。

そのたびに答える相手のことは想像していないし、脳を使うことを放棄したらどんどん衰えるし、なにより年齢を理由にそんなことしていたら周囲、特に若い人から疎まれる。結局自分の首をしめるのにな。

(そんなことくらい自分で考えて!)って大概の人は思っている。でも大方の人はそんなこと言わないでしょう。

なぜか自分は好まれない、重用されない、年を取れば取るほど、それはふんわり大きくなっていく。でも自分には理由がわからない。

自分で判断するのは自分のため。思考のトレーニングは日常の小さなことからできるよ。


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